恐るべきもの 5

 監房部から出て本棟の地上部に戻ったA・ファーレンハイトは、恐ろしい光景を目の当たりにした。

 バリケードが破られて多くのエージェントが倒れている。

 そのほとんどは壁や床に叩きつけられて死亡していた。ある者は頭部を強打し、ある者は首や四肢をあらぬ方に曲げて、まるで交通事故にでもあったかのよう。

 迎撃部隊を率いていたはずのマスターQの姿もない。


 マスターDはゼッドを追って監房部に来たのだろうが、この惨状を見ていなかったのかとファーレンハイトは驚く。

 どう見ても本棟の方が被害が大きく、監房部に駆けつけるよりもこちらの防衛を優先すべきだ。おそらくは入れ違いになっている間に、バリケードを突破されてしまったのだろうと彼女は推察した。


 それにしてもこれが人間の所業なのだろうかと、ファーレンハイトは恐怖する。マスターDは襲撃者に関して「もう一人」と言っていた。


(まさか、これが全て一人の……?)


 ダイナマイトでも吹き飛ばせないはずの非常用の防護シャッターも力任せにこじ開けられている。短時間でこれだけのことができるのは、「超人」しかありえないと彼女は思った。


 その超人はマスターAかそれとも別の誰かなのか、とにかく何が相手でも今の装備では対抗できないと思ったファーレンハイトは射撃訓練場に寄り道した。

 射撃訓練場までの道中でも彼女は多くのエージェントの死体を見かけた。とにかく目についた者は皆殺しにしているようだ。

 死体は本部のさらに地下へと続いている……。


 この「敵」の目的は不明だが、もし地下のシェルターに向かっているとしたら大変だ。組織を壊滅させるつもりなのかもしれない。

 敵は恐るべき超人で、ファーレンハイトが戦ったところで勝てる可能性は低い。だからと言って逃げ出すわけにはいかない。

 彼女は黒い炎の一員なのだ。組織のために命を投げ出せないようでは、戦闘員としてはおろか構成員としても失格だ。



 射撃訓練場で対物ライフルとショットガンとそれぞれの弾薬を手にしたファーレンハイトは、廊下に転がる死体を越えて地下へと急いだ。

 シェルターがあるのは地下五階、まだそこまで敵が到達していなければ良いがと彼女は心配する。

 どこまで行っても死体が途切れることはない。ある者は勇敢に戦い、ある者は逃げ切れず殺されたのだろう。

 壊滅状態の屋内を走るファーレンハイトの脳裏に、遠い昔に封印された記憶が蘇った。彼女が幼いころの記憶だ。


 彼女の生まれ故郷は紛争で地獄と化した。

 今となってはどうやってマスターBの孤児院に引き取られたのかもよく覚えていない彼女だが、死体だらけの光景は彼女の古い体験を呼び起こした。

 それはどうしようもない絶望である。目の前の事態に、己は無力で何もできないという実体験。

 猛烈に嫌な予感がして、彼女は冷や汗をかく。もしかしたらもう何もかも手遅れなのではないかと……。


 地下三階に着いたA・ファーレンハイトは建物の揺れを感知した。

 何者かがシェルターをこじ開けようとしてるのか、それともまだ生き残りがいて戦闘が続いているのか、どちらにせよまだ希望を捨ててはならないと彼女はさらに足を速めた。

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