商家と黒い靄

 「エナル、カナル! 置いていくぞ!」


まだ東の空が白んでまもなくだった。

イヴの声が洞窟内に響き渡る。


「うるさいわよ、イヴ」


「そろそろ出るから、起きて、顔洗っておいで」


もぞもぞと名残惜しそうに寝袋の中へもぐるエナルと、まだ寝息を立てているカナル。

二人を無理矢理テントから引きずり出したイヴは、もう着替えも洗顔も、テントの片付けだって終わっていた。


「早いね……」


「ゆっくり飛び立てるような旅じゃないんだよ。憲兵に捕まったらここ全員ヤバいんだから」


ティフは目立つ。いつもそれを念頭において、なんて大げさかもしれないけれど、考えて行動しなければならない。


「じゃあ行こうよ!」


「顔洗って、着替えろよ」


寝袋からその身ひとつ、ぴょこんと飛び出してニッカニカ笑うカナルに、イヴは呆れ顔だ。


「ほら、カナル。行くよ」


まだ眠いのか、何度も瞬きをするエナルは、カナルを引っ張って、川の方に歩いて行った。


「やっと起きた……」


イヴは束の間、ほうっと息をつく。

それから皇女たちが寝ていたテントを片付け始めた。


「あれ、片付けてくれたの」


「今回は特別だよ」


「流石イヴおにーちゃん! 優しい!」


ここぞとばかりに擦り寄るカナル。


「そんなことしたって、朝飯は増えないけど?」


「えっ、増やしてよ!」


エナルは少し苦しい顔で、ふざけるカナルを見つめた。

何度か口を開きかけたけれど、音には出さずに、下を向く。


「エナル、どうした?」


「……なんでもないわ。早く、行きましょう」


イヴはにっこり笑って、エナルに従った。


「ほら、カナル。ティフに乗って」


次の目的地は、ここから少し先の集落だった。

イヴがよく知るそこの商家に向けて、ティフは飛び出した。




 「それって、エル・グランデの商家?」


「違うよ、ベル・スフィアス。秘境みたいに鬱蒼としたところだから、憲兵も来ないよ」


例えそこを憲兵が嗅ぎつけてきても、捕まらない自信がイヴにはあった。

だから行き道さえ気を付ければ、後は平気だ。


「なんでそこを知ったの?」


「ま、色々とね。気のいいおばさんとおじさんばっかの集落だから、歓迎してくれるよ」


嘘は言っていない。それでも双子を騙してるような、一抹の心苦しさを、イヴは飲み込んだ。

実はイヴがその商家に寄りたいのには二つの理由があった。

ひとつはエナルたちが持っている装飾用短剣を売りたいから。もうひとつは、情報が欲しいから。


そういう町に出て行って、売り歩きをしているような商家の多くは、情報屋だった。

町での噂や小耳に挟んだことを、仲良しのおばちゃんから聞き出す。そうやって得た情報は、驚くほど的確で、暗殺者や用心棒に売り付ける。


「……憲兵がどこまで握ってるか、だな」


「え?」


「あ、いや、憲兵が来ないといいなって思って」


いつの間にやら口から漏れていたらしい。

どこから聞かれたか、と思ったが、幸い漏れたのはその一言だけだった。


「大きい商家なの?」


エナルがイヴに聞く。


「ん、いくつか商家が固まって、ひとつの商家みたいになってるから。なんでも売ってるし、それなりに大きいよ」


それでもひとつひとつの商家が握っている情報は全部違って、毎度お世話になる度に、金が足りるかと不安になる。

今回は短剣がかなりの値になるだろうから、懐の寂しさは感じない。


「ねえ、イヴ」


「どうした?」


「あの黒いのなんだろう?」


カナルが指差す先には、黒々とした靄が浮かんでいた。木々の間から、すり抜けるようにどろどろと浮かんでいて、どうにも気味が悪い。


「なんだろうね? 一応、ティフの高度あげる?」


「カナル! 早く! ティフにうんと高度をあげさせて!」


イヴたちの会話をぼんやり聞いていたエナルが、悲鳴にも似た声で怒鳴った。

ティフがそれで、ビクッとした。


「そんなにあげる必要ある?」


「いいから、あげなさい! 説明は後だから、早くあげないと死ぬわよ!」

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