第四話 色欲が大罪でも、ゴモリーは受け止めてる(後半・一)

 アラヤはサクスに問い掛けていく。


「魔技で人間を大小問わず事故に遭わせていたらしいが、何故そんな事をした? 死なせる所までいってしまえば、その人間からは掬火を抜き出せないんじゃないのか?」


「わ、私は、人間からよりも、人間が肌身離さず持っていた物に宿った掬火を、集める事をよしとしていたんです」


 サクスの答えに、アラヤは古来からニホンに伝わる、万物に霊が宿る八百万やおよろずの逸話を思い出す。


「――成程、物か」


「持ち主が意識を失えば、その物の中に在る掬火は不安定になる。私はその隙を狙って掬火を奪っていました」


 物に籠められた念というものは、中々馬鹿には出来ない。


 人間本体の掬火はあくまで本人の精神の強さを超えはしないが、物の場合はそうではない。


 日々、例え少しずつでも蓄積され、増大していく可能性が有るからだ。


 サクスはリョーコを指差して言う。


「その女の衣装も……とても強い念が転じた掬火が、溜め込まれています。私はそれを恰好の標的と思い、襲ったのです」


 その言葉に、途端にリョーコの顔が赤くなった。


「確かにこのゴスロリ服は、何か気合いが入ってるなって風に俺も思った」


「その念ですが、それはどうやら貴方へと向け――」


「ストップ、ストーップ! そ、そういうの、第三者が出しゃばって言っちゃいけない事だからーっ!!」


 慌ててサクスの言葉を制するリョーコに、アラヤは怪訝な顔を向け、ゴモリーは「ふふっ」と笑みを漏らす。


「――?」


 アラヤは、一人だけ分かっていなかった。


 サクスも或る程度は空気を読めたのか、その事については語るのを止めた。


「……私が活動していたあの場所は、私にとっては居心地の良い場所でした。人間達が地獄門と呼ぶあの次元の狭間が生じた地点の近くには、他の悪魔達もあまり近付きたがらないので、悪魔同士の縄張り争いも起きずに済むし」


 何やら物憂げな顔でそう言うサクス。


「縄張り争い、か」


「悪魔は自己の主張が激しい生き物です。でも私は、他の悪魔と考えをぶつけ合うのはわずらわしいと、思っていたので……」


 サクスが言っているのは、要するに自分は『他の者とはお互い非干渉である事を好む』という主張が激しい悪魔だ――という事なのだ。


 奴は今度はゴモリーの方に顔を向ける。


「なのにまさかあの地点の傍で、あの次元の狭間の向こう側を知っていながら暮らし始める悪魔が現れるなんて……」


 弱々しくも、精一杯の皮肉を籠めた言葉を彼女に浴びせ掛けるが……。


 しかし、当のゴモリーは何処吹く風だった。


「私は彼に落ち着いてくつろげる空間をあげたかっただけ。人目にも付き難く、敵対する悪魔からも一定の距離を取れる――その目的に適した場所がこの区域なのだから、貴女の都合などに構ってあげる事は出来ないのよ」


 ゴモリーは少しだけ厳しい口調でそう言い放つ。


 彼女にとっては何処までもアラヤの事が一番に優先される。自分と同族である悪魔の暮らしを脅かしても、だ。


「サクス。私は寧ろ、彼の住む家の傍でちょろちょろとしている貴女を放置しておくのは、上手くない事だと思っているわ」


「ひ、ひぃ……」


 力無く地面に顔を落とすサクスに、ゴモリーは凍てつく程に冷たい目線を向けている。


 ゴモリーがアラヤを大事にしているというその想いは、彼女の言葉から十分に伝わるものだった。


 しかし当のアラヤの反応は薄い。


「――ふん」


 それは彼が、ずっと違う何かを思っていた為である。


「やっぱり俺は、こいつみたいに間接的な戦い方をする奴は苦手だな」


 その独り言のような言葉に、ゴモリーはいち早く反応する。


「勝ったのは貴方よ。そんな風に自分をさいなむ必要など無いわ」


 そのゴモリーの言葉で、リョーコも何かを察知する。


 リョーコから見えているアラヤの背中が、少しだけだが小さくなったように感じられたのだ。


「そうはいかないだろ。俺は最初に聴覚を奪われた時、その事に全く気付かなかった。下手すればやられてたかもしれない……大きな失態だったと思ってる」


 アラヤはそう言ってサクスに視線を遣るが、その言葉とは裏腹に、瞳は何処か空虚な感じで奴の事を捉えていた。


「ひえっ……」


 サクスはまたも彼に怯えるが、その度に自分の心を強引に掴まれる感触を得て鼓動が早まり、のぼせたように顔を赤らめる。


 ――アラヤ様、どうしたんだろう? ギラつく感じはそのままなんだけど、でも今はなんか、なんか危うげって意味で危ないアブナイ……。


 リョーコもアラヤの変化にドキドキしていた。


 ギラつき張り詰めていたものが一度剥がれたアラヤは、まるで隙だらけだった。


 しかしその隙をもし突いてしまえば、逆に底無しの闇に引きずり込まれてしまうような、そんな怖さまでもが内包されていたのである。


 ……ゴモリーだけが、アラヤのその底無しの闇の正体を知っていた。


「……サクスの魔技に気付かなかったのは、貴方がおおらか過ぎるからだわ。貴方の精神の力が強い故に、相手の悪意でさえそうと気付かずに受け入れる――そんな事が起きてしまうのよ」


 ゴモリーの言葉はアラヤの精神性を正面から認め、立ててやるものだったが、しかしその実は彼を……暗に慰めているものだった。


 リョーコには彼女の表情が、自分には言い表せぬ湿り気を帯びているように見えて、息を飲んでしまうのだ。


「アラヤ、もう一度言うわ。貴方の心が大きく、そして強いから……だから小手先程度の悪意は、逆に自然とその心へと受け入れてしまうのよ。だけど小手先だろうと悪は悪。悪いのはあくまで魔技を使い、貴方を襲ったサクスなのよ」


 アラヤに続きゴモリーまでもが、サクスを見遣る。


 アラヤの目線は空虚でありながら、それでいてギラつきだけはずっと変わらぬものとして在り続ける。


 ゴモリーの目線は彼への敬意を宿しながら、しかしその彼の心を少しでも惑わせる者に対しては排斥はいせきする事をいとわない、そんな湿った思いを混在させている。


 ……彼女と同じ悪魔であるサクスには、それがはっきりと理解出来た。


「ひ、あぁ……。セ、セナ・アラヤ、貴方の魔力と心強さには、私は、平伏しています……。だ、だから、これ以上痛めつけないで……このゴモリーにも、そう、言い聞かせて下さい……」


 怖じ気づきながらも、サクスはしっかりとそこまで自分の思いを言い切った。


「……お前は今、虫の良い事を言ってるよな? お前にそこまでする気が無かったとしても、お前の被害者の何人かは、実際命を落とす所まで行ってるんだぞ」


 アラヤはここでは少しもキレていなかった。


 空虚な眼をしながらも、しかし寧ろ、まるで諭すような口調をしていたのである。


 それは彼が、人間と悪魔の種族としての違いを分かっていたからに他ならない。


 ――(二)へつづく――

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