第四十八話 接近

「ねー、白波。あんた、今日も放課後アリちゃんとかとべんきょーすんの?」


 一生懸命ちりとりに小さな箒でごみを押し込めていたら、上からけだるげな声が降ってきた。見るとそこにいるのは、こちらが恥ずかしくなるほどにスカート丈が短く、ブレザーの前をだらしなく開けている、赤みがかった茶髪の女――寒河江だ。

 ブラシを支え棒みたいにして寄りかかり、そのてっぺんに顎を付けて俺を見下ろしてくる。ああ、毛先が可哀想。


 さて、そんなクラス一のギャルが俺に話しかけてくるとは。明日は季節外れの雪か。防寒着の準備をしておかなければ。憂鬱すぎて、つい眉間に皺を寄せてしまう。


 翌日、火曜日のこと。いつものように放課後は訪れた。当然、掃除当番が昨日一日限りという素敵なことはなくて、俺はこうして今日もまた楽しい清掃活動に従事している。

 しかし、それもようやく終わる。所謂、クライマックス。机も元の位置に戻し終わり、後はゴミをまとめるだけ、といったところ。


「そうだけど」


 俺は警戒しながら答えた。勉強という単語が、このクラスメイトには相応しくないと思ったからだ。……我ながら偏見だと思うが。とにかく、どうせろくな話じゃないだろう。


 明城アリスという女は用意周到なので、朝のホームルームが始まる前には、その約束を取り付けられた。意味ありげに『今日もしますよね?』と言ってきた。

 ちゃんと目的語をはっきりさせて欲しい。剛と話し込んでいた時に、いきなり肩を叩かれて振り向きざまに言われたから、思考が追い付かなかった。隣の吉永はちょっと顔を赤らめてやがったし。


 まあ断る理由もなくて、俺も剛も二つ返事でオーケーした。むしろ、家で勉強しないか、と誘われるよりは数倍まし。あいつのことだからやりかねないと思ったが。そうしてこない理由は不明。というか、俺の自意識過剰な気がしてちょっと恥ずかしいな。


「……じゃあさー、あたしたちも混ぜてくんない? お願い!」

 申し訳なさそうな顔で手を合わせる寒河江。

「はい?」


 俺はすぐに事態が呑み込めなかった。咄嗟に目や耳が腐ってしまったのかと思えてしまうくらいに、その言葉は信じられない。我に返ったのは、手に持っていた箒を落としたからだった――





        *





 その数分後。昨日の四人によるささやかな勉強会は、その人数をちょうど二倍にして始まりを迎えようとしていた。八つの机をくっつけて、巨大なを形成してある。


 寒河江はあの時、と言っていた。だから、複数いるのは覚悟していた。そして、それがあいつの知り合い――つまりは、クラスの最大派閥だということもわかっていた。人数が少なかったのは意外だったけど。

 とにかく、彼女以外の面々はとというと。クラス一チャラい男子柳井、そして、さわやか系イケメンテニス部の真島。あんまり成績が良くないらしい、この二人。……しかし、その別な狙いは透けて見えるが。


 ここまではまあいい。問題はこの男連中と寒河江ではなくて、残りの一人の女子である――


「どーして、湊さんまでいるんですか!」


 小声で非難の声を上げてくる明城。おまけにかなり距離を詰めてきているので、あいつの顔がすぐ近くにあった。相変わらず、人目を気にしないというか、自分の感情に素直というか……。

 幸いにして、廊下には人影が全くない。帰りのホームルームが終わってからかなり経っていた。それに。三階は放課後の学生が訪れる教室も少ない。ただ、うちの教室も含め、縦に並ぶ八つの教室からは絶え間なく喧騒が響いてきているのが気になるが。


「ちょっと近くない?」

「いいえ、そんなことありませんとも! というか、はぐらかさないでください!」


 そういうつもりはないんだが。こうなっては、仕方ない手っ取り早く話を済ませて中に戻る。これが唯一にして最大の目標だ。

 ただし、その前にちゃんと適切な距離を置く。誰かに見咎められでもしたら面倒くさい。あからさまにがっかりしたところを見ると、確信犯だったらしい。


「仕方ないだろ、俺だって知らなかったんだ。ただ寒河江に『うちらもべんきょーに困ってて。だから教えてくんない?』って言われただけだったし」

「どうしてそこで断らないんですか!」

「いや、だって本当に困ってるみたいだったし。別にいいかなーって」


 もちろんその時に、一応剛には許可を取ってあった。明城たちは廊下にいなかったから、事後承諾ということにしたが。

 柳井の意図がどこにあるにしろ(初めは知らなかったが)、一緒に勉強という行為自体には何の問題もないように見えた。とっつきにくいグループだと思ってるが、心の底から嫌悪してるわけでもない。


 とにかく掃除が終わり廊下に出たところで、柳井一味と遭遇した。その時に、勉強会のメンバーを知ったわけである。その時には、まだ雪江はいなかったが。

 七人で教室に入り、場所をセッティングしたところ、雪江がしれーっとした顔で俺たちのところにやってきた。そこで初めて、あいつもいる、ということを知った。そして明城が、驚きの表情を浮かべたまま俺を連行してきた、という次第である。


「別に何の問題もねーだろ。もしかして、お前って、湊のこと嫌いなのか?」

「いえ、そんなことは。でも、気になっているというか」

「……恋。してるのか?」

 もじもじとしたその姿に思うところがあった。


「わたくしがユキトさん以外に恋すると思いますか? そもそも、湊さんは同性ですし」

「いや、知らんけど。ほんの冗談だから、そんな鼻息を荒くすんな」

「はなっ……ユ、ユキトさんにはデリカシーというものがないのですか!」

 ちょっとその顔が赤くなっている。


 不当に怒られた気がする。いったい何がこいつの逆鱗に触れたのか。いや、わかるけど、気にしすぎだろ。比喩表現? 慣用句? とにかく、本当にあいつの鼻息が荒かったわけじゃないのはわかってる。


「別の表現をすると、苦手、ですかね? なんとなく思い出してしまうというか……」

「何を?」

「申し訳ありませんが、教えられません……」

 冷然とした顔で首を振る明城。

「……また前世関連か」


 俺は苦々しい顔で首を振った。こいつが話したがらないことと言えば、これくらいなので、なんとなく察しはついた。しかし、そこにどうして雪江が出てくるのか。まさか、あいつもまた、前世の俺たちの物語の関係者だというんじゃないだろうな……。

 って、それはあまりにも滅茶苦茶すぎる。もし、思考を悟ることのできる奴がいたらびっくりしそうだ。とにかく、俺としてもそこはあんまり突っ込まないと決めているので、聞かないことに。大事なのは今。だから、こうして努力してるわけだし。


 理由はともあれ、明城は雪江のことが得意ではない。これが今一番問題。気付いていなかった、と言ったら嘘になるが、さして気にもしていなかった。わざわざ確認するのもおかしな話だし。


「じゃあどうする? 帰ってもらおうか?」

 言いながら、そんなの無理だろうとは思ってた。

「いいえ、さすがに失礼でしょうし。見極めるいい機会と思えば、これもまた」

「物騒なこと言ってますね、明城さん……いつかの時みたく、喧嘩すんなよ」


 あれは本当にびっくりした。ただでさえ出会ったばかりの頃で、こいつのことがよくわかってなかったし。彼女の物腰が柔らかい感じと、雪江に対して激昂する姿がどうにもミスマッチだったのをよく覚えている。


「あの時は――いえ、すみませんでした。湊さんは悪くないですから。それとなく謝っておきます」

 恥ずかしそうな顔をした後に、彼女はちょっと落ち込んだ姿を見せる。

「気にしてないと思うけどな、あいつなら」

「よくご存じなのですね、彼女のこと」


 ツーンとしたその表情は明らかに不満げだ。そのままそっぽまで向くもんだから、こいつは自分の不機嫌さを隠すつもりはないらしい。感情表現豊かなのは結構なことである。


「……妬いてんのか」

 ちょっと揶揄ってみることにした。

 

 しかし――


「はい、妬いてます」


 そんな風に燦然と煌めく笑顔で言われると、困るのは俺の番だった。その跳ねるような言い方と、満面の笑みはずるい。流石にあざとい。墓穴を掘ったと反省する。居た堪れなくなって、俺はつい目を逸らした。こちら側の敗北である。


「とにかくだな、教室に戻るぞ。いつまでもこうしてるのは変だ」

「わたくしは、このまま貴方様と永久に二人きりでいたいのですけれど」

「はいはい、ありがとうございます。そしたら、お前はここにいればいい。俺は戻るから」

「ユキトさんがいないと意味ないんですけれど!」

「だったら、黙ってついてこい」


 半ば無理矢理に会話を切り上げて、俺は一足先に教室の中へ。たちまち、あいつもついてくる。全く初めからそうしていればいいものを。


 すでに勉強会は始まっているようだった。俺たち二人以外はみんなお行儀よく机に座り、思い思いの勉強をしている。

 空いている席は二つ。当たり前だが。その位置がとても問題だった。奥の端で隣り合っている。これはいい。最奥の真ん前は、吉永。その隣は剛。では奥から順番に明城、俺と座ればいいかと言えば―


「あの、どうします、明城さん?」


 隣で、ピキピキと空気が凍り付くのを感じながら、俺は恐る恐る隣の女子に伺いを立てた。そう。どちらかは、雪江の隣に座らなければならなかった!

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