第32話絶望の化身は無慈悲なバールに撲殺される

 そして視点は変わる。



  ――あたたかい温度につつまれた私は、妙にふわふわとした気持ちで目を覚ました。


 私は頭の中を漂うもやはらいたくて、思わず頭を軽く振って声を上げた。

 ふわりと目を開けると、薄紫色の景色が目に入ってくる。


「……う……」


 ……どうやら私は床というか、地面にぺたりと座り込む形で眠ってしまっていたらしい。


 身じろぎして起き上がろうとしたら、誰かにそっと押しとどめられた。



 ――もう随分、長いこと眠っていたような気がする。 それも悪い夢の中をさまよっていたような……。



 起き抜けのぼんやりとした頭のまま、私は今までに何があったのかを思い出してみた。


(ええと、病棟の超過勤務で死にかけていたら、いつのまにかゾンビゲーム『デドコン3』の世界に迷い込んで、人気ゲームの青年キャラクターの皮をかぶったゲーム開発者・桐生さんに助けられて……)


 そこまで思い出したところで、私は思わずため息をついて目を閉じた。


(……ダメだ……。何をどう整理しても、一体何が起こっているのか、全然わけがわからないよ……)


 私はいろいろなことを思い出しながら、ふと目を開けて、目前がんぜんに広がる光景の不可解さに首を傾げた。

 そこにはゾンビゲームのそれとは程遠い世界があったのだ。




「セラ、意識が戻ったのか……よかった」


 周りに広がる景色は意味不明だったものの、背後から聞こえてきた声は馴染なじみのあるものだったので、私は思わず笑みをこぼした。

 桐生さんの声だったのだ。

 桐生さんの安堵あんどと嬉しさを隠せない様子の声に、私も思わず笑みを深めた。


「……はい、私は元気みたいです」


 なんだか久しぶりに声を出したような気がする。

 私が「元気みたいです」と言うと、桐生さんは「よかった」と言葉を重ねる。


 ……どうやら今の私は、座り込んだ格好のまま、同じく座り込んでいる桐生さんに背後から抱きしめられているという状況らしい。

 体重を預けきるのは流石に悪いような気がしたので、身じろぎをしようとしたが、桐生さんに止められた。動くなと言うことだろうか。今は危険な状況だということなのだろうか? 身動き一つ出来ないほど?


「……桐生さん、これはどういう状況なんでしょうか」

「ああ、済まない。

 ようやく君を確保できたんだが、もう会えないのかと思うと堪え切れなくなってしまって、こうやって名残を惜しんでいたところだった」

「一体何の話をしているんです?

 ……ええと、確か私たちはデドコン3の薬局ステージまで辿りついて、意識不明の『アナタ』にワクチンを打って、そこでなだれ込んできた『管理者』と戦闘にもつれ込んだ……んでしたっけ……? 私、ヤツに思い切り殴りつけられた気がするなあ……」


 私は管理者に襲いかかられた時の痛みを思い出して、思わず顔を思い切りしかめる。


「そう、その通りだ。それで、君は瀕死の重傷を負ってしまった」

「……マジですか。それって、桐生さんにめちゃくちゃ負担をかけてしまったんじゃないですか? 本当にすみません……」


 私が恐縮して謝ると、桐生さんは「いいんだ」と笑った。

 その声があまりに穏やかすぎたので、私は思わず桐生さんを振り返ろうとしたが……出来ない。優しいが有無を言わさない桐生さんの両腕に、ガッチリ体を固定されている。


「……桐生さん?」

「大丈夫だ、もう管理者が君に襲いかかることはない。

 さっきヤツとの戦闘の中で気づいたことなんだが……どうやら管理者には、直接人間を殺せないしばりがあるようだな」

「人間を殺せない?」


 と、私は思わず首を傾げた。


「ああ……正確には、殺す力はあるが、殺そうとしてこない……と言う感じかな。

 何かルールがあるのか、タブーがあるのか……管理者は本来の人格をほとんど消失しているようだが、『人を殺さない』という掟だけは懸命に守ろうとしているようだった。あれは一体何だったんだろうな……」

「へー……そんな性質があったんだ……。

 桐生さん、よく調べられましたね。やっぱり桐生さんは凄いなあ、ワンマンアーミーだなあ……」


 と、何度もうなずく私の頭を、桐生さんが優しくでる。

 なんだろう……嬉しいのは間違いないのに、酷く不穏ふおんな予感があった。

 妙な胸騒ぎを感じている私をよそに、桐生さんは話を続けている。


「あの時の『管理者』が君に襲い掛かってきたのは、代償切れの苦しさに根負け結果だったんだろうな。

 ……だが基本的に、ヤツは人間を攻撃してこない。バールで殴っても突き刺しても、遠回しな反撃しかしてこなかった。直接攻撃をしてこなかったとはいえ、かなり手ごわかったが……」

「なるほど……え、あれ? 周囲には地獄の軍勢もマシンガンも見当たらないですけど、バールはまだ持ってるんですか?」


 私はふと周囲を見回し、思いついた疑問を口に出した。


「ああ。ココに来る前に……趣味で作りかけていたゲームの設計図を反映させた世界に寄って、ひろってきたんだ」

「えっ?」

「俺は『核』でもなんでもない普通の人間だが、管理者のPCを使えば異世界創造魔法を起こすことが出来た……というのは、新しい知見だったかもしれないな。

 なんにせよ、やっぱりバールが一番安心できる。ドラム缶とは役者が違うな。ドラム缶はクソだ」

「ドラム缶? クソ? 作りかけのゲーム……? 一体なんなんですかそれ……」


 噛み合うような噛み合わないような会話をしながらも、私は困惑気味に目を瞬いて、周囲の景色に視線を動かす。



 ――優しい薄紫うすむらさき色をした空中に、色とりどりの図形や光が踊っている。

 雪……のようなイメージだろうか? それとも雨を表現しているのかもしれない。

 異世界の中で忘れ去られた、古代遺跡に降りしきる雨……そんな感じの雰囲気の場所だった。私たちはそんな中に浮かぶ図形の一つに座っている。

 少し独特な色彩だが、それがむしろとても綺麗だと思った。


「……ここ、きれーな色をした場所ですねえ……」


 私は周囲をきょろきょろと見回しながらそう言った。


「でも、一体なんなんですかね、これ……こんなゲーム、あったっけ……?」

「……綺麗な色……か。それは、嬉しい言葉だな」


 私の言葉に、なぜか桐生さんがくすぐったそうに笑う。

 その笑い方に、どこか不吉なものを感じた。


「ちょっと桐生さん? 何をワケの分からない喜び方をしているんですか。ココは確かにキレイだけど、どんどん訳がわからない状況になっているんですよ? 分かってます? 一体どうしたらいいんだろう……エリザベさんは無事かしら? 早くみんなで元の世界に帰らなきゃいけないのに……」

「……セラ、それについてなんだが、大事な話がある」


 ふと桐生さんの声が真剣な色合いを帯び、私を抱きしめる腕の力が強まった。


「『核』が帰還できる条件は、ない……散々探したが、俺では見つけられなかった。必ず死ぬと決定されているから、帰り道も設定されていない」


 核は帰ることが出来ない。その言葉に血の気が引いた。だが桐生さんは「大丈夫だ」と言うように私の頭を優しく撫でる。そしてそのまま説明をつづけた。


「どうやら熊野寺……管理者自身も強力な『核』のようだが、しかしヤツは自分の命を犠牲にすることを望んでいなかった。

 だからアイツは別の『核』を犠牲にして、その命を『代償』と呼ばれるエネルギーに変えて異世界創造魔法を発動させることを選んだ。……記録には、そう書かれていた」


 PCの情報を見る時間が少なかったから、俺に分かったことは少ない……と、私にとってはよく分からないことを言いながら、桐生さんは話を続ける。まるで今しか説明できる時がないといわんばかりに。


「なぜだかは分からなかったが、異世界転移魔法で転移させられる人間たちは必ず『仕事で消耗して死ぬ寸前』であり、異世界転移魔法が適用される範囲は、物理的に管理者のPCが置かれている場所から大体█キロから██キロメートル四方程度に限定される。

 █宿にいる社畜が巻き込まれがちだったのはそのせいだろう。

 ……確認する方法はもはやないが、ひょっとしたら渋█や█並・千█田あたりにも犠牲者はいたのかもしれない。


 『核』と呼ばれる人間たちは強い生命エネルギーを持ち、往々にして何かに強い執着を持って『設計図』を作ろうとする性質を持っている。

 セラ、君がゾンビゲーブログを作っていたようにな」

「えっ、ブログ? 桐生さん、なんでそんなことを知って……」


 と、私が言いさしたところで、どこからか何か大きなものが動いたか落ちたかしたような、どーんという音が聞こえた。思わず周囲を観ようとするが、桐生さんに頭を押さえつけられる。


「もう少し話を聞いてくれ」


 という彼の喋り口はまるで残り時間を気にしているような、畳みかけるようなものに変わっていく。


「君は仕事で死にかけたら、また『核』としてこの世界に戻ってきてしまう恐れがある。だから、可能な限り今の仕事を早めにやめて、もっと穏やかな職場に転職して欲しいんだ。

 なぜだかは俺には解読できなかったが『ゲームの世界を反映した』『設計図』を持った核がが仕事で死にそうになった瞬間に、異世界転移魔法は発動する。


 ……何度も言うが、この異世界創造魔法の中心に組み込まれた『核』が帰還できる条件は、ない。

 それでも俺は、君のことをどうしても助けたかった。だから……君が決して喜ばないであろう方法を使ってしまった……許してくれ」

「桐生さん?」


 と、私は思わず眉をひそめる。さっきから桐生さんが訳の分からないことばかり言っている。


「……ねえ、桐生さん、さっきから色々な説明をしてくれるけど、私、サッパリわけがわからないですよ。一体なんの話をしているんです? 私が少し気を失っている間に、一体何が起こったんですか?」


 私の問いに、桐生さんは答えない。ただぎゅっと、私を拘束する腕の力を強めるばかりだった


「……何も、何も起きていない。君が心配するようなことは、何も」

「そんな、嘘です!!」


 私はそういい切って、桐生さんの腕から力づくで脱出した。

 スカートをひるがえして立ち上がり、桐生さんを見下ろせば……そこにはスーツを血で染めた桐生さんが座り込んでいる。


「え……っ!?」


 と、私は思わず目を見開いた。

 桐生さんはまいったなといいたげな表情で苦笑しているが、笑い事ではない。


「け、怪我……こんなに沢山……っ!?」


 私は慌てて座り込み、桐生さんの怪我に目を走らせる。裂傷が至る所に出来ている。一瞬では把握はあくしきれないほどに。


「ど、どうしよう……止血に使えるもの……いま着てるドレスしかないや。とにかく出血を止めなきゃ。桐生さん、この怪我は一体いつごろから」

「いいんだ」


 私の言葉を、桐生さんはさえぎった。


「大丈夫……このくらいなら、まだ戦える。

 ……そんな顔をするな。エリザベートは無事だし、『アナタ』も多分無事に戻っているさ。もう何も、心配するようなことは」

「嘘」


 桐生さんの言葉を、今度は私が遮ってしまう。

 強い目線で見上げると、きょかれた表情の桐生さんと目があった。


「……嘘、ですね? 桐生さん、嘘をついてます。こんなにひどいけがをして、絶対大丈夫なはずがないじゃない。……全部一人で抱え込んで、一人で死ぬ気なんだ」

「……君に、隠し事は出来ないんだな」


 そう言って、桐生さんは苦笑する。苦笑で会話を終わらせようとしている意図を感じてしまった。


「……なんで、ここまでして私を助けてくれるんですか?」


 苦笑のみで逃げようとする桐生さんを、私はえて問い詰めた。



 ――決して、決して楽なことではなかったはずだ。


 私が気絶している間に何が起こったのかは分からない。だが、桐生さんは私のことなんか見捨てて、自分が生き延びることに専念しても良かったはずだ。

 そのほうが絶対に楽だったし、桐生さんはそうするべきだった……と、私は強く思っている。


 どうして、と私は思った。こんなに酷いけがをしてまで、どうして私を守ってくれたのだろう。




「……君には随分と助けられた。そのお礼の代わり、かな」


 桐生さんは笑い混じりに肩をすくめた。血まみれなのに、随分と軽い言いぐさだし、妙に晴れやかな笑顔だと思った。


「……何を言っているんですか……。桐生さん。

 私、あなたにむしろ助けられてばかりだったんですよ!? なのに、なんで……どうして!!」


 私はさけんだ。

 これではほとんど悲鳴だと自分でも思ったが、自分の感情を抑えることができなかった。

 いつのまにか、自分の目から涙が溢れ、頬を伝い落ちている。

 悲しくて、悔しかった。

 目の前で大切な恩人が傷ついている。

 それなのに、物資も技術も足りなさすぎて、今の自分では彼をマトモに手当することはできない。血は流れていく一方なのに、桐生さんは最低限の止血さえ拒絶している。




 こんな、こんなことって……。




「俺に助けられた……か。君はそう思ってるかもしれないが、俺にとっては逆だったな……」


 端正なほほに小さな笑みを刻みながら、桐生さんはそう言った。


「君は随分と俺を尊敬してくれていたが……正直言って、俺は自業自得のくだらない挫折(ざせつ)の経験を積みまくっていたんだ。年の割にも情けない大人だったんだよ。

 消化試合みたいな人生を、ただ惰性だせいで生きているようなものだったんだ。


 ……それが、君と出会って、久しぶりに楽しいという感情を思い出した。

 君を助けられる自分を、ほこらしいとさえ思った……救いだったんだ。突然こんなことを言われても、君は困惑するしか無いだろうが」

「そんな……桐生さん……」


 桐生さんの言うとおり、私は言葉を失うしかなかった。


 だって、だって、一緒に過ごしたのはたった六時間ぽっちで、ひょっとしたらそれ以上の時間がいま経過しているのかもしれないけれど、私の体感時間と言えばそれくらいなのだ。


 一緒に過ごした時間は短いけれど、大好きな人だ。大切な人だ。桐生さんに「救いだった」と言われても、決して嫌な気持ちはしないくらいに。



 ……だけど、今はそれ以上に「どうして」という疑問の方が大きかった。


 桐生さんと私の間に、経過時間的な意味での大きなへだたりを感じるのだ。桐生さんの口ぶりから推測するに、絶対に、私が気絶していた時間はかなり長かったはずである。そして、その気絶していた分の時間が大きな隔たりになって、私たちの間をつらぬいている。

 だけど私には、分からない。



 私がどれだけ眠っていたのか、一体何が起きているのか、桐生さんは一体何をしようとしているのか……。




「……桐生さん。あの、私は……」


 色々と考えた末に、私が何か言おうとしたその次の瞬間に、どこからともなく、何人分もの低い咆哮ほうこうのような声が聞こえてきた。


「……時間切れだ、セラ。管理者に追いつかれたようだ」


 そう言って、桐生さんは立ち上がった。怪我の酷さを一切感じさせない動きだった。

 つられて私も立ち上がる。だが桐生さんは首を振って、


「駄目だ。君は帰るんだ」


 と、私の肩を叩く。

 私は怒って首を振った。


「そんな、なんで桐生さんだけがここに残るみたいな口ぶりなんですか!

 さっきから本当に訳がわからないですよ。

 今までずっと、敵が出てきたら、一緒に戦っていたじゃないですか……なんで急に、私を置いて行こうとするんですか……」


 私はそう言いながらうつむいた。


「私は、桐生さんと一緒に帰りたいです」


 と、呟く。

 すると、桐生さんがため息交じりにこう言い始めた。


「……分かった。そんなに俺を救いたいなら、あちらの世界で、やれるだけのことをやってみるといい」


 そう言って、桐生さんが笑った気配がした。

 私は思わず弾かれたように顔を上げる。


 桐生さんの笑顔は、最初に出会ったときと同じ、不思議と人を安心させる笑顔だった。私がくじけそうになるたびに、不器用に支えてくれた時の笑顔。


 桐生さんはその表情をふっと真面目なものに改めると、私の両肩をつかんでこう言った。


「……だが、やれるだけのことをやってみて、それでも出来なければあきらめるんだ。

 綺麗さっぱり諦めて、忘れて……どうか幸せに生きてくれ。

 ……頼んだぞ、ゆう

「え? 桐生さん、なんで私の名前……」


 と、私が言い終える前に、桐生さんは私の肩をドンと叩いた。


 突き落とされた……と、一拍遅れて理解した。

 あわててもがくが、すべはない。優しい色合いをした世界の中を、私は落ちる。


「桐生さんっ、なんで……どうして!! 桐生さん!!!!」


 私は叫び、落下ざまに上空を仰いだ。

 長い黒髪が、薄紫の空に向かってなびいている。

 セラ・ハーヴィーの長い黒髪だ。自分のだけど、自分のものではない髪。

 その髪の間から、桐生さんが、穏やかな表情で私をみおろしているのが見えた。

 だがすぐに彼はバールを持ち直して、いまだ『管理者』の咆哮ほうこうが聞こえる方向へと去っていく……去ってしまう。


「――桐生さん!!」


 私が叫んだのとほぼ同時に、『管理者』のものらしき、いっとうおおきな悲鳴が聞こえた。

 ……ひょっとしたら、あれは断末魔だったのかもしれない。分からない。


 それがひびいたのと同時に、私の意識は寸断され、闇の中に飲まれて消えてしまったからだ。



 ――まだ何も、私は分かっていないのに……。

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