狩人の心 2

 A・ファーレンハイトは順調にターゲットをマスターTの元に追いこんでいく。

 ターゲットはひたすらに逃げ回るばかりで、全く向かってくる様子がない。前回失敗したのは実際に銃撃を食らわせたことで、当たっても痛いだけで大したことがないと教えてしまったせいなのだ。


 ターゲットを追っていた彼女がマスターTの姿を視界の端に捉えた瞬間、ターゲットの首が飛ぶ。いったい何が起こったのか、相変わらず彼女には分からなかった。一瞬にも満たない刹那、気を取られた隙に全てが終わっていた。


 倒れて動かなくなったターゲットの元に、追いこみに出かけていた全てのエージェントがまばらに集合する。

 マスターTは全員を見回して告げた。


「皆ありがとう、任務完了だ。私は死体を処分するから、先に戻っていてくれ」


 それを受けてファーレンハイト以外のエージェントは全員、言われたとおりに山林の外の車へと引き揚げる。


「どうしたんだ、ファーレンハイトくん?」

「いいえ、何でもありません」


 その場に立ち尽くして肩で大きく息をする彼女をマスターTは心配したが、当の彼女は呼吸を整えつつ充足感に浸っていた。久しぶりに任務で役に立てたという実感が彼女にはあった。

 マスターTは無言で死体の様子をデジタルカメラに収めると、改めてA・ファーレンハイトに告げる。


「先に戻ってて良いよ」


 バイザーをしているのにデジカメを使うということは、つまりバイザーには映像保存機能がないということ。

 それもなかなか奇妙だが、先に戻れという指示の方が彼女には気にかかった。いったい彼は何をどこまで知っているのか、何を知られたくないのか、彼女は食い下がってみた。


「それは何なんですか?」

「それって、これ?」


 わざとらしくデジカメを持ち上げてみせるマスターTに、ファーレンハイトは眉をひそめる。


「分かっているはずです」

「あぁ……どこかの研究所から逃げ出した実験体らしい。詳しいことは私も知らないが」

「本当に知らないんですか?」


 マスターTはそれ以上は何も言わなかったが、それでも少しは話してもらえたので彼女は前進したという手応えを感じた。キーワードは「研究所」と「実験体」。


 少しの間を置いて、まだ帰ろうとしないファーレンハイトを追い払うように、マスターTは少し強い口調で告げる。


「さあ、これから死体を処分する。そんなところを見たいのか?」

「はい」


 その問いかけに彼女は迷わず答えた。

 マスターTは呆れたように小さく息をつき、彼女に言う。


「ファーレンハイトくん」

「はい?」

「跪いて。両手を組んで。目を閉じてくれ」

「え……?」


 ファーレンハイトは困惑したが、マスターTが無言のままバイザー越しに見つめてくるので、圧力に負けて言われたとおりにした。ミラーバイザーで本当は彼の目は見えないはずのだが、彼女は強い視線を感じていた。


「……これで良いでしょうか?」

「彼の冥福を祈ってくれないか」


 続く彼の寂しげな依頼に、彼女ははっとして顔を上げる。彼が自分にさせたのは祈りの所作だと、今さら気づいたのだ。

 しかもマスターTは最初の任務ではターゲットを「害獣」と言っていたのに、今はっきりと「彼」と言った。

 既に死体は消えており、跡にはただ血痕だけしか残っていない。今度はどんな技を使ったのか……。

 ファーレンハイトの思考は同時に発生した多くの感情と情報を処理できず、一時停止状態に陥る。


 死体のあった場所を見下ろしていたマスターTは、茫然としているファーレンハイトにゆっくりと顔を向けると穏やかな声で尋ねた。


「ちゃんと祈ってくれたかい?」


 深い悲しみをたたえた問いかけはどこまでも優しく……彼女はしばらくこの時のことを忘れられなかった。

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