イリヤの妹エリーと、婚約者のリボル・前編(リボル視点)
母親と兄が熱を出した。
常備しておいた熱冷ましの薬を飲ませたけど、まだ熱は引かない。僕は急いで先生を呼びに、二つ離れた村まで走った。そこには若いけれど立派な先生が住んでいる。
息を切らして辿り着くと、家に先生はいなかった。ちょうど往診に出掛けてしまったらしい。別の村に行って今日中に帰ってくると言う話だったので、家の場所を告げてすぐに来てほしいと言伝を頼み、いったん家に戻ることにした。
家は祖父と両親、兄と僕の五人暮らし。ただ、祖父と父ではろくに看病も家事も出来ないと思う。近所の親戚に頼めればいいんだけど、気位の高い祖父と父はあまり好かれていないんだ。僕が帰らないといけない。
ずっと走っていたから、さすがに疲れる。途中で座り込んでいると、ガサガサを葉っぱを踏み分ける音が響く。獣、じゃないな。人だ。誰かが来た。
「あの……、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
若い女性の声。顔を上げると、肩までの薄紫の髪をして長袖のワンピースにズボンを穿き、赤いベストを着た女性が心配そうにこちらを見ていた。
「……すみません、大丈夫です。走り疲れただけなんです。実は……」
理由を話すと、女性は真剣に耳を傾けてくれた。いい娘だな。
「姉の作った薬が家にあります、差し上げますね」
「そんな、悪いですよ。明日には先生が来てくれますから」
「お気になさらず。すぐそこの村に住んでいるんで、持ってきます。待っていてください」
彼女は屈託のない笑顔を浮かべ、小走りで向かってくれた。
そして薬と、飲み物を入れた筒を僕に渡してくれた。
「あ、ありがとうございます。僕はリボルです、貴女は……?」
「私はエリーって言います」
何度も頭を下げて、家に向かって再び走った。夕飯は差し入れてもらえるはずだけど、母と兄の容態が気になる。きっとろくに見てくれてないだろうなあ。
家に着いてからまずは、先生が出掛けていたから、来るのは明日以降になる事を皆に告げた。それから母と兄に飲み物を用意し、ご飯が食べられたか確認する。彼女にもらった薬を服用してもらおうと思ったんだけど、得体の知れないものを使うなと父に止められ、結局飲ませる事は出来なかった。
せっかくの好意なのに、申し訳ない。僕は紙に包まれた粉薬を机の上に置いて、しばらく眺めていた。隣には一緒にもらった、飲み物の筒。これは洗って帰した方がいいかな。
次の日の昼過ぎ、早速先生が来てくれた。
トビー先生という、気さくないい先生なんだ。この辺りでは有名な偉い先生のお弟子さんで、同じお弟子さんと結婚して、出身の村で診療所を開いている。
「ちわ~。往診に来ました。調子はどうですか?」
「おお先生、お待ちしておりました。妻と長男が熱を出しておりまして」
父親が案内している。祖父が村長だから普段は偉そうなんだけど、こういう人には丁寧になるんだ。先生はまず母親の寝室に行き、症状はいつからか、ご飯は食べられているかなど、幾つか質問してから兄も診てくれた。
「どもども。声が掠れてるし、最近流行っている風邪だと思います。今年は喉が痛くなる人が多いですね。すぐに治りますよ」
「確かに家内も長男も、喉の痛みを訴えます」
良かった、大したことがなさそうで。先生は薬を処方して、はちみつなど喉を優しく通るものを食べるように指導してくれた。フルーツもいいと言われ、父はすぐにうちの果樹園のリンゴを収穫に行って、何個か持って帰って来た。
あれで家族思いな一面もあるんだ。ただ、リンゴを剥けないだけで。
二人は次の日にはだいぶ熱が下がって、数日ですっかり元気になった。
安心すると、またエリーさんの事を思い出す。何かお礼をしたいな。でも何をあげたらいいかわからない。
「なあに、どうしたの?」
母親にリンゴを持って行き、渡すのを忘れるくらいぼんやりしていた。
「あ、いや……、お礼をしたい人が居て」
「お礼?」
「うん。先生を呼びに行った帰りに、疲れて休んでたら声をかけてくれた女性がいて。薬と飲みものを貰ったんだ」
なんだか照れくさくて、首の後ろがむずがゆい。軽く引っ掻いていると、母親がくすくすと笑う。
「そりゃリボル、しっかりとお礼をしなきゃ。可愛いアクセサリーでも買って渡しなさい」
「う、うん……」
どうも見透かされてる感じがする。そんなんじゃないって言いたいけど、何が違うって言いたいのか僕にも解らない。
とにかく、お礼はした方がいいよね。回って来た商人から可愛いスカーフとブローチを買って、彼女の村まで向かう。エリーさんのお宅はと尋ねると、すぐに教えてもらえた。小さな集落ばかりだから、だいたい同じ村の住民はみんな知り合いなんだよね。
「リボルさん? どうしたんですか?」
扉の前に立つと、不意に後ろから声を掛けられた。彼女は外出していたらしい。用意していたセリフが、全部すっ飛びそうだ。深呼吸しろ、よし……。
「え、と、エリーさん。この、前のお礼に。受け取って欲しくれ」
区切りがおかしいうえ、噛んだ! 恥ずかしい。彼女は気にしたふうでもなく、素直に喜んでくれる。あ、包装も何もしてない。剥きだしだ!
全然プレゼントっぽくないぞ。
「まあ、ステキ! わざわざありがとうございます」
「いや、なに、アハハ。……き、君は一人っ子?」
何を聞いてるんだ、僕は。
「私ですか? 母と二人暮らしですが、都会に働きに行っている姉がいます」
「そっか」
そこで途切れてしまった。自分から聞いたくせに、なぜ上手く会話をつなげられないんだ。我ながら話の下手さに呆れてしまう。
そのままエリーさんと別れた。さすがに変な奴に思われたろうなと反省していると、足取りが重くなる。また会いたいけど、会うのが怖いような……。
ウダウダしながらも数日後に出会った辺りまで出掛けて、家まで行く用事もないと諦めて帰る事を繰り返す。三回目にエリーさんと会うことが出来た。その時も普通にしてくれて、悪い印象は与えていなかったことに心底安心したよ。
それから何度も会う内に、だんだんと親しくなっていった。
ただ、問題は父親なんだよな。それなりの家にって、いつも言われるんだよな……。エリーさんの家は、村にある普通のお宅だ。しかも片親。結婚したいなんて言ったら、反対されそうだ。まだ交際もしていないけど。
付き合いましょうと告白するのって、難しすぎる。
そんなある日だった。果樹の手入れを終えてエリーさんといつも会う場所に行くと、彼女が泣いていた。何かあったのか⁉ 慌てて駆け寄る。
「ど、どうしたんですか?」
「リボルさん、姉が……、姉が事故で亡くなったって……!」
なんてことだ。じゃあ、母親と本当に二人きりじゃないか。都会で働いて仕送りしていたお姉さんが亡くなったって事は、一番大きな収入源が断たれたと言うことだ。
こんな山間の村で、女性二人だけで生活費を稼ぐのは、かなり厳しいだろう。
「大丈夫です、エリーさん。僕がいますから、大丈夫」
涙を流し続ける彼女を、そっと抱きしめた。僕が守らなくちゃ。
「……、私、どうしたらいいの……」
「……。結婚しよう。僕が君の家に行くから、一緒に暮らそう」
「え……っ?」
目を丸くして、僕を見上げるエリーさん。
「あの、い、嫌じゃなかったら、なんだけど。両親を何とか説得するから、待っていてくれる?」
「………」
沈黙が長い。そういえば好きとも言ってないじゃないか! 順番が違う!
「……えと、ほら、考えておいてくれるだけでも」
「はい」
「……はい?」
一瞬意味が解らなくて、聞き返してしまった。
「待ってます。ありがとう、リボルさん」
「はい、はい、はい! うやったあああァ!」
僕は急いで家へ帰った。もう、そりゃ今までで一番速く走れたと思う。嬉しくて心が躍る。その勢いで結婚の報告をしたんだけど、祖父も父もいい顔はしなかった。
「……お前はこの家からいずれ出る身だが、そんな苦労をする必要はない」
祖父はせつせつと、もっといい話を探してきてやると語る。
「うちの家格に合う相手を選べ。そんな片親の家など論外だ!」
父なんて、けんもほろろだ。片親だって関係ない。いい娘なのに、会おうともしてくれない。この古い価値観を、どう壊したらいいのか……。
「まあ、お前を心配してくれてるんだよ。金銭面で苦労するのは目に見えてる。安心しろ、俺が援助するから」
苦笑いをしながら、兄は賛成するよと言ってくれた。母も僕の味方だ。薬を分けてくれる優しい娘さんだもの、歓迎よと笑顔を見せてくれた。
しかし、二人とも祖父と父と揉めるわけにはいかない。実質的なこの家の権力者だし、同じ家に住み続けるのだから、仲良くしないと辛いことになる。
エリーさんは素敵な人だから、会えば皆が気に入ってくれると思うんだけど、どうしたらいいのかな……。
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