ナンバー9

@pignon

N.N1

自分の中のどこにも行けないという感覚について考える時によく思い浮かぶのはビリヤードの玉だ。どれだけ速く動いても曲がろうとも結局はビリヤード台の中で動き回っているだけで、最後にはいくつかの穴に落っこちて一番下まで行き、また台の上に戻る。自分のタイミングで動き出すことは出来ず、かといってそう長い間留まれることもない。運よく行きたい方向にいきたい場所にたどり着いても留まりたい場所では止まることは難しく、不覚にも反対方向へと出発してしまうことになる。

では台から飛び出せばどうかというと、飛び出した瞬間に玉としての価値は失われプレイヤー、あるいは付近にいる親切な誰かによって無造作に台の上に戻される。そうやって衝突と摩耗を繰り返し、ついには、あの道は通ることが無かったとか、あっちの玉とはあまりぶつからなかったなぁと振り返えることになる。しかしいくら自分を振り返ったところで、結局枠から出ることなく、一生を終える。どんな形容詞をつけたとしても、動くかぶつかるか、落ちるか、というパターンからは逃げ出すことはできないのだ。

自分の頭の中で想像できる範囲の「外側」に気付くことも無く、物事を考え、無限に広がる世界や価値観を知らずに、ふいに意思そのものを失う。

そもそもビリヤードなんかやらない人にとってはどうでもいいことで、しかし、うかつにも意思をもってしまった玉にとってはとても重大な悩みである。

僕がそんなことを考えるのは大抵現場へ移動している車の中か、イヤホンで聞いている音楽が頭に入ってこない時で、誰かの言葉や表情で不意に感情を動かされてしまったと感じる時に始まり、しかしその想像はいくら続けても無限にあるルートや玉の動きのすべてを思い浮かべることができない自分に気がつくのをきっかけに、あるいは現実的に目的地に着くことで終わりを告げる。

自分はいったい何番目の玉でいつからゲームは始まり、いくつかの出来事に動かされたり、穴に落っこちたりしながら、いつの間にこの場所いたのだろうか。そして今はどこへ向かっているのだろう。

そもそも向かうべき方向、すらあるのだろうか。


清掃業という職業はおそらく、他のエッセンシャルワークと同じように奥が深く、簡単なようで複雑であり、肉体労働という見た目以上に頭や精神力を使う仕事だ。しかし、この仕事に関わったことのない人や、床や窓など意識もしたことの無い人にとっては、そもそもどんな職業か想像さえもされることの無い仕事である。また、それまでの人生において自宅や職場の掃除を「やったことのある」人にとっては誰にでも出来る仕事であるだろうし、一部のいわゆる「掃除が好き」な人々にとってはそれでお金が貰えるなんて、という感覚を持たれるかも知れない。そして、「気付かれないということこそが、仕事が成立し社会の役に立っている証拠である」という点においても、ほぼ同じと言えるだろう。おそらくこの業界に興味を持ったり、ましてや憧れを持って飛び込む人は少ないはずだ。

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