第四話 色欲が大罪でも、ゴモリーは受け止めてる(前半・一)

 悪魔サクスは、アラヤとの戦いに敗北したのだと認めていた。


「――ああ……強く熱い念が、炎になって私に襲ってくる……」


 奴が今居るのは、とある無人の家――その一室だった。


 家具なども元の住人が持ち出して既に無く、ただ殺風景なだけの部屋である。


 奴の背後で、部屋の壁に突き刺さっているあのセナ・アラヤの騎槍が、淡い赤の光を放っている。


 そして奴と騎槍の間に、ゴモリーの姿が在った。


「ブラッド・バーストね。あれは触媒にした血を持つ悪魔だけでなく、それと縁深い悪魔にも反応し襲い掛かる特性を持つから」


「お前という奴は何処までも冷静よね、ゴモリー!」


 サクスはゴモリーへと振り返り憤慨ふんがいするが、しかしそれでも彼女は表情を全く崩さない。


「私がそうしていないと、いざという時アラヤを落ち着かせてあげる事が出来ないもの」


 彼女の言葉に、サクスは舌打ちをする。


 人間の男にここまで恥じる事無く好意の念を示す……そんな悪魔の女は間違い無くこのゴモリーだけだと、サクスは同じ悪魔の女として彼女をそう評価する。


 その物腰は慎み深く、しかし同時に、恋愛というものに付いて回る感情、そこに内在する悪心までもを識り司る――。


 そんな悪魔ゴモリーを前にして、サクスは今の己というものを惨めだと認識していた……。


 ――まったく……どうして私が、こんな事になってしまうのよ……。


 その切っ掛けはセナ・アラヤが自分に向けて、騎槍を投擲したあの時だ。


 サクスの脳裏に、この部屋に飛ばされてからの事が思い出されていく。


 ※


 サクスはアラヤの騎槍に引っ張られるままに、何処かの空き家の窓ガラスをぶち破ってから、その室内へと放り込まれた。


「ひがあぁーー!!」


 窓ガラスと激突したその弾みで、騎槍が食い込んでいた彼女の衣服の肩口の部分が裂けたが、それは幸運とはならなかった。


「あぎゃんっ!?」


 部屋の壁に突き刺さった騎槍の手前で、彼女は顔から床に激突したからである。


 更にその勢いのまま、全身転がり体のあちこちを床に打ち付けていく。


 彼女は激痛から暫く悶絶していたが……やがてこうしている場合ではない、とばかりに顔を上げた。


 左の鼻の穴から真っ赤な鼻血を垂らしている彼女――悪魔サクスは、一言で言えば不様であった。


 茶色掛かりしっとり濡れたような感じのある、真っ直ぐ背中まで伸びた髪。


 その前側の分け目は真ん中で、華やかさとは縁遠い、はっきり地味だと言える印象が纏わり付いている。


 服装も全体的に地味色で、上は単色グレーのゆったりしたトップスに、下はネイビーの膝下丈デニススカートを履いている。


 目立ち過ぎないシックなお洒落さが出せるコーディネートではあるが、奴の自信の無さげな表情の所為でそういった雰囲気は前には出ない。


 しかしサクス自身はよくよく見れば割と綺麗だと分かる瞳をしていて。


 また色白な肌……その華奢な体つきは、彼女の内側から醸し出される陰気な雰囲気と相まって、そういうのが好みな男には中々愛されそうでもあった。


 そのサクスが顔を引きつらせ、全身ガタガタと震えだす。


「あ、あ、あ、あ、あれは、アスモデウスの騎槍! な、なら、あのセナ・アラヤが私を狙ったという事だ……」


 フレンチキッス属を始めとする、知恵も足りぬ有象無象の悪魔共ならばともかく……。


 この街に潜む有力な個としての悪魔の中で、セナ・アラヤの名を知らぬ者は居ない。


「ご、五年前に、こ、子供でありながらアスモデウスにその掬火の強さを、見出され……は、半年前には、そのアスモデウスの力を取り込んだ、恐るべき人間……!」


 それがサクスの、アラヤという人間への評価だった。


 彼女の背後で騎槍が赤く光る。


「ひいっ!? お、追って来てる……この騎槍が放つ魔力の波動を頼りに、ここへと向かってる!」


 急いで立ち上がろうとするも、全身を窓ガラスと床に打ちつけた事に依る痛みが走り、結局また顔から突っ伏してしまう。


「ひぐぁ……。はぁ、はぁ……駄目だ、しばらく体を休めない限りまともには動けそうにない」


 サクスは肩で息をしながら、それならそれで、どうにかしてこの場をやり過ごさなければと思考を巡らせる。


「私の魔技で一時的にでも視力と聴力を奪って、その隙に逃げる……。私にだって使える軍団レギオンは在る、そいつらを上手く囮にして……」


 彼女にはアラヤと直接戦うつもりは無かった。


 彼女の悪魔としての性質は、そもそもそういう面での戦いには向いていないのである。


 適材適所、自分に出来る事をこそやり、出来ない事は――やろうとしない。


 それが彼女の、悪魔ならではの思考。


「ハァーーー……」


 ゆっくりゆっくり、吐き出すように。


 彼女は精神を研ぎ澄ませ、他者へと繰り出す魔技とは逆に、自身の周囲に対する感応力を高めていく。


「見付けたぞ。さっきのゴスロリ女まで一緒か……なら先ずはそいつと分断し助けが得られないように、してやる……」


「成程。悪くない考えだとは思うわよ、サクス」


 突如聞こえた慎み深い女の声に、サクスはぎょっとする。


「お、お前はゴモリー!?」


 窓の外に蠢く黒い影が現れて、その影の正体が彼女だと瞬時に理解出来た。


 しかしその時には影はもう部屋へと侵入し、赤いロングヘアの女悪魔――ゴモリーへと変化していた。


「安心して、私はアラヤの戦いを邪魔したりしない。だから私が貴女をどうこうするという事も無いわ」


 微かな笑みを浮かべ、そう告げるゴモリー。


 しかし彼女が全身から自然の内に放っているオーラに、サクスははっと息を飲むのである。


「く、うぅ……!」


「そんなに固くならないで。私も貴女も同じ個としての悪魔なのだから、ね」


 例え敵対する相手であっても、同族として一定の礼節は示す……。


 力の差はどうあれ、ゴモリー自身はそうした態度でサクスと相対していたのだ。


「貴女とアラヤの戦いを見届けさせて貰うわよ、ふふっ」


 ――(二)へつづく――

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