第57話そしてみんなモブに戻る

 平日の夜。

 仕事を終えた朝倉エリカは、つまらなそうにスマホをいじりつつ、靖国通やすくにどお沿いにある喫茶店のテラス席で時間を潰していた。

 三田村と待ち合わせをしているのである。


 今日はこの後、生還組で打ち上げをすることになっていた。

 異世界よりの生還から一か月ほど経過しているが……誰もが仕事に忙殺されているのだから仕方ない。

 社畜四人全員の予定が空いている夜などというものは、基本的に皆既日食かいきにっしょくのような確率でしか発生しないのだから。




(それにしても、参ったわねえ……)


 スマホをいじりつつアイスティーを飲み干しながら、朝倉は内心ため息をついた。

 冬が近い割に暖かい夜だったので、テラス席でお茶を飲んでいたのだが……その選択は間違っていたらしい。

 店員の目がないのをいいことに、妙なナンパ男が朝倉の隣に座り込んで、延々と話をし始めてしまったのだ。「スト値が意外と高いよねえ」だの「でもちょっと服装が残念じゃない? 君の良さがわかるのは俺しかいないと思うなあ~」などとほざいているが、ただただうるさいので、朝倉としては早く消えてほしい相手である。

 あまつさえ、「俺のおごりだから!」といって執拗しつようにカフェラテを飲ませようとしてきているのだが……なにが入っているか分かったものではないから、絶対に飲むわけにはいかない。

 朝倉はスマホをいじりまわして、表面上は完全にナンパ男を無視していたが、内心はそろそろうんざりしかけていた。

 いいかげん席を立とうかと思ったその時に……ふいに、隣のナンパ男の頭が何者かにつかまれた。


「ひえっ!? 誰だよ!?」

「……そういうアンタは、どちら様?」


 そう言って、ナンパ男の頭を掴んでいるのは、彼の背後に立った三田村である。

 その手には妙に力が入っており、切れ長の目は完全に座っている。


「ひ、ひいいいっ……!!」


 芸術的なまでに発達した三田村の腕橈骨筋わんとうこつきんを見て何を思ったのか、ナンパ男は目を見開いたままカタカタと震え出した。

 ……ヤバいヤツの女に手を出してしまったと思ったのだろう。



「何? 初対面の女の子に? 自分が買ったカフェラテ飲ませようとしたのか。

 ……へーえ、そっかー優しいねえ。

 でもこの子はもうお茶を飲み干しちゃったくらいだし、そのカフェラテはいらないと思うなあ」

「あっ、は、はい。そうっすね」

「それ、自分で飲みなよ」

「……え? そ、その、あの」

「自分で買ったやつだろ? ……飲めよ」

「ひいいいっ!!」


 三田村の様子からあらがいがたい何かを感じたのか、ナンパ男は涙目でプルプル震えながら、素直にゴクゴクとカフェラテを飲み始めた。そして、そのままコテリと眠ってしまう。


「……寝たわね」

「寝たな」

「なるほど、睡眠薬が入ってたのねえ……ていうか、睡眠薬ってこんなにすぐ効果が出るものなの?」

「俺が知るかよそんなこと。こういうのって、心理的な影響とかも大きいんじゃないの?

 ……にしても、はーぁ……」


 と、三田村は盛大にため息をついたかとおもうと、ふいに夜空をあおいでこうさけんだ。


「──なんでだよ!

 エリカちゃんは! 一体! なんで!! こんな頻繁ひんぱんにあぶねー目に遭うんだよ!!!!

 あとなんで毎回毎回なんだかんだいって間一髪で無事に済んでるの!? 俺、異世界うんぬんよりも君の存在がファンタジーに思えてくるよ!?」

「知らないわよ、そんなこと。

 理由なんて私も昔は散々考えたけど、考えるだけ時間の無駄だからやめておくことね」


 朝倉はそう言いながらため息をつく。そしてねたような表情になりながら、


「……そういうのが嫌なら、私とは極力距離を置くことよ。その方が安全だわ」

「あ? そーゆーこと言っちゃう?

 冗談じゃないよ。今日はその逆の話をするつもりでいたんだからな」


 と、三田村は眠り込んだナンパ男を椅子ごと別の席に移動させつつ、別の椅子を持ってきて朝倉の隣に座った。

 そして、机の上にコトリと小さな箱を置く。


「ほら、これ」

「なによこれ」

「……。……指輪以外の何かに見える?」

「……え。うぇあああっ!?」


 と、顔を赤くして妙な悲鳴を上げる朝倉と、恥ずかしそうに頭をボリボリと掻く三田村。

 ……ちなみに、机の上に置かれている指輪は、金属製で宝石は一切ついていないにも関わらず、明らかに『堅気かたぎじゃない』と思わせるような邪悪なオーラを放っていた。


「嬉しいけど、ものすごいデザインね……三田村さん本当にカタギなの?」

「カタギですーぅ。……その、こういうのをつけてるだけでも変な奴を追い払う効果があるって聞いたからさ……お守り代わりに付けておいて欲しくて」

「ああ、それでこんな成金なりきんみたいなデザインなのね。いかにもヤクザの女の持ち物って感じがするわ。

 ……うわ、ぴったり左手の薬指になじむわ。私の指輪のサイズなんていつ測ったのよ?」

「そりゃ、君が寝ている間にだよ。

 ヤバいヤツの女に見えた方がこのあたりは歩きやすいからねー。だから、いわばこれは不審者対策特化型リング。さすがにいつかはもっとちゃんとしたのを贈りたいけど……ていうか」


 と、三田村はふいに頬を赤くしながら朝倉を軽くにらむ。


「……返事、まだ聞かせてもらってないんだけど。一体いつまで引っ張るつもりだよ」


 三田村の言葉に、朝倉は真っ赤になったまま黙り込んだ。

 そしてふいにうつむいて、


「……うん。はい。イエス……ふつつか者ですが、よろしくお願いします……」


 と、蚊の鳴くような声で言う。三田村はガタリと椅子から立ち上がり、大きくガッツポーズを決めた。


「よっしゃああああやったああああああああ!!

 え? じゃあ、諸々の話を進めていいんだよね!? 式どこでやる? ていうか住むのはどこがいい? あと子供は何人くら」

「なんで結婚の話になってるのよ! 今は男女交際の話でしょ!?」


 と、わーわーぎゃーぎゃーと二人は騒いでいるが、道行く人々は誰も振り返りはしない。

 周りから見れば、モブが騒いでいるだけの光景でしかないからだ。


 夜の繁華街はほうぼうで若者の笑い声がさざめいて、人々は談笑に花を咲かせながら歩き去っていく。照れたように大げさに笑っている三田村も、むすっとした表情を崩して苦笑している朝倉も、その景色の一部として溶け込んでいる。







 残業を早めに終えた笹野原は、新宿駅のミライナタワー改札を出たところで、この街のランドマークであるNTTビルをながめていた。

 燦然さんぜんときらめく夜景が、仕事で疲れた目をいやしてくれるような気がしたからだ。

 ……と、そんな彼女の肩を背後からポンと叩く者がいる。


「──悪い。待たせたか」


 笹野原が振り返ると、そこには笹野原と同じく残業を終えた蒔田が立っていた。いつもの通り少し眠そうな表情をしている彼を見て、笹野原は思わず笑みをこぼす。


「全然。今着いたところですよ」

「そうか、よかった。……その、仕事は大丈夫なのか?」

「相変わらずヘトヘトですよー。

 あ、でもね、私が倒れたことが結構大きな問題になったらしくて、ベッドを満床にされることが減ったんですよ。

 今までは人手不足を無視して、評価欲しさに上司が無理やり患者さんをどんどん入れていたらしいんですけど」

「あー……そういう事情があったのか。無茶をされることが減ったのなら何よりだな」

「はい。今までよりちょっとだけ楽になっているんです。

 ……だから、もう少しだけ頑張ってみようかなって。

 来年にまた状況が悪化したら、その時は消耗しきってしまう前に、いち早く転職しようって思ってるけど」


 そう言って笹野原が笑うと、蒔田は納得した風に頷いた。


「そういう蒔田さんは、最近どうなんですか?」

「仕事は相変わらず死ぬほどつまらんな。

 ……ただ、リリースから少し経っているから、仕事のキツさは減っているよ。

 あの異世界転移が起きた時が一番ピークだったんだ」

「そうだったんだ。楽になったのなら良かったです」

「まあ、ようやく一息付けたのはありがたいな。

 ああ……あと、その」


 と、不意に蒔田が言いにくそうな様子になって、キョロキョロと意味もなく周囲を見たり頬を掻いたりしはじめた。


「……どうしたんです? 蒔田さん」


 笹野原が首をかしげると、蒔田は意を決したように笹野原に目を戻す。


「──今年の冬くらいに、三田村経由で都内の集まりに自分の映像作品を演出用に提供することになってだな……その、俺自身も呼ばれているんだ」

「おおー」


 笹野原が素直に賞賛の声を上げると、蒔田は照れくさそうに頬を掻く。


「……で、いつもなら人の悪意にさらされるのが嫌で、こんな話は断るんだが……君となら行けそうな気がするんだ。……どうかな?」

「……ん? これってパーティーのお誘いですか?」

「あー、そういうことになるかな……ドレスコードも一応あるみたいだし……」

「ええええーーっ!? 本当にパーティーなんだ!! 行く行く、行きます!! アホみたいに写真撮りまくってSNSにアップしなきゃ!!」

「……そういえば君はパリピに属する人間だったっけな……」


 大喜びではしゃいでいる笹野原に、蒔田は生ぬるい視線を向ける。

 しかしふいに、その表情を暖かいものにあらためた。


「……だけど、よかった。断られたらどうしようかと思っていたんだ」


 と、言って笑う蒔田を見て、はしゃいでいた笹野原は何故か大人しくなってしまう。

 それどころか、両手を軽く上げたポーズで固まったまま、みるみるうちに顔を赤くしてしまった。


「……なんでいきなり赤くなるんだ?」


 首をかしげる蒔田を前に、笹野原は顔を赤くしたままうつむいてしまう。


「いや、その……実は異世界から生還した時から続いてる症状なんですけど……私、蒔田さんの笑顔にかなり弱いみたいで……ってあれぇ!? ちょっと待って、なんか私今、蒔田さんに告白してるみたいな流れになってますか!? うわーどうしよう! 私こういう時はどうすれば、トラブルシューティングは、マニュアルは、えーとえーとえーと」

「落ち着け。脳がパンクしてるぞ」


 蒔田がそう言って苦笑したのと、彼のポケットに入っていたスマホが振動したのは、ほぼ同時のことだった。


「……朝倉からメッセージがきたな。三田村も朝倉も、もう店についてるらしい。俺たちも急ごうか」

「あっ、そうですね。行きましょう行きましょう」


 笹野原は混乱から立ち直って顔を上げる。そのまま二人は三丁目エリアに向かって歩き出した。


 ……と。


 笹野原はふっと足を止めて、またNTTビルを振り仰ぐ。

 そこには相変わらず燦然さんぜんときらめく夜景の世界が広がっていた。



(──今こうしている間にも、この街で、日本中で、沢山の人が追い詰められて死んでるんだ……)



 そんなことを考えつつ、笹野原は目をまばたく。夜景の数だけ自分達のような境遇の人間がいることに、なんだか不思議な気持ちになった。


(今までもこれからも、貴族でも何でもない自分たちが無意味に使い潰されて、疲れ果てて死んでいく事実は変わることがないのだろうけれど……)



 ──それでも、物語は、記憶は、残る。


 それをつくる人とのつながりを求めて、自分たちは最後の力を振り絞って生きる。


 少なくとも笹野原個人にとっては、人とつながった先に大切なものが沢山あった。


 大切な人との記憶を取り戻した『アナタ』も幸せだったのだと、笹野原は思いたかった。……そうでなければ救いがない。



 ……と、そこまで考えて、笹野原はその考えを紙のように丸めて思考のゴミ箱の中に放り込んだ。

 あまりにもありきたりで、しかも結論の見えない考えだったからだ。




「どうした、夕?」


 と、少し進んだところで足を止めて声をかける蒔田に、


「すみません、ボーっとしちゃった。今行きます!」


 と返事をして、笹野原は元気よく走り出す。


 そのまま二人は夜景と雑踏ざっとうの中にまぎれて消えていく。名もなきモブに、戻っていく。





 ──今も昔も、人間は無残に死んでいくものではあるが、その死は決して軽んじられるべきものではない。

 過労死だとか病死なんてものをしてしまうと、その人間は社畜、病人という分かり易いフレーズに押し込まれてしまいがちだ。……だが、本来は決してそうであってはならないものだろう。

 死んでいく一人一人に、一文じゃ語り切れないほどの物語がある。

 それはこの物語の登場人物たちもそうであったように。

 数え切れないほどの苦悩と喜びの間をすり抜けて、人々は今日も生きる。今日も戦う。


 こんなにも美しくきらびやかな世界を維持するために、人々は今日も使い潰されていき、あるいはその運命に懸命けんめいあらがっている。






【後書き】


お疲れ様です!

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!!


語り残したエピソードは多々ありますが、作者MP切れにつき、一旦物語を完結とさせて頂きます。


このあとのページに設定集と後日談的なものが続きますが、これは本当に不定期連載になるかと思われます。後日談はあくまでオマケで、本編はここで完全におしまいとなります。


重ね重ねになりますが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。面白かったと思って下さったとしたら、最後に★★★評価をして頂けますととてもとても嬉しいです。後日談は本当にゆるゆる続いているので★★★を入れるタイミングがないと思います……。

ですので是非今、作品のトップページに飛んで、ページの下の方にあるレビュー評価コーナーから★★★評価をお願いします!わかりづらいところにあるのであまり貰ったことがないのです…貰えたらとても励みになります…!作品フォローも嬉しいです…!


また、もしよろしかったら蒔田と笹野原の現代恋愛設定の短編集、「断じて熱中症ではない」もお読みいただけますと嬉しいです。https://kakuyomu.jp/works/1177354054890815628


それではひとまずこんなところで!

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