第七十四話 物語の終わる時

 学祭二週間前の金曜日の放課後。記憶を取り戻してから一週間以上経つこともあって、すっかり俺はいつもの調子を取り戻していた。この頃になると、もはやあんまり気にならなくなっていた。

 ……というか、目の前に差し迫った二つの面倒くさい出来事のせいで、思考時間を奪われていたとも言えるが。


 佳境を迎えたダンス練習を終えて、疲れた身体で演劇部の部室に向かう。そして、簡単な準備を済ませて、四階廊下の適当なところにやってきた。


「くそ、もう追手がすぐそこまで――」


 俺は窓辺から外の様子を窺って、堪らず唇を噛み締める。眼下では武装した兵士が、縦横無尽に行き交っていた。そのうちの一人と目があった気がして、俺はそっとその場を離れた。頭の中で、よく設定を吟味する。

 やはり野宿にしておけばよかったか。しかし俺はともかく、彼女はもう限界だった。ベッド(椅子とマットで作った簡易なもの)に横たわる彼女――アリスの姿に目をやる。


 こんな状況だというのに、ぐっすりとよく眠っていた。薬がよほど効いていたらしい。疲労が溜まり切っていたこともあるだろう。彼女が倒れたのは昨日の夜のことだった。

 魔法使いといっても普通の女の子、ということか。不思議な術が使えるだけでその実、一般人と何も変わらない。彼女との短い旅の中で、俺はよくそのことを思い知った。


『頼む! 私のことはいい、娘だけは!』


 とどめを刺そうとした俺の足元に、必死にしがみ付くあの痩せこけた老人の姿を思い出す。ふと、ここの演出をどうすのだろうか、気になった。とりあえず、監督にはそういう風にしろ、と言われている。


 とにかく――


「あの魔法使いは世界を滅ぼそうとした。それは間違いない。でも、人の心を完全に失ったわけではなかった。最期の瞬間に覗かせたのは、娘の身を案じる親の顔だった」


 俺は近くの教室から持ち出してきた机に向かった。備え付けてあるペンと羊皮紙を手に取ると、さらさらと文字を記し始める。……もちろん、振りではあるのだが。


「彼の胸に刃を突き立てた時、同時に自分の中の一部が欠けた気がした。あの時、俺を突き動かしたのは自らの心ではなく、義務感だった。ああでもしなければ、誰も納得はしないとわかっていたんだ。でもずっと、後悔があった。だから、彼女になら殺されてもいいと――」


 独白しながらも、ペンを操る手は止めない。そのまま黙り込んで、たっぷりと間を取る。感傷に浸るように、ってどうしたらいいか、全くわからないが、適当に表情を動かしていく。


 そして――


「だから、こうするしかない。彼女を救うために。あの魔法使いとの約束を果たすために。俺の心を取り戻すために。いや、違うか。単に愛する人を――」


 意味ありげに言葉を切って、俺はゆっくりと立ち上がった。寝そべる彼女の枕元に、今書き上げたばかりの手紙を折りたたんで置いた。

 そのまま俺は舞台を去る。現実――瀬田監督のいる方へ歩み寄る。彼は俺たちの正面でじっと、自らの脚本が実現されていくのを見守っていた。その横にそっと立ち並んだ。


 俺が役目を終えたのに少し遅れて、アリスは身を起こした。力なくその頭が左右に揺れる。そして、きょとんとした表情で首を傾げた。役に入り込んでいるのか、思わず引き込まれてしまう。


「あの人は、どこかしら?」


 やがて、さっきまで自分の頭があった場所に一枚の紙が置かれているのに彼女は気が付いた。それをそっと摘まみ上げると、ゆっくりと開く。その目が少し大げさに動くのがよくわかる。


「なによ、これっ!?」


 そこに記されているのは、一緒に過ごした思い出に対する感謝と、これからについてのこと。『一度城に行くことにした。落ち着いたら君の元に戻るから、心配しないでほしい』最後はそう締められらていた。


 短い手紙を読み終えると、アリスは勢いよく立ち上がった。部屋を飛び出す演技をする。はっとした表情のまま、あちこちを走り回った。


「どこにもいない……もう城に戻ってしまったの?」


 なおも彼女は走り続ける。本番の時はスポットライトで時間経過を表現するらしい。あと、恐ろしい感じのする音楽がかかる。もちろん、今はそんなものはないが。

 やがて、城下町に辿り着く。彼女はフードですっぽりと頭を覆った。


「あの一枚いいかしら?」

「どうぞ」


 俺の隣で瀬田が声を出す。新聞屋の代わりだ。号外を配っているというてい。彼は近づくと、アリスにそれっぽい紙を渡した。


「かの大逆人の処刑、無事に執行される。全ては勇者の自作自演だった……。どういうこと!?」


 今度は新聞屋は答えなかった。彼女はその場で動き回る。周囲の人に話を聞いている、ということだ。やがて、背後にある空き教室の扉が開いた。


「彼は死にました。その身にすべての罪を背負って」


 現れたのは雪江――もとい、この国の王女。心痛な表情を浮かべている。ローブ代わりに白衣を待っとっているが、それがなんとなくいい味を出していた。


「そんな……! 嘘よっ、ねつ造よっ!」

「いえ、紛れもない真実です。しかし、あなたがそれを信じようが信じまいが、それは自由ですけれど」

 ぞっとするほどに冷たい言い方だった。

「でもあなたも本当はわかっているのではなくて?」

「そ、それは……」

 悔しそうに魔法使いの娘は唇を噛んだ。

「これを渡しておきます」


 雪江は胸元から一枚の紙を取り出した。これまた奇麗に折りたたまれている。アリスが受け取ったのを見て、彼女もまたこちら側へ。ちょっとだけ目が合うと、その顔が少しだけ柔らかくなった。


 一人残されたアリスはその紙に目を通す。またしても同じ構図が続くのは、どうなんだろうか。……素人ながらにそんなことを思ってしまう。


「拝啓、アリス様。この手紙を読んでいるということは――」

「私はもうこの世にはいないのでしょう」


 彼女の後を俺が継いだ。当日は録音したものを流すことになっている。さすがに行動から放送室までは遠すぎた。広すぎる後者の弊害である。細長い直方体なのがいけないと思う。

 

「二人一緒にいることはできないから、全ての責めを負うことにした。せめて君だけは生き延びて欲しい。俺が殺めてしまった君のお父上もそう願っている。どうか、平穏無事に暮らしてくれ。俺たち二人の代わりに」

 台本を見ながら、その内容を読み上げる。流石に暗記しきれてない。


「――こんな俺でも、人を愛することができてよかった。君と過ごせて本当にうれしかった」

 最後を読み上げるのはアリスの役目だった。


 彼女はそれをポケットにしまい込むと、そっとその場を後にする。見ているだけで不安になりそうなほどに、儚げで危なっかしい印象を受ける。表情はどこまでも虚ろだった。


「魔法使いの娘がこれからどうするのか。それは誰も知らない。彼女はまたしても大切な人の死に立ち会えなかった。それはもはや自分の運命だと思った。彼と結ばれることができなかったのも、偏にそのせいだと。ゆらゆらとした足取りは死人じみていて、その姿は闇の中に消えて行った――」


 と、瀬田部長によるモノローグが入って劇は幕を閉じる。アリスもようやく現実へと戻ってきた。しかし、なぜか浮かない表情のまま。


「あの、瀬田さん。やっぱりわたくし、このラストはちょっと……」


 それはどこか躊躇いがちだった。しかし、その中身はしっかりと演劇部部長に牙をむいていた。


 突然の批評を突きつけられた瀬田は、目を白黒させると、すこし渋い顔でかぶりを振った。そのままの表情で自らの頬を擦るのだった――

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