◆子供時代 ランチのサンドウィッチ(ベリアル視点)
「ふええぇ、ええええん」
小娘が朝から泣きながら歩いてくる。
「……クローセル。なんとかせい」
「はは」
我が命じると配下である侯爵クローセルは、すぐに小娘のもとへ走った。
「これイリヤ、どうしたかの?」
「ふえ、せんせ~。イリヤ、転んじゃったの。そしたらね、お弁当が飛んでっちゃったです。ころんて地面に落ちちゃったの」
持っていた布袋を、クローセルに見ろとばかりに開いて突き出す。
我も近づいて覗き込むと、袋の中には薄い木で作られた茶色の箱があり、バラバラになって土がついたサンドウィッチが入っておった。拾って来たのかね……。
「そなた、そのような物をどうするつもりだね。捨てておけば良いものを」
「洗ったら、食べられます」
「食べられんわ!!」
「だってええ、イリヤのごはん~~!! わああぁん!」
また泣き始めた! 本当に食い意地の張った小娘であるな!
「閣下、子供は育つ為に栄養を摂取する必要がございますぞ。しっかりと食事をすべきかと」
「……仕方のない。すぐに買って参れ」
「は。イリヤ、サンドウィッチだの。私が用意しよう。閣下に魔法を教わって、勉強をしていなさい」
袖で涙を拭いながら、不思議そうにクローセルを見上げる小娘。
「でも、お店屋さんはまだ来ないです。ひっく、お昼には、間に合わないです……」
小娘の言う店とは、村を荷馬車でまわる商人の事であろう。
「町へ行って来るのだ。なに、私は飛べる。昼までには戻るぞい」
「ほんと!? イリヤのお昼ごはん、もらえるですか?」
クローセルの返事を聞くと、紫の瞳は途端に喜色を浮かべた。
「もちろん。楽しみに待っていなさい」
「はい! 良かったです。そうだ、かっかの分も買ってあげて下さい。かっか、いつもあんまりごはんがなくて、かわいそうです。イリヤの、わけてあげるね」
「いらんわ!」
泣き止んだと思えば、すぐにこれである。
腰の少し上あたりでまとめた、クローセルのグレーがかった長めの髪が揺れる。飛行して去るクローセルを見送ると、小娘はまだ赤い目をしてはおるがいつもの締まりのない笑顔になり、我に顔を向けた。
「今日はお母さんが、サンドイッチ作ってくれてたです。たまごをね、もらったの。あとはね、ハムがはさまったのですよ。サンドイッチは、いいごはんです。転がっちゃって悲しかったです」
「その程度が、いい食事かね」
サンドウィッチが発音できず、イッチになっておるぞ。
小娘は何故だか木の切り株に座り、パンについて語り始めた。後ろに広がる森は明るく、木漏れ日に白い小さな花が光っているようである。
「固いパンはハズレ。まるくて白くて、フワッとしたのが当たりですよ。この前はね、長いパンの真ん中にウィンナーが入ってたんです。これはとてもいいパンです」
そこまで言うと、森の向こうを指でさした。
「あっちのずっと先にね、牧場があるですよ。ウィンナーは、あっちの牧場から来ました。牛さんがたくさん住んでいるところです。牛さんは、おいしいミルクを作るお仕事をしています。えらいです」
ミルクは牛からであるが、仕事であるかな……。我が返事をする前に、小娘はさらに話を続ける。
「バターも牛さんが作るらしいです。きっと、牛さんを切ったら中から出てくるんだと思います」
随分と物騒なバターの作り方であるな! 肉が欲しいだけではないかね。
しかしまだバターの製造方法を説明したところで、理解せぬであろうな。放っておけば良いか。
「小娘。話は済んだかね」
「もう、かっか。これからがいいところですよ」
小娘は首を振り、まだ話し足りぬと言う。これでは魔法の勉強など、始められぬ。
もともとお喋りな性質であるが、今日はまた途切れぬな。
「この前お店屋さんが来たときにね、丸くて揚げたパンがありました。イリヤもお小遣いで買って一つ食べたですが、砂糖がついてて、甘くてとってもおいしいパンでした。お勉強の道具を買ったから一個しか買えなかったですが、五個も買った子がいるんですよ。イリヤは大人になったら、お砂糖のパンを五個買えるようになりたいです。そしたらね、一日一個たべるです。あ、かっかの分もないと。はんぶんこ、するです!」
何が半分こかね。むしろいらぬわ。
「それはドーナツではないかね」
「ドーナツは、穴があるのです。穴がないのは、パンです」
言い切りおった。ツイストドーナツなどは、ドーナツに含まれぬらしい。
それにしてもこの地獄の王が、いつまでも子供の下らぬ雑談になど付き合っていられぬ。
「いい加減にせんか、魔法を学ぶのであろうが! クローセルに、何と申し付けられたのだったかね?」
「先生はイリヤに、サンドイッチをくれるって言ってました」
「そこではないわ!」
勉強をしていろという部分を、完全に抜かしおって。都合のいい事しか聞こえぬ耳だ。どうしようもない小娘である。
結局ろくに勉強などせぬまま、昼になってしまった。
クローセルはウィローを編んだ、四角いバスケットを持って戻って来た。
「閣下、ただいま戻りました。イリヤ、待たせたの」
「せんせー、お帰りなさい。イリヤのごはん、この中ですか?」
「ほほ、そうだ。さ、好きだけ食べるのだぞい」
レースをあしらったバスケットの蓋にある留め具を捻って、大きく開く。中には何種類ものサンドウィッチが入っていた。
「わああ、いろいろあります。たまごだけじゃないです、お野菜がはさまってます。白いのは、クリームかなあ? 赤いのは……いちごです! サンドイッチなのに、いちごが入ってます! これはとっても、とってもすごいサンドイッチです!!」
新発見でもしたように浮かれて、手を叩いて喜んでおる。
「これ、落ち着かんか。座って食べなさい」
「はいです。いただきます!」
小娘はまず卵のサンドウィッチを食べ、それから野菜とハムの挟まった物を選んだ。苺はデザートだと、最後にとっておくらしい。我はキュウリのサンドウィッチを口にした。他にはチーズとハムや、ベリーのジャムを挟んだものがある。
「おいしいい! お母さんの手作りが一番ですが、これも全部おいしいです。やっぱりサンドイッチは、とってもおいしいごはんなのです」
「これ、目移りしておるのでないわ! 中身が零れるではないかね」
「わきゃきゃ、もったいないです」
二つ目の卵のサンドウィッチの具が、パンからはみ出しておる。小娘は小さな片手を開いて下にし、ポロリと零れ落ちたそれを受け止めて、口に入れた。
「かっかも、もっと食べていいですよ。まだたくさんあるです」
「……ずいぶんな態度であるな」
「これ、イリヤ。閣下に失礼を言うでない。残った分は、そなたが持って帰って良いぞい」
クローセルが軽く窘める。小娘は残りを貰えると聞き、目を輝かせてバスケットの中身へと視線を移した。
「イリヤにくれるですか? まだ、たくさんあるのに?」
「バスケットもイリヤの物だぞい。蓋をしっかり閉めれば、もしまた転んでも中身を汚してしまうことはないからの」
「かごもくれるの⁉ わあい、ありがとうございます! かわいいです、イリヤこれから、毎日ここにごはんを入れるですよ」
喜んで持ち手を掴み、蓋を開け閉めして遊んだあと、何を考えたのか振っておる。
「これ、振り回してはならんぞい。サンドウィッチが入っている」
「そうでした、気を付けないといけないのです。おうちに持って帰って、みんなで夜のごはんにするんです」
小脇にバスケットを置くと、小娘は気分上々でそれを眺めておる。クローセルは小娘が持ち帰りたがると思って、多めに買ったのであろうな。
さて、食事も終えた。午後はしっかり授業をしてもらわねば困る。クローセルが小娘の指導にあたる。
「今日は閣下に何を教わったのかの?」
「えへへ~! 今日はですね。イリヤがかっかに、パンについて教えてあげました」
何故か自慢げに胸を張る小娘。随分な勘違いであるな!
「阿呆!! 何が教えてあげた、だね! この我がそたなの、くだらぬ話を聞いてやったと言うに!」
「牛さんの話も、してあげたですよ」
まだ言うかね! クローセルは失笑しておるわ。
全く立場をわきまえぬ小娘である!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます