第六十二話 とりとめのない会話

「――って、酷いと思わない、幸人のこと?」

「……小峰君って、そういう人だったんだね。私、知らなかったや」


 得意げにプール授業での話す学に、吉永は軽く……いや、とてもひいていた。仕方ない、この男、俺にプールを叩き落とされた事情を、包み隠さず話していたわけだった。


 体育が終わった後の昼休み。教室にはいつもと変わらない風景が広がっている。普段より人が多く見えるのは、さすがにやんちゃな男子連中もバスケに赴かないからだ。


「ただの水泳バカと見せかけて、結構俗物的なとこあるからな、こいつは」

「それが群を抜いた水泳の腕前のわりにモテない理由でもある」

「うわっ、まさか二人からそこまで言われるなんてね……」

 学はげんなりした様子でそう呟くと、悲しがるようにかぶりを振った。


 俺たちはいつものように談笑しながら昼食をとっていた。それはここ最近変わらないこと。しかし、一つ違うことがあって――


「そういえば、中学の頃からいやらしい目つきしてたわね、小峰君……」

「そっか! 雪江さん、同じ部活だったんですもんね。ご愁傷さまです」

「うわぁ、どうかと思うよ、私……」

 ちょっと吉永が机をずらす。


 そう、今日は雪江が混じっていた。俺たち席が近い五人の集まりに。彼女の本来属するグループである柳井一派は教室の前の方でわーわー盛り上がっていた。おおよそ、文化祭のあれこれを話し合っているのだろう。実行委員の姿も見受けられる。


 プール授業ということは、いつもよりも着替えに時間がかかる、ということで。教室に戻った時には、女子たちがその栄華を誇っていた。

 それはアリスと吉永も例外ではなかった。二人は先に弁当を食べていて、そしてそこに雪江がいた、というわけである。しれっとした表情で学の席を独占していた。今も俺の真ん前にいる。

 そうなってくると、俺としては疑問を感じながらも、それに合わせなくちゃいけなくて――


「なに?」

「いや、別に……」


 ぼんやりと眺めていたら、奴に冷たい声で咎められた。居心地の悪さを覚えて、俺は思わず顔を背ける。肩をちょっと竦めて、首筋の辺りを掻いた。

 気まずさを隠すように、俺はアリス特製の手作り弁当に集中する。彩りは豊か、味付けは控えめ、ボリュームは十分。文句のつけようのない完璧な中身だ。ありアリ――ありがとうアリスの略。今度タイミングをみて使ってみよう。


 しかし、雪江が近くにいるっていうのは不思議な感じがするんだよなぁ。勉強会の時からそうではあるんだが。まだ慣れない。果たしてこいつの考えていることがわかる日は来るのだろうか。

 とりあえず、もう少し愛想よくしてくれてもいいのに、と思う。まあ剛や学に対しても扱いがぞんざいだから、俺にだけへの当てつけではないのかもしれないが。


「待って、待って! 免罪だよ、免罪!」

「冤罪、な。漢字や音は似てるけど、意味全く違うから」

 しれっと剛のツッコミが入る。


「とにかくそのナントカ罪! 誰も湊さんのこと、そんな目で見ないって」

 その言い方だったら、犯罪みたいな感じになっていると思う、

「それはどういう意味かしら、小峰君」

 その声色は背筋がぞっとするほどに冷たかった。


 思わず俺は顔を上げる。ぱきっという音が聞こえたのは気のせいだ。しかし、そんな音がしてもいいほど、雪江はギリギリと箸を握りしめていた。平静を装っているが眉毛がぴくぴく動いている。

 彼女の背後にオーラのような見えて、俺はただひたすらに恐ろしかった。これが昔なら、直情的に怒鳴り散らしそうものなのに。こうして静かに怒りの炎を燃やされると、ただひたすらに怖い。


「それは……ね、幸人!」

 焦った顔で、奴はこちらに笑いかけてきた。

「ば、ばか、こっちに爆弾を――」

「ふうん。幸人も失礼なこと考えてたの……。アリスさん、酷いと思わない?」

「……最低です、幸人さん! そんな人だと思いませんでした!」

 ぐずぐずと彼女は鼻を鳴らす。

「いや、違う、違うから。なんだよ、アリス。お前ま、で……?」


 彼女の名前を呼んだ瞬間、空気が変わるのを感じた。微妙な気分になりながら、俺はおずおずと口を閉じる。とても気分が落ち着かない。

 特に吉永なんかは目をキラキラと輝かせている。普段小さめな瞳がこれでもかといわんばかりに大きくなっていた。がっつりと、前傾姿勢を取っている。


「ねえ、今、白波君、アリスって呼んだよね! それってもしかして、二人付き合ってる?」

「いや、それは――」

「はい! 一昨日、ついに結ばれちゃいました!」

「キャー! もうそんなところまで」


 何か盛大な勘違いが行われている気がするが、パンドラの箱を開ける勇気はなかった。一人ハイテンションに盛り上がるクラスメイトのことを見ていることしかできない。

 

「まあだろうな。なんとなく察しはついてた」

「というか、特に驚くことじゃないしねぇ」

 

 対して、俺の友人たちは至極冷静である。まあ、この一月近く付き合わされればそうもなるか。退屈そうなのを通り越して、呆れてさえ見える。


「おめでとう、アリスさん。これからも末永くお幸せにね」

「ありがとうございます、雪江さん! 貴方のアドバイスのお陰です」

「……アドバイス?」

「乙女の秘密、よ。幸人、ちゃんと彼女さん、大事にしなさいよ」

 

 その幼馴染の微笑みはとても晴れやかだった。目は潰れて、口角もよく上がって、無邪気さをいっぱいに含んだ笑い方。つい、目を奪われてしまうほどにすっきりとしていた。


「やっぱり金曜日の放課後の話は本当だったんだ!」

「……ええと、吉永さん? それはどういう話なんだい?」

「玄関前で二年生の男女が告白劇を演じてたって。片方がアリスちゃんなのは知ってたけど」

 語尾にキャーッとつけて、吉永は純情アピールを怠らなかった。


 うんうん、と当事者以外の三人もしっかり頷いている。どうやらかなり噂になっているらしい。三人ともかなり辟易しているご様子。溜息とか連発されてもおかしくないくらいに。


 しかし、あのことか……思い返すと恥ずかしくなってきた。体が熱くなっていく。自分でもよくあんなことができたものだと驚愕している。

 さしものアリスも、どこか照れているみたいだった。珍しく耳まで真っ赤にしている。それは、それは可愛いんだけど。……いやいや、落ち着け、俺。変なこと考えるな。


「バカだねー、幸人は。これからずっといじられ続けるよ?」

「本当に愚かなのはあなただけどね、小峰君。さっきの話、葛西さんにも報告しておくから」

「えっ!? いや、どうしてそこで葛西さんが出てくるんだよ?」

「さあ、どうしてかしら?」

 雪江はクスリと笑って、首を傾げた。

 

 突然、同じクラスのバスケ部の女子の名前を告げられて、見るからに学は狼狽えていた。……なんとなく察しがついてしまう。吉永はまたにやにやしてるし。


「いいなぁ、アリスちゃん。私も彼氏欲しいなー、なんて?」


 彼女がちらりと視線を送ったのは剛の方だった。当人には全く気付いた様子はないけれど。黙々と、弁当を攻略している。

 逆にこっちがいたたまれなくなってしまう。雪江までも難儀そうな顔してるし。ついには、吉永はどぎまぎした感じに俯いてしまった。


「……ええと、でも湊さんも羨ましいなぁ。ちゃんと泳げて。アリスちゃんもそうなんだろうし。私なんて、今から来月のプール授業が憂鬱で仕方ないのに……」

 無理矢理に話題を変える吉永。見ている分には面白い。

「……いや、まあ、アハハ。ええと、唯さんは泳げないんです?」

 なんとなく俺はアリスの笑い方が気になってしまった。


「そーなの! 私、金づちで」

「学校の体育なんて適当でいいのさ。男子もみんながみんなできるわけじゃないぜ?」

「そーそー。剛みたいに」

「へー、大力くん、泳ぎもダメなんだ!」

「も、っていうのは止めてくれ吉永」

 憤る剛の姿に、俺たちはみんな笑いが堪えきれなかった。

 

 その後も談笑は続く。基本的に喋り担当は吉永と学だ。二人が中心となって話を進めて、それに剛がツッコミを入れる。残りの三人は聞き役に徹することが多い。

 アリスが転校してきて、俺の日常というのはがらっと変わった。まあそれにもようやく慣れてきたところだが。ほんの一月前はいつもの二人以外と、昼飯を食べるなんて思いもしなかった。


「――なぁなぁ、白波君? あの件はどうなった?」


 そんな日常に水を差す男が現れたのは、粗方弁当を食べ尽くした時のことだった――

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