◆子イリヤ、海へ行く・後編(クローセル視点)
「クレーメンス様、見知らぬ人に不用意に近づいてはなりません」
私の方へ向かう子供を、護衛の二人が慌てて止める。このまま引き取ってもらえればと思ったのだが、子供は振り払って進んだ。
「僕はクレーメンス・エーリク・オールソンです。悪魔が大好きで、ぜひ僕とお話してください」
年のころは十歳前後であろうか。くるりとした茶色いくせっ毛で、私を歓喜に溢れた目で見上げている。
「申し訳ないがの、私は主の供をしている。しっかりと勉強をして、大人になったら自分で悪魔を召喚しなさい」
こちらも目が離せない子供付きだからの……!
「それが、召喚の才能がないようなんです。先生に監督してもらって小悪魔を召喚した筈なのに、何故か妖精が現れたのです。先生からは、お前は才能がないから召喚をするな、ときつく言い渡されました」
それはまた、ずいぶんと適性のない人間だわい。こういう人間に魔力が多いと、危険な者を喚び出してしまう。禁止されるのは当然であろう。可哀想だが、こればかりは仕方がない。
私は召喚も出来ないような人間と、契約を結ぶつもりはないしの。
「残念だが、それも運命というもの。貴族であれば、立派な悪魔を連れた人物に会うことも多かろうて。それで我慢しなさい」
「高位貴族の悪魔とは、そうそう会わないです! ぜひわが家へいらしてください、おもてなしの限りを尽くします。一緒にモーニングコーヒーを飲みましょう!!」
妙な言い回しを覚えた子供だの。護衛もおかしいと思ったのだろう、堪えきれず吹き出している。
「このような場面で使う言葉ではありませんよ、クレーメンス様」
「誘うにはこの言い方がいいと、父上が」
「伯爵様にも困ったものだな……」
この子の父親は、伯爵か。言動はともかく、さすがに受け答えはしっかりしているし、立ち振る舞いも貴族らしい。
「先生、お友だちですか?」
面倒なところにイリヤが来てしまったわい。
「いや、話し掛けられただけだぞい。買い物は終わったかの?」
「おわりました! イリヤ、干した魚とね、イカを買いました。あのね、あとつぶつぶも、かわいいから買ったよ」
ビンに入った、塩漬けのイクラを出して披露する。つやつやした明るいオレンジ色が、宝石のように映ったのだろう。
「……庶民の……子供?」
クレーメンスと名乗った男の子は、私と会話をするイリヤを見て不思議そうに首を捻った。召喚術を使えるようにも、契約について熟知しているようにも思えないからの。
「小娘、もう良いであろう。帰るぞ」
「いいよ。たくさんお買い物できたよ!」
後から現れた閣下のお姿に、クレーメンスは二度瞬きをしてからピシッとしっかり立った。
「立派な方だ……、この方が契約者であるに違いない」
魔力を隠したベリアル閣下のことは、さすがに悪魔とは見抜けなかったようだ。仕方あるまい。私の契約者と勘違いしているが、問題はなかろうの。
「……この子供は、なんであるかな?」
「は、はい。僕はクレーメンス・エーリク・オールソンと言います。悪魔が好きでして、貴方が契約された悪魔の方と是非お近づきになりたくて」
「……我が契約した、とな?」
「こんにちは、イリヤです。イリヤもお友だちになる~!」
イリヤは会話に入らなくていいのだ、混乱するだけだぞい!
「こんにちは、イリヤちゃん」
クレーメンスは笑顔でイリヤと握手を交わした。イリヤの服装は明らかに庶民なので、貴族のこの子に冷たくされないかと危惧したが、いらぬ杞憂であった。
「イリヤはね、あっちの山から来たよ。お兄ちゃんはどこ?」
「僕は王都に屋敷があるんだ。ここにはね、丘の上に海を望む立派な別荘を建てたんだよ。イリヤちゃんも、このお二人と一緒に招待するよ」
「すごい、イリヤごしょうたいされたよ! かっか、先生、行くですよ!」
くっ。下心が見え見えだわい……! イリヤは喜んで興奮しているが、すっかりダシにされているだけだ。
「阿呆、もう帰ると申しておろうが」
「ええ~、せっかく海なのに。もっと遊びたいのに!」
余計な提案をするから、イリヤが拗ねてしまうぞい!
そろそろ夕飯の買い物の時間だろうか、道には多くの人が行き交い、たまにこちらをチラリを窺う。貴族同士だと思っているのであろう、誰もが遠巻きにして通り過ぎた。
「連絡もなく泊まると、母御が心配するからの。また今度にしなさい」
「むむむ。そうでした。……またね、お兄ちゃん」
「残念だなあ……。いつか遊びに来てね」
名残惜しそうな二人に反して、護衛が申し訳なさそうにしている。こんな子供をいきなり家に誘うなど、誘拐犯だと誤解されるぞい。
閣下はイリヤを肩に乗せ、その場で浮かび上がる。予定よりも遅くなってしまった、少々急がねば。
「ばいばい!」
「あまりお付きの者を困らせてはならんぞい」
一生懸命に手を振るイリヤに、クレーメンスも大きく振り返す。
「またね、イリヤちゃん。皆様、是非ともまたお会いしましょう」
「うん、イリヤまた海に来るよ~。イリヤは~キラキラのう~みで~、もぉっと遊ぶよ~、かっかとあそ~ぶよ~」
また歌い出した。閣下は砂浜で遊んだりせんぞい。全く自由な子供だ。
「悪魔と一緒に飛ぶ……、憧れるなあ。僕も飛行魔法をたくさん練習しよう」
「まだ早過ぎますよ、クレーメンス様。飛行魔法は魔力操作が繊細な魔法でしょう、操作から会得しなくては」
「魔法は得意だからね。なんで召喚は、こんなにダメなんだろ……?」
見送る一行が遠くなり、海は静かにさざ波を寄せる。
丘の上には、木に囲まれた広い屋敷が建っていた。アレがクレーメンスの家の別荘なのかの。海側は見通しが良いように整えられていて、海を鑑賞するにはいいだろう。
他にも広い庭を抱えた豪華な別荘が、幾つか並んでいる。しっかりと整備された道を、護衛に守られた馬車が走っていた。
「ふあ~……」
イリヤが大きなあくびをした。
その瞬間、持っていた袋が手から滑り落ちた。落下するそれを、私は慌てて掴む。中から零れた干物も、地面に落ちる前に回収した。
「ひゃああ、先生ありがとうです」
「小娘、手を放すでない!」
「イリヤ、これも私が預かるぞい」
もし地面に落ちたら、私が拾って来ることになるだろう。もしくは買い直しだ。手のかかる子供だわい。塩や他の土産と一緒に、預かることにする。
「ええ~、イリヤのだもん。今度はちゃんと、しっかり持つです」
「クローセルに任せておかんか。そなたは全く当てにならぬ」
「ぶーぶー!!」
またこの子供は、閣下にブーイングなどして! 閣下から大事にされているから、すっかり増長してしまった。
「このような高い場所から落としたら、ダメになってしまうぞい。村の入口できちんと返すから、安心しなさい」
「はあい。……でもイリヤ、ちゃんと持てるよ」
「解っておるわい」
どうも、しっかりしていると思われたいようだ。仕方のない。
海は遠ざかり、森が深くなる。だいぶイリヤの村が近くなった。
気が付けばイリヤは、閣下の肩でウトウトしているぞい。
「閣下、イリヤが眠そうでございます。肩に乗っていては、少々危険では」
「……仕方のない小娘よ」
閣下は苦笑いをされ、イリヤを肩から滑らせ、胸にしっかりと抱えた。肩口に顔を寄せたイリヤの、小さな手が閣下の服をキュッと掴む。
「ふにゅ~……うみ~……。またかっかと……砂でお山を、作るです……」
「作っておらんわ!」
夢の中で、閣下と砂遊びもしたのかの……。
迷惑な寝言は、やめてほしいぞい!
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