第56話それでも誰もが生きている限り
──私が
体も頭も、妙に重い。
まるで長時間眠りすぎた朝みたいな感覚だった。
(う、ここどこだ……起きないと……)
私はそんな重みに
その
そんな髪をため息交じりに肩に
(朝倉さんの家だ……)
部屋は暗いが、ほんの少しだけカーテンから光が漏れているおかげで、周囲の様子が観察できる。
小ぎれいに整理整頓された部屋……私にとってはもうすっかりおなじみの場所になってしまった、朝倉さんの家だった。
(よかった……帰ってくることが出来たんだ……)
きょろきょろと自分の周囲を見回すと、三田村さんも朝倉さんも
(めっちゃ良く寝てる……)
二人とも一向に目を覚ます気配がないのは、あちらの世界で限界まで体を酷使して、疲れ切ってしまっているからだろうか。
(そりゃそうだよなあ。私以外は日中働き通しだった人たちだもの。
人命救助のためとはいえ、土日を丸ごと潰してしまって本当に申し訳なかったよ……)
そして、こんなことを考えている自分だって、もうすぐにでも仕事に復帰する予定になっている。
また激務漬けの日々が始まることを思うと少しため息が出てしまうが、
頭の中がすっきりしていて、体に力が戻っているからだろう。
『体も頭ももう動かないのにまた働かなければいけない』という、社畜の朝特有の絶望感が今は、今だけは存在しない。
(異世界に転移してる間って、現実世界の体は眠っている扱いになるんだな……ありがたいや)
なんとなくそんなことを考えながらも私は立ち上がって、カーテンを大きく開けた。
早朝特有のほの明るい光が入り込んできて、部屋が一層明るくなる。
私は振り返って部屋の中に目を戻し……探していた人を見つけて、思わず目元をほころばせた。
(……蒔田さん)
部屋の奥の壁に背中を
オーバル型のメガネをかけた、穏やかそうな顔だちの人。
中肉中背で、身長はわたしよりほんの少し高い程度だろうか。
……この人がバールを片手に戦車を破壊し、
(だけど、同一人物なんだよなあ……こんなに若く見えるのに若手から年寄り扱いされてナーバスになってるのか。三十歳って大変なんだなあ)
なんてことを考えながら彼のすぐ近くにしゃがみ込むと、蒔田さんはふっと目を開けた。
「あれ、起きちゃいましたか蒔田さん。
結構眠りが浅かったんですね」
そう言いながら、私は照れ隠しに頭を掻きながら笑う。
「……おかえりなさい、蒔田さん」
と、ずっと言いたかった言葉を言いながら。
蒔田さんはしばらくぼうっとした顔で、そんな私の顔を見ていた。
(……あれ? 蒔田さん、どうしたんだろう)
まだ意識がフワフワしているのだろうか?
長すぎる沈黙に私が目を
「……悪い、現実味が湧かなくて、
「あ、そうだったんですね。でも無事に戻ってくることが出来てよかったです。体の不調とか、感じませんか?」
「大丈夫だ。
……最初の約束通り、ようやく二人で、生きて帰ることが出来たんだな」
「そうですね。三田村さんも朝倉さんも無事ですよ。私たち、やりました。全員生還エンドですよ」
と、私が小さくガッツポーズをして見せると、蒔田さんは笑みを深めながら何度か頷く。
まだ弱弱しい朝日の中で、その笑顔がなぜかとてもまぶしく見えた。
(……あれ? 変だな)
その笑顔を見て、私はどうにも落ち着かない気持ちになってしまう。
生身の蒔田さんと会話をするのは初めてだから、緊張してしまっているみたいだ。
オロオロしながら私が蒔田さんから目をそらしたのと、蒔田さんがため息をついたのとはほぼ同時のタイミングだった。
「──……しかし君は、とんでもない無茶をしてくれたものだな」
「え?」
「『生きて帰りたい』という君の気持ちに
押し殺したような声に私が蒔田さんに目線を戻すと、彼は痛みをこらえるような表情で目を
「本当は君だけが助かってくれても構わなかった。ここまでの無茶をする必要は、どこにも」
「その言葉、そっくりそのまま蒔田さんにお返ししますよ」
私はムッとしながら強い口調で断言すると、蒔田さんが驚いた様子で私を見た。
「……蒔田さんに色々あったんだろうなってことは、ネットを調べてみて分かりました。
だけど、そういうことを理由に自分の命を諦めていいのなら、私だって同じです。助けてもらえるほどの価値なんか、私にはありませんでした」
「君は
「それをいったら蒔田さんだって、炎上に足を引っ張られてくすぶっている化け物級若手エンジニアだ、って、言えちゃうじゃないですか。
……たとえ蒔田さん自身はそう思っていなくて、これっぽっちも将来に希望なんか持っていなくたって」
「……」
「……私、これでも一度、何もかもが嫌いになって、持ってるものや家族や友達を全部投げ出して人生を辞めようとした、人間のクズなんです。
蒔田さんが思っているような綺麗な人間じゃありません」
と、私が言うと、蒔田さんは不思議そうに目をまじろいだ。
私は気まずい気持ちで目をそらしつつ、
「……奇跡的に命が助かりはしましたが、そうやってせっかく助かった命を、今度は飲酒と
仕事が忙しくて死にそうになっていても『もう仕方ない』『やるしかない』って思考を止めて、死ぬのを待つような働き方をしてしまっていたのは……本当は人生でやりたいことなんて、もう何も残っていなかったからなんです。
二十三歳なんてまだまだ若造ですけれど、そんな短い人生の中でも、負けちゃいけない戦いで何度も負けて、自分の限界なんてわかり切っていて……もう何かを勝ち取るための戦いなんて、したくなかった。転職とか、仕事を辞めるとか、逆に今の持ち場で働き方を変えるとか……そういう感じの、新しい人生を考えるような決断ももうする元気も残ってなくて」
と、私がそんなことを話しながら目線を泳がせていると、ふいに、自分のひざ元に置いていた指先が暖かかくなった。
蒔田さんが触れたからだ。
目線を上げると、蒔田さんが私を見つめていた。
彼の表情は穏やかだったが、それだけではないような気がする。彼の今の表情に付けるべき名前を、私は知らない。
「……え、えっと。だから、その……何を言おうと思ってたんでしたっけ……」
混乱したせいか胸が熱くなってしまったが、私はわたわたしながらもとにかくしゃべり続けた。
「……そうだ、蒔田さん。せっかく助かったんだから、もう二度と、こんなことをしないでください。
私だって蒔田さんだって割と投げやりに生きてきていたはずだけど、それでもあんな異世界に閉じ込められたら『生きて帰りたい』って思ったでしょう?
だから私たち、まだ生きていなきゃいけないと思うんです。
いくら自分の命をそんなに大事に思えなくても、軽々しく投げ出しちゃいけないんですよ。
『命の残機は一機だけ』……って、蒔田さんが言ったことですよ。自分が言ったことは自分でも守ってくだ……って、わあああっ!!」
喋っている途中にふいに蒔田さんが体を起こして私を抱き寄せてきたので、私は思わず悲鳴を上げた。
「大声を出すな。二人を起こしたら気の毒だろう」
苦笑交じりの蒔田さんの言葉に、私はコクコクとうなずくことしかできない。
「……わかった。わかったからもう、何も言うな。
「まきたさああああん……」
私が感極まって涙を流すと、蒔田さんがますます苦笑を深めて、私の肩口に顔を
(……あれ? これってただ生還を喜んでいるだけにしては妙に距離が近すぎない?)
とは思ったが、頭に血が上っているので深く考えないことにする。
きっと蒔田さんもうれしすぎて頭に血が上ってるんだろう。
明日になったら「昨日はよくよく考えたら失礼なことをしてしまった、悪かった」みたいなメッセージが飛んでくるやつに違いない。
と、無理やり自分を納得させている私の背後で、こんな会話が行われていたことを、私は知らない。
(──で。俺たちいつまで寝たふりしてればいいわけ?)
(こら、声をもっと落としなさいよ三田村さん。まだ続けておかなきゃ駄目よ。
いやー、いい雰囲気ねえ、楽しいわねえ。あれは絶対デキるわよ)
(デキるって何がだよ……。
ていうかエリカちゃん、なんでそんなに嬉しそうなのよ)
(知らなかったの? 私、人の恋路を観察するのが三度の飯より好きなの。今ものすごく幸せだわ)
(……その幸せのついででいいからさあ、自分の恋路も気にしてくれねえかなあ……)
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