第48話どうみてもラスボスの風格

 世界は闇に包まれた!


 ……なんていうことは、今の私こと笹野原夕(ささのはら ゆう)には、考えている余裕もない。


 というか、どうやら少しの間、気絶してしまっていたようである。

 まるでゲームとゲームの間を移動するときのような空間失調バーディゴを感じた瞬間に、すうっと自分の意識が遠くなったのが分かったからだ。

 ただ、気絶したのはほんの一瞬のことだと思う。


 意識が戻った瞬間に、体が素早く動いたからだ(長く気絶した後に目が覚めたのなら、体もすぐには動かなくなってしまっているだろう)。



「うー、びっくりした……」


 と、ふるえつつも私はすぐに起き上がって、自分の体の無事と、周囲の状況とを確認した。


(一応成功したっぽい……けど、なんか前にあったクラッシュバグと感じが違うなあ……)


 若干じゃっかんの嫌な予感をいだきつつも、私は周囲を見回して、あたりの景色が変わっていることも認識した。



 ――優しい薄紫色うすむらさきいろをした空中に、色とりどりの図形や光が踊っていいる。


 それらの図形や光は、まるで雪のようにも、雨のようにも見えた。

 少し独特な色彩だが、それがむしろとても綺麗だった。


(ああ、ここは……)


 と、私は思った。異常で美しい世界の景色に圧倒されながらも、ゆっくりと周囲を見回していく。

 現実には到底ありえない景色だけれど……私はこの美しい場所に、間違いなく見覚えがあった。


(ここ……私が最後に蒔田さんを見た場所と、全く同じ場所だ……)


 私はきれいな世界に見とれながら目をまばたいた。

 ここは私と蒔田さんが最後に会った場所……そして、蒔田さんが前の管理者……熊野寺さんと戦って、とどめを刺した場所でもある。

 多分だけど、ここは蒔田さんが作っていたというメガデモの情報が反映された世界なのではないだろうか? ネットで見た作品の特徴と、色遣いろづかいが似ている気がする。


(綺麗な場所だけど……どうしてここに来てしまったのだろう)


 私は思わず首を傾げた。

 蒔田さんに近づいているという証拠だろうか? というか、代償切れを起こした世界は跡形もなく消えてしまうのではなかったか? どうしてまだこの場所は消えずに残っているのだろう。


 そんなことを考えながら自分の足元を見てみると、朝倉さんも三田村さんもアナタくんも倒れていた。……気絶から立ち直っていないみたいだ。


「うわあっ! ……み、みんな! 起きてください! 起き……駄目だ……全然起きない……」


 全員脈があって呼吸はしているのに、叩いてもゆすっても、目を覚ます気配が全くなかった。反応さえ返してくれない。

 ……嫌な予感がしたのでバイタルウォッチを彼らの手首に順番に巻いてみると、ゲームUI特有のナンチャッテ心電図が、真っ赤になって警告のサインを伝えていた。


(──げえっ、ほぼ死んでるんじゃん!!

 え? どういうこと? わかんないよ。

 呼吸数も脈拍数も別に異常値ではないのに……見た目上は、生きてる……よね……?)


 目を開けようとしない朝倉さんの温かい頬に触れながら、私は思わず首をかしげる。


(これって、つまり……ゲームで言うところの戦闘不能状態みたいになっている、ってこと……?

 だとしたらヤバいよヤバいよ、早く回復アイテムでなんとかしないと!!)


 私はあわてて地面に転がっていたシーツ風呂敷のなかにため込んだ医薬品をひっくり返して、蘇生そせい用アイテムのバイアルと注射器を取り出した。

 薬草を口に突っ込んで回復を待ってもいいのかもしれないけれど、今は緊急事態だ。

 何が起きているのか分からない状況である以上、特に主戦力である三田村さんの蘇生は急ぎたい。


 私は手早く静脈注射の準備をして、針を刺す血管の選定を行う。

 三田村さんは気絶しているから、麻痺の有無を確認しにくい。神経損傷リスクの低めな橈側皮静脈とうそくひじょうみゃくを選定した。……この部位にだって神経は走っている。麻痺すると指先は曲がるのに手首が反らせず指の付け根も曲がらない下垂手と呼ばれる症状を起こしてしまうから、とても注意が必要だ。看護師なら誰でも知ってる知識である。正中神経が麻痺してしまうと猿手と呼ばれる筋萎縮が起きる、なんてことも。


(ううー、静脈注射ワンショットは苦手だから怖いんだよなあ。とはいえ今は本当に余裕がないし……)


 そんなことを考えながら、成人男性特有の生きのいい血管に、デドコン仕様の回復薬を打ち込んだ。感動的なまでに太くてやわらかくて刺しやすい血管だった。


(刺しやすい……やっぱり若い男の人の血管は最高だなあ……って、そんな変態みたいなことを考えてる場合じゃなかった)


 私は頭を軽く振って、三田村さんの処置を終えた後、次の静脈注射の準備にとりかかる。念のために大目に三本、あとは打つだけという状態まで注射器を準備した。


 三田村さんは少しうめいて身じろぎらしきものをしている。……大丈夫そうだ。この方法で蘇生するのだろう。


(針ゴミが大量に出ちゃった……バイアルから薬液を吸い出す用の針と人に刺す用の針が別個なんだもんなあ。使い終わった注射針用の黄色いゴミ箱、略奪しそこねちゃったよ。針刺し事故が起こらなきゃいいけど……)


 そんなことを考えながら必要な物品を準備していると、私の耳にカラカラ、ともズルズル、とも言えない、金属質なものが引きずられるような音が聞こえてきた。


(……この音は……!?)


 私は思わず注射器のシリンジを持ったまま硬直した。

 金属を引きずるような音は、まだ聞こえている。

 ……遠くから聞こえている小さな音だが、確かに聞こえた。

 まだ開けていなかった注射針とシリンジ、バイアルと消毒綿をポケットに突っ込みつつ、私は音の発生源を探して周囲を見る。

 音の正体はすぐに見つかった。



(……ま、蒔田さんだ……!)


 私は思わず目を見開いた。

 ゲームキャラクターの……桐生総一郎のアバターではない。

 そこには元々画像や動画で知ってはいたけれど、初めて生で見る人物がいて、こちらに向かってゆっくりと歩いてきているところだった。



 ──蒔田修一まきたしゅういちさん。



 黒目黒髪、オーバル型の黒縁眼鏡くろぶちめがねをかけた、少し眠そうな目の、整った顔立ちの人だ。

 外見こそなじみはないが、ずっとこの世界で私と一緒に戦ってきた人でもある。

 ……私の身代わりになって、この世界で行方不明になってしまった人だ。


(「生きて帰ろう」って、何度も私を元気づけてくれた人だ。一緒にいると本当に心強い人だった。

 突然いなくなってしまった時には、本当に本当に悲しかった……)


 そんなことを考えつつも、蒔田さんの様子に気が付いた私は思わず息をのむ。

 ……目は覚めているのに、なんだか悪夢を見ているような気持ちになった。



(蒔田さん、明らかに様子がおかしい……正気を失っているの?)


 蒔田さんは無表情で、なんとなく目線も怪しい感じがする。言葉にすると大したことはない感じだが、『明らかにおかしい』ということは直接見ればわかる……今の蒔田さんはそんな雰囲気だった。

 私は焦って周囲を見回した。

 そんな明らかに正気を失っている蒔田さんがこっちに来ているというのに、私以外の誰も目を覚ましていないこの状況。


(……マズい、マズすぎる。今みんなを襲われたら、私にはどうにもできないよ!

 三田村さんが起きるまでにわたしが蒔田さんを引き寄せて、なんとかオトリにならないと!!)


 私は意を決して立ち上がった。

 鉄パイプもマシンガンもその他諸々のアイテムも、思い切ってその場に置いていく。

 ……蒔田さんとは戦っても勝ち目がないし、勝つつもりもない。逃げ回ることしかできないのなら、なるべく身軽な方がいいと思った。

 ずっと探していた蒔田さんに向かって、私は思い切り駆けだした。


「……蒔田さん!」


 走りながら私は叫んだ。

 そうして私が蒔田さんの前に立ちふさがると、彼は血の気のない顔を上げて、私を見た。


 ……そう。妙に血の気がない。そのことにも違和感を持った。



「……お、お久しぶりです蒔田さん。ええと、私です。笹野原です。

 その姿を見るの、私、はじめてだなあ……」


 今の彼と話せることなど何もないような気がしたが、とにかく時間稼ぎのために私は口を開いた。


「いやー、憧れの人に会えるなんて感激ですよ。そうだ、前に約束しましたよね? 是非後でサインをわぎゃあああっ!!」


 私は思わず悲鳴を上げた。

 思っていた通り蒔田さんからの返事はなく、逆に思い切りバールをふりおろされて、殴り殺されそうになったからだ。

 私は反射的に横っ飛びに飛んで、その攻撃を避けることができた。


(や、やっぱりこの人正気を失ってるよー!!)


 嫌な予感が的中しても嬉しくもなんともない。

 今の一撃はなんとか避けることが出来たが、あんなのマトモに喰らったら、冗談でもなんでもなく死んでしまうだろう。

 恐る恐る自分がさっきまでいた場所を見てみると……なんということでしょう。地面に小規模なクレーターがいくつもできているではありませんか!!


(うわあああーっ、ステージが砕けたぁ! ていうか、いまのって一発喰らっただけでも体にいくつも穴が開くタイプの攻撃だったの!? 

 この人相変わらず、腕力の強さがメテオ級だよおおおお!!)


 私は思わず涙目になった。

 こんなのどう考えたって、自分ごとき平民がマトモに戦える相手じゃない。味方として戦ってくれていた時はこの上なく心強かったけれど、今は誰よりもヤバくて怖い(語彙不足)

 だけど、メンバーが気絶している今は逃げるわけにもいかなかった。だけど、どうしたらいいのだろう。持っている情報が少なすぎて、状況の打開策が分からない。


(ど、どうしよう……どうやったら蒔田さんは正気に戻るんだろう……どうすれば)


 ……と、私がブルブル震えている目の前で、蒔田さんはふっと血の気のない顔にぎこちない笑みを刻んだ。


「ふん。すばしこい女だな……あまり世界を壊されても迷惑だから、わざわざこの場所に呼び寄せたんだが。呼んだら呼んだで、すぐに異世界転移の負荷から立ち直ってしまうとは、処分にも手間がかかるヤツだ」

「マキタサンガシャベッタァアア!!??」

「……喋るとも。しかし、私はマキタサンとやらではないな」


 そう言って、蒔田さん……の姿をした人物は、苦笑気味にバールを両手で持ち直した。


「この体の持ち主は、今死にかけの瀕死ひんし状態にある。

 私は……自分が死ぬ前にこの体を乗取ることに成功した、『管理者』だよ」


 と、言い様に、またも問答無用とばかりにバールが勢いよく振り下ろされた。


「くっ!!」


 それを私はなんとか死ぬ気で避けた。



 ……そう、避けることが、出来てしまった。



 奇跡が二度も起きるはずがない。本気の蒔田さんの動きに、一般人の私が対応できるはずはないのに。


(蒔田さんの体……瀕死ってことは、それなりに戦闘能力が落ちているの……?)


 一瞬自分が強くなったのかとも思ったが、理由がないのでそんなことが起こるわけがない。導き出せる仮説は一つしかなかった。


(弱っていて、他人に体を乗っ取られてもあんなに強いのかあ…参ったなあ。

 ていうかちょっと待って? 瀕死だから管理者が蒔田さんの体を乗っ取ることが出来たってことは、蘇生したら蒔田さんの意識も復活するってこと……?)


 ――それはつまり、蒔田さんの瀕死状態の解除に成功すれば、管理者を蒔田さんの体から追い出せて……蒔田さんを、普通の人間に戻すことが出来るということではないか?


 そんなことを考えている私の目の前で、蒔田さん……いや、管理者は私の背後にいる三田村さんや朝倉さんたちの存在に気が付いた。



「うん? あっちで倒れている連中はまだ立ち直っていないのか……あっちから殺すかな。とりあえず、皆殺しにしてあげるよ。自分が管理している世界を乱されるのは不愉快だし、なにより娯楽が足りないんだ。……なんでも出来る遊技場を作ったはずなのに、どうしてこうもつまらない気持ちになってしまうのだろうね」

「ちょっ……待ってください!! いかないで!!」


 私は思わず管理者の前に立ちふさがりなおそうとしたが、バールを振り回されてそれに失敗した。

 ヤバい、マズい、大変だ。今は管理者の足止めをすることしか考えちゃいけない。うかうか考えことなんかしていたら全員バールで殴り殺されてしまう!!


(で、でもこの人と戦うことは私には無理だ……だったら、なんとか言葉だけで管理者の注意を私の方にに戻さないと! えーと、管理者って熊野寺さんだよね?)


 私は必死に記憶を探り、熊野寺さんについての情報を思い出そうとした。


(熊野寺さんってどういう人だったっけ、なにか彼を怒らせるような、私しか見えなくなっちゃうようなあおり文句があればいいんだけど……!)


 私は高速で頭脳をフル回転させて……管理者がユーテューヴァーであったこと、仕事がしんどすぎたことや、動画で人気者になれなかったことに絶望して、現実世界を去った人間であったことを思い出した。


(よし……ちょっと、いやかなり嫌な方法だけど、やるしかない!! やっていくしかありません!)


 と、決意するなり、私は大声で「熊野寺さん!」と叫んで彼の足を止めた。

 彼がゆっくりとこちらを振り返る。

 私は大きく息を吸って……自分が思いつく限り、滅茶苦茶チャラくて腹の立つクソビッチ系の笑顔を作って、彼に向かって浮かべて見せた。




「……熊野寺さん。アタシ、聞きましたよお。

 熊野寺さんってえ……ユーテューヴァーなんですよねーえ?」


 私がそう言うと、彼はピシリと顔をこわばらせた……よし、イケる! 私は内心ガッツポーズをとった。


 ──元・世の中に絶望していた陰キャゾンビゲー攻略ブロガーの本領を発揮するチャンスだ。


 ユーテューヴだろうがブログだろうが、発信型コンテンツをやっている人間の本質は同じ……内心はめちゃくちゃ人の反応が気になっているし、「なんでそんな無駄なことやってるの?」みたいな言葉には、絶対に腹が立つはずなのである。

 つまり私は、『昔の自分が言われたら滅茶苦茶怒ったであろう言葉』を言いまくって、彼を挑発しまくればいい!!



「わたしー、人に紹介されて熊野寺さんの動画見てみたんですけどーお」


 と、私はクスリとクソチャラ女風スマイルを浮かべながら(多分熊野寺さんはオタク側の人間なので、チャラい方が腹立つだろうという計算の結果だ)、あおるように無駄に体をゆらしつつ、話を続ける。


「……なーんか、よくわかりませんでしたあ。魔法の力(笑)って、なんですか?

 仕事もうまく行ってないのにあんなのばっかり作ってたなんてえー、ちょっと生産性がないんじゃないかなーっておもいますー。

 ってゆっか、そんなに凄い力があっても大してバズらなかったってことはあ、逆に相当才能な……って、わぎゃあああああっ!!!!」


 私は悲鳴を上げた。

 管理者がめちゃくちゃすごい勢いで走り込んできたかと思うと、今までにない勢いでバールでぶんなぐってきたからだ。


 ヤバいヤバい、怒らせて足止めすることには成功したけど、今度はこっちの命がめっちゃヤバいよ!? 当然の結果だけどね!!


 よけきれずにバールで殴られるかと思ったが、それはとつぜん割り込んできた第三者によって防がれた。ガイン、と、金属同士がぶつかり合う大きな音が響き渡る。



「──三田村さん!!」



 戦闘不能から復帰した三田村さんが、私と管理者の間に割り込んでバールを防いでくれたのだ。


「相変わらず大した膂力りょりょくだねえ……ほんと、エンジニアなんかにしておくのはもったいない人だと思うよ……」


 そう言って、三田村さんは私を背後にかばいながら、バールを受け止めた衝撃でくの字に曲がってしまった鉄パイプを構えている。私がデドコン3NTの世界から持ってきたパイプだ。


「アンタ、見た目は蒔田さんみたいだけど……夕ちゃんのさっきの言葉でブチきれたってことは、中身は熊野寺なんだよな?」


 そう言って、三田村さんは持っていた鉄パイプを捨てて笑う。そうして拳を構えてこう言った。


「……まさか本当にチャンスが来るとは思ってなかったよ……。

 おいクソ野郎、黙って二、三発は殴られろや……──さっさと歯ァ食いしばれ!!」

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