第五十二話 不思議な帰り道

 チャイムの音が完全下校の時間を知らせた。俺はピタッと手を止める。一問一答の答えを書いた紙を、生物のワークに挟めたまま閉じた。そのままテキパキと机の上のものを鞄に閉まっていく。


 あの自動販売機前の会話が嘘だったみたいに、雪江は一切俺に話しかけてこなかった。あれはいったいなんだたんだろう。すぐ近くにいるはずなのに、その真意は一向にわからないまま。

 代わりといってはなんだが、柳井たちは遠慮なく俺に質問をしてきた。二度の質問対応の結果、俺も頭いい奴として登録されたらしい。光栄なことである。


「ふぅ~、こんなに勉強したのは久しぶりだ!」

「いやぁホント、ホント。肩が凝るっていうかー」

「なんか今日一日ですっごく頭がよくなった気がするなぁ」


 新参者たちは、思い思いの仕草で勉強の疲れをほぐしている。ぐっと身体を伸ばしたり、首をポキポキと鳴らしたり、椅子に手をついて腰を左右に捻ったり。

 雪江だけは平然とした様子で片付けの手を進めている。どこまでも清楚で真面目な雰囲気。明城をからかっていた姿はどこにもない。


 机をしっかりと整理し直して、俺たちは教室を出た。今日は最後ではなかった。そのまま八人というそれなりの集団で、玄関を目指す。


「大活躍でしたね、ユキトさん」

「……そうか?」

 隣にいる明城が嬉しそうな表情で、俺の顔を覗き込んできた。


「結構色々と教えていらしたじゃないですか」

「剛ほどじゃねえよ。明城も吉永に付きっきりだったし。それに比べたら俺なんか」

「謙遜すんな。全部問題なく解決できてたんだから、立派だぜ」


 すぐ前を歩いていた友人がそのいかつい顔を見せてきた。隣の吉永との身長差が凄い。三、四十センチくらいはありそう。剛は男の方でも背が高い方、そして吉永はその逆。奇跡のコラボレーション、ここに見参みたいな感じ。


「そうそう、まさか白波があんなにできる奴だなんてなー。正直見直したよ、なっ、悠斗」

「……まあな。でも俺は、アリスちゃんのこと諦めたわけじゃねーかんな!」 

「うっわー、清々しいまでの負け犬ゼリフだねー、悠斗。ダサいよ?」


 後ろを歩く柳井軍団は平常運転らしい。よくわからないことで盛り上がっている。これでまだ完全体じゃないってんだから、驚きだ。


 その後も適当に言葉を交わして、校舎の外へ。夕焼け空は奇麗だった。空の端々には、夜の帳が迫っているもののそれがまた美しさを際立てている。


「それじゃあ、私はこれで」

「あれ、吉永さんも同じ方向なんだ?」

「うん。あそこのコンビニ近くのバス停で――」

「あたしと一緒だ~。一緒に行こうよ」

 

 まず別れたのは吉永と、そして寒河江。俺たち六人は二人に背を向けて駐輪場へと歩いていく。太陽とは逆の方向だから、その影は縦に長く伸びていた。

 俺がいつも下校する時間とは違って、道を歩く生徒の数は少ない。閑散として、ともすれば、もの悲しさすら感じさせる。しかし、俺の胸を占めるのは微かな幸福感だった。友達と勉強会だなんて、そんな普通の青春がとても楽しく思った。


 俺と明城は当たり前だが、雪江もまた入口から中ほどのところに自転車が置いてあった。他の三人は、さらに奥へと進んでいく。


「あなたたち、毎朝一緒なの?」

「当然です。迎えに行ってますから!」

「明城、そういうことは黙ってていてくれると助かるんだが」

「今更じゃない? 何度か一緒に走ってるところ見たことあるから。それに、クラスのみんなもなんとなくわかってるわ」

 あっさりとした雪江の物言いに、俺としてはもう何も言えなくなった。


 そのまま自転車を出し終えると、俺たちは近くの出口のところで剛たちを待つことに。止まっている自転車の数は元々少なく、駐輪場はあまり混雑していない。それでも道の端によって、三人縦に並ぶ。


「お前ら四人は同じ方向なんだよな?」

 待ち人たちはまもなくやってきた。

「ああ。柳井たちは?」

「俺らはあっちだから」


 真島が指さしたのは、俺たちとは逆の方角だった。少し行くと、橋が架かっている。下を流れるのは、小さな川。人工河川らしいが、行ったことは一度もない。


「……今日はありがとな。また明日も頼んでいいか?」

「もちろん」


 ぶっきらぼうな言い方だったけど、嫌な感じはどこにもなかった。柳井はそのまま照れくさそうに、自転車を漕ぎ出していく。


「じゃあな、四人とも」

「悠斗、こんな時までかっこつけちゃって。じゃ、俺も行くわ」


 二人はイケメンらしく(?)爽やかに去っていた。その姿を見送って、俺たちも走り出すことに。





        *





 いつもの帰り道。俺たちは大きな道路が二本合流する一際大きな交差点に差し掛かった。久しぶりの赤信号。しかもたちが悪いことに、たった今その色が変わったばかり。

 傍らには、いつかの日に明城と寄った大手ハンバーガーチェーン店がある。あの時は、いきなりどしゃ降りになって雨宿りをしたんだったか。テレビでしか見たことがない、ゲリラ豪雨じみていたからよく覚えている。


「どうした、腹減ったのか?」

 ぼんやりとその店を眺めていたら、隣から声をかけられた。

「いや、ちょっと考え事をな」


 四人並んで走ることなどできないので、階段の時みたく二人ずつに別れていた。それでも走り出せば、ほとんど縦に並ぶことになるけれど。

 後ろでは、女子二人が何かを話している。淀みなくぺちゃくちゃとではなく、散発的にぽつぽつと喋っているからその内容はよくわからない。走行中もペースを落として、何か言葉を交わしているみたいだ。

 雪江がすぐ後ろにいるということは、不思議でしょうがなかった。確執はあったはずなのに。あいつの意識としては、明城と帰っているというつもりかもしれないが。実際、一言も俺とは口をきいてないし。


「あの写真の出所は誰だったんだろうな?」

「何の話だ?」

「ほれ、お前と明城が初めて帰った時の」

「そんなこともあったっけ? まあ、今となっては――」

「真実だからどうでもいいってか?」


 茶化すように笑うと、奴は自転車を漕ぎ出した。タイミングを計っていたらしく、ほぼ同時に信号が青に変わる。

 虚を突かれた形になって、ちょっと遅れて俺もそれを追いかけることに。ペダルを踏み出す前にちらりと後ろに顔を向けると、明城が一生懸命俺の幼馴染に何かを言っている姿が見えた。目が合うのが、照れくさくてすぐに前を向く。


「待てよ、剛!」


 わざとらしく友人に向かって叫んだ。その背中を夢中に追う。明城たちが何を話しているかは、ものすごく気になったけど、それを振り払うように足に力を籠める。


「あいつとはそんな仲じゃないからな」

「今はまだ、だろ。いつ告白すんだ?」

「よくもまあ、そんなずけずけと……」

「知的好奇心の奴隷、なんでな」


 ははっ、と豪快に笑う剛。そこに人のことを思いやるような繊細そうなところはない。基本的に、大力剛と言う男はひたすらにがさつだからな。長い付き合いだからよくわかってる。

 子どもの頃から、こいつは難しそうな本ばかり読んでた。周りが小学校にある図書室に漫画があることにはしゃいでいるのに、この男は小説のラインナップの少なさに文句を言ってた。そして中学に上がれば、一度も学年一位の座から陥落することなく走り抜けるし。


「そうだ、もう一つ気になってたんだ。湊と仲直りしたのか?」

「何言ってんだ、お前? 寝ぼけるにしては、中途半端な時間だぞ」

「だって自動販売機のところで一緒だったんだろ?」

「あいつ、何か言ってたか?」

 

 長い時間席を開けていたと思ったけど、特に誰もそれに突っ込んでくることはなかった。明城と一緒に戻ったせいか、柳井には少し睨まれたけど。とにかく、それで雪江が何かフォローしてくれたのか、と気になった。


「いや、別に。しれっとした顔で、飲み物持って席に座った。ちょっと楽しげだったけどな」

「よく見てんのな、はっ! もしかして、ゆき――」

「それはない。で、何があった?」

「ちょっとトラブってさ、明城のことがバレた。前世のこと」

「ああ。それで湊のやつ、一生懸命明城に話しかけてんのか」


 一生懸命、ねえ。先のといい、よくあいつの感情の機微に気付くもんだ。まあこいつも小学校から一緒なわけだし、付き合いが長いことは確かか。……あんまり話してるとこ、見たことないけど。

 とにかくそれ以上、この話題を続けるのも憚られたので、俺は口を閉じた。どうせ、こいつと別れるポイントも近いわけだし。

 ふと、後ろに耳を澄ませてみたものの、彼女たちの話し声は激しい車通りにかき消されてしまうのだった――

 

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