第37話駆け引き
やっていこうと決めたからにはやっていくしかない。
日本の夜景を日々維持している限界社畜としては当然の心がけだ。
……たとえ、想定外のアクシデントが起こり続けたとしても……。
(一体どうしたらいいんだろう)
やっていこうとしていたものの、流石にここまでの異常事態は想定外だった。
目の前には明らかに普通の人間ではない、
しかもソイツはなにやらブツブツと何語か分からないひとりごとを
彼に恐る恐る話しかけてみたけれど、全く反応がない。先程までと様子が違う。
(う……いったいどうしちゃったんだろう)
肩を叩いてみようかと思ったが、触るのが怖かったのでやめた。怖いと思ってしまうだけの異様さが今の彼にはある。
(さっきまではなんとなくボンヤリした雰囲気で『記憶がない』って言っていたけど……なんか、今のこの子を放っておいたらマズい気がする。
多分だけど、『管理者』の動画を見てしまったのを皮切りに、急速に記憶を取り戻しつつあるんだよね……?)
正直、今すぐに逃げ出したいほど怖かった……が、今のこの少年は、自分にとっての重要参考人だ。ひょっとしたら一連の異世界転移騒動の真犯人(諸悪の根源ともいう)かもしれないのだから、逃げ出すという選択肢はない。
(うまくすれば、蒔田さんを取り戻すための情報が手に入るかもしれない……どうしたら、何を聞いたらいいんだろう……)
必死に脳をフル回転させて考えている私をよそに、少年はふっと口を開いて言葉を紡ぐ。
それは今までの他人には聞き取れない独語ではなく、はっきりとこちらに向けた言葉だった。
「……僕たちは、魔獣と呼ばれている。人を模したまがいものだ」
「えっ?」
「人の心を、感情を搾取するために生まれてきた……それ以外の生き方は知らなかった」
「何の話……?」
思わず後ずさる私と、立ち上がってこちらに顔を向ける少年。目が合う。
鷹のような鋭さを持った彼の瞳は、はっきりと金色をしていた。
……どうして今まで気づかなかったのだろう。こんな目の色をした人種は地球上のどこにもいないということに。
バケモノかもしれない、のではない。目の前の少年は明確にバケモノなのだ。
「君やクマノがいるこの世界とは違って、僕がいた世界には魔法というものがあったんだ。
特権階級に生まれつこうが、貧民に生まれようが、魔法文明の発展・繁栄のために、誰もが労働に追い立てられ、使い潰されていくような世界だった……そう、『核』が発見されるまではね」
「核……私のこと?」
「ねえ。ゲームをしようよ。他に生き方を知らないんだ」
少年は私の質問に答えずにそう言った。
「隷従か、逃亡か……好きな方を選ぶといい。クマノは隷従を選んだよ。
僕はどっちでもいいんだけど……アンタはどうかな? さっきから僕のことをやたら知りたがるってことは、ゲームがやりたいんだろ?」
「……」
「ねえ。僕と遊ぼうよ。
クマノみたいにかりそめの世界を作って、生きた人間を使って人形遊びをするのはどうかな? あれいいよね、人間同士で殺し合いをさせるやつ。効率よく代償の力が集まるから好きだ。人間が力いっぱい泣いたり怒ったりしてくれるほど、僕たちは力を得ることが出来るから」
少年がそう言って笑う。私は少年から目を離せず、かといって何か話しかけることも出来ず、ただ一つ気づいたことがあった。
(人間同士で殺し合いをさせる異世界って……朝倉さんが話していたのと同じだ!
あのゲームみたいな異世界で、最後には殺し合いになってしまったって朝倉さんは言ってたし。
そうか、あの世界を作る作業に、この子が関わっていたんだ……)
私はとんでもない仮説にたどりつき、言葉を失ってしまった。
何も言わない私にじれたのか、少年はなおも「遊ぼう」と誘いかけてくる。
「ねえ、何して遊ぶ? 別に『殺し合わせゲーム』じゃなくてもいいよ。
代償の力がたくさん集まるなら何でもいい、何でもいいんだ。
僕の目的は、あくまで代償の力だけだからね。
僕は代償の力を集めるだけ集めるために生まれてきた。だからほかの生き方なんて知らないし、できない。……一度は別の生き方を見つけられたような気もするけど、記憶を奪われちゃったからもう知らないんだ」
「わ、たし……それより、話を」
「僕が言ったことを聞いてなかったの?
逃げたければ逃げればいい。遊びに同意しない人間を、僕らは搾取することが出来ない。
それならそれで別にいいんだ。逃げるか、僕に従うか……好きな方を選べって言ってるんだよ。他の答えは許していない」
私は口を開こうとした瞬間に怒られてしまった。
……駄目だ、話が通じる予感がしない。
(か、管理者はいったいどうやってこんなのと協力関係になったっていうの~っ!!)
泣きたい気持ちになってしまう。
それが表情に出てしまっている私を見て何かを思ったのか、少年はすこしバツが悪そうな顔になってこう言った。
「……僕ら魔獣は異常な存在ではあるけれど、別に君たち人間にフリーライドしている悪者ってわけじゃないんだよ。僕らは僕らでリスクを負っている。
僕らは人間のマネをして人間の感情をひきずりだして弄ぶ怪物だけど、そうやって弄ぶには僕ら自身も相手と同じだけの感情を消耗しなければならないんだ……泣いたりとか、怒ったりとか、愛したりとかね。
僕ら自身の感情は決して代償の力には利用できないマガイモノだけど、それでも人間と一緒に泣いたり笑っていたりするとつらいんだ。分かるかな?」
「……」
「君は質問をくりかえすことで僕から知識を取るだけ取ろうとしているけど、奪われるだけなのは嫌だって言いたいんだよ。僕ら魔獣はそういう搾取に凄く敏感なんだ。
だから僕は君に聞いているんだよ。僕と一緒に魔力を集めるゲームをするか、僕とかかわりあいにならずに逃げるか……ってね。一方的に奪われるのは嫌いなんだ」
少年はそう言って、「さあ選んでよ」と肩をすくめる。
彼はあまり強い目的意識を持っているわけではないようで、私を押さえつけていいなりにさせようとしているわけでもなさそうだった。
(うう、どうしよう……逃げたいけれど、逃げることなんて実際問題出来ないよー)
彼があの異世界創造魔法に関わっていることが分かった以上、ここで彼を取り込まない以外の選択肢は存在しない。彼には絶対に協力してもらう必要がある。
考えろ、考えろ、と、私は自分に言い聞かせる。過労で頭はボヤボヤしていたはずだけど、今だけはそんなことを言い訳にしていられない。必死になって考える。
(逃げていいってことは……『逃げられる』ってことだよね?
『逃げてもついてきてやるぞ』なんてこの子は言ってない。つまり、この男の子をこの場所に縛りつけている『悪いもの』は私じゃなくて、別の何かなんだ……)
『悪いもの』は物体ではないと思う。……いや、ひょっとしたら物体なのかもしれない。この男の子は朝倉さんとの通話を終えた直後、もしくは通話の途中に現れた。
だとしたら、あの時の私がやっていたこと、私に起きた事を考えれば、『悪いもの』の正体は自然と分かるはずだ。
(……っていってもあの時って別に大したことしてなかったよなあ……『悪いもの』は廃屋にもあったんでしょ?
廃屋にもあって今この家にあるものと言ったら管理者のデータが入ったSSDだけど、それだけだと『あのタイミング』で男の子が現れた理由の説明がつかない……。
うーん、ほかになにがあったかな……なにもないよなあ。電話して気持ちが元気になって、あー仲間がいるっていいなーって思っていた程度で……)
と、そこまで考えて、私は目を見開いた。
──元気になった?
──異世界創造魔法に必要なのは『設計図』と『代償の力』で、代償の力とはつまり何だった?
私は目を見開いたまま、すぐに机の上のPC画面に目を走らせた。
そこでは先ほどまでと違うことが起きていた。……PC画面上の無題のアプリ(プログラム?)の、『代償切れ』の項目が消えているのだ。
(──無題のアプリだ!
厳密には『魔力が溜まって魔法が使えるようになっているこのアプリ』が、今この子をここに縛り付けているんだ!!)
今まで大久保の廃屋に彼が縛られていたのは、前回の異世界創造魔法の名残があの場所にあったからなのだろう。多分だが。
無題のアプリはあくまで魔法の補助をしているだけで、ちゃんとした魔法陣のようなものが廃屋やこの場所に成立していてるのかもしれない。……これも多分なのだが……。
私はそこまで考えると、部屋の隅に置いてあったスチールラックのポールを手に取った。なんでそんなものがここにあるのかというと、通販で買ったはいいけど組み立てるのが面倒くさくて放置していたからだ。大雑把な性格の人間の家あるあるな光景である。
ポールを構える私を見た少年が、けげんそうに目を細める。
「……何をする気?」
「交渉だよ」
そう言って、私は少年に……ではなく、PCのSSDに向かってポールを構えた。
追い詰められた社畜は何をするか分からないということを、目の前の異世界人に教えてやらねば。
「……第三の選択肢を選ぶよ。協力しよう? それが出来なきゃ、ここで君を消す」
「協力だと?」
「君から一方的に奪ったりしない。
だけど私の言い分を聞いてもらえないなら、ここでこのPCを壊して異世界創造魔法なんか使えなくしちゃうし、私もカフェイン剤を大量に飲んで嘔吐と下痢を繰り返す体調激悪女になって代償の力を出すどころじゃない状態になっちゃうよ」
私はそういいつつも、ポールを持っていない方の手で素早くカフェイン剤を全部出して片手で持った。
──余談だが、カフェイン剤は入手が容易なため若者の自傷や自殺企図にもしばしば用いられ、大きな社会問題になっている。
成功率はかなり低く、パフォーマンスがガクンと下がって何もできないまま胃と頭が超痛い状態が長続きするだけなので、あまりいい方法であるとは言えないのだが……。
私は少年をあまり刺激しすぎないように気を付けながら口を開いた。
「君には核……というか核である私が持っている代償の力が必要なんだよね? だから私に元気が戻った瞬間に君はこの場所に現れた。違う? 私が体調劇悪女になると困るんじゃないの」
「脅迫だな。だが残念だけどそれだけじゃ僕は脅せないよ」
「これなら?」
そう言って私がスチールラックのポールでコンコンとSSDを叩くと、少年はうっという顔をした。
「……私は蒔田さんを助けたいの」
苦い顔をする少年を前に、私は静かに説明する。
「君に従うことを選んだら、蒔田さんを助けられるかどうか分からないもの。私が欲しいのはあくまで蒔田さんの命だけ。あの人を助ける手助けをしてくれるなら、君にも協力する。力が欲しいというのなら、そうする」
私がそう言うと、少年は難しい顔をして黙り込んだ。
そのまましばらくの沈黙が流れる。
永遠にも思えるような緊迫した時間が流れた後、少年はふうとため息をついた。先ほどまでの異様な雰囲気は消えている。私を威嚇するためにわざとやっていたことなのだろうか。
苦笑交じりに肩をすくめて、彼は言う。
「……降参だ。君の言い分を聞こう。……だからその物騒な鉄の棒をしまってくれないかな?」
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