第23話チャラリーマン、喪女、タワマンあるいは不思議の環
――いったいなぜ、私はこんなことをしているのだろう……。
そんなことを考えながら、私こと、朝倉 江里華(あさくら えりか)は
今一人暮らしで住んでいる自分の家よりはるかに広い……三口コンロのある明るいキッチンだ。
「へええ、そう何でもかんでもポンポン鍋に放り込んでいいものなんだね。家庭料理って新鮮だなあ」
そんな
ついおととい知り合ったばかりの、私の新しい天敵である。彼がこの住居の主だった。
「火があるから、危ないわよ。あっちに行ってなさいってば」
私はとなりにしゃがみこんでいる三田村の姿をチラリとみやり、ごく軽く頭を小突いた。
笑いながら退散していく三田村を呆れた目を見送りながら……広いカウンターキッチン越しのリビングの、大窓の向こうに広がる副都心・新宿のきらびやかな夜景に目を転じる。
(……なにがどうして、こんなことに……)
目の前に広がっているのはどう考えても一般庶民には手の届かない100万ドルの夜景である。
こんな景色、庶民である私はゲームでしか見たことない。
あれは一体なんだったか……そうだ、兄がやっていた○が如くだ。海外ではYAKUZAって名前で売り出されてるやつ。あれにでてくる、毎回爆破されるナントカタワーって場所。位置はズレているはずだけど、あそこから見える景色が確かこんなのだったはずだ。
今の私は、新宿某所の某タワマンの高層エリアで料理をしているという、摩訶不思議な状況だ。黒とブラウンを基調とした落ち着いた室内で、なにより夜景がすごく綺麗だ。それはいい。それは別に、まあ、いい。
……だけど……いったいなぜ、こんなことに……。
「……こんな残念すぎるもの、家庭料理とも呼びたくないわ。食材も鍋も包丁も全部百円ロー×ンで済ませる羽目になるなんて……屈辱以外の何者でもないじゃない」
私はため息をつきながら、鍋の様子を菜箸でつついてみている。
「えー? だって仕方ないじゃん。デパートは軒並み閉まっていたし、あの辺、マトモなスーパーなんてないんだもんよ。それとも何? まるえーのある二丁目エリアまで歩きたかったの?」
カウンターキッチン越しに三田村が切れ長の目を細めて笑っている。
「嫌よ、今日はもうへとへとだもの。あんなところまでテクテク歩いていくなんて絶対に嫌。
……料理だって、アンタに言われなきゃしなかったわよ」
「そりゃあ江里華ちゃん、ウチに泊まっていく以上、多少は働いてもらわないとねえ」
おどけたようにそう言って、三田村はとても人の悪い笑みで笑って見せる。
私は思わず菜箸を振り上げながら、
「泊まるなんてだれも言っていないでしょう!? 少し……少しでいいわ。かくまってくれたらそれでいい。ほとぼりが冷めたら出ていくから」
「それだけはやめた方がいい」
思いのほか真剣な声で止められてしまい、私は思わず息をのむ。
「……ああいう手合いは、まだ別の
もしまた連中に見つかりでもしたら、今度はどうやって逃げるつもり?」
「それは……」
三田村の忠告に、私は黙り込むしかない。
――今日は運が悪かった。
☆
もともと私は、妙な連中に好かれやすい。
電車で隣り合った初対面の男にいきなり肩を抱かれて延々と好きな気持ちを打ち明けられたりだとか、道すがら出会った怖い雰囲気の外国人に、強気なナンパをかけられたりだとか。
……そういう経験が、ほかの子より少しだけ多いと思う。
一時期真剣に悩んだりもしたが、理由は今でも分からない。
悩むのも無駄だと思い、最近は考えることもやめた。今は同僚も上司も女性ばかりだし、子供相手、女親相手の仕事だから、通勤時間さえ気を付ければ、そんなに危ない目に遭うこともない。
(だからかしらね……油断していたのかも……)
カウンター越しにリビングのソファで持ち帰り仕事を片付けている三田村をぼうっと眺めながら、私はそんなことをつらつらと考える。まだ少し……恐怖で体の芯が冷えているのが自分でもわかった。
今日も私は、遅くまで残業だった。
施設長から借りた施設の鍵をかけおえて、時計を見れば二十四時十分というありさまだったのだ。
「やっば」
思わず呟いてしまう。書類仕事に没頭しすぎた。
終電まであと少し……電車を逃せば、タクシーを使う羽目になる。
いったい
そう思って焦った私は、いつもと違う道を『近道だ』と思って走ってしまったのだ。少し暗いなとは思っていた。明かりがついていない家ばかりなことにも気がついていたが……深夜だったので、(寝ているのかな)とそんなに疑問にも思わなかった。
そして、思い切り走っていた次の瞬間に、私は思い切り後ろから首根っこを引っ張られたのだ。
「ひぇうっ!?」
のどから変な悲鳴が出た。私は思わず反射的に身をよじって、抵抗する。
……昨日三田村とか言うド悪漢に捕まって逃亡に成功したばかりだから、反射神経が冴えていたのかもしれない。私の首を引っ張った相手はまさか私がここまで
……が、すぐに私の服をつかみ、引きずり込もうとしてくる。大型の車の中に、だ。
血の気が引いた。
(――詰め込まれる!)
そう思った私は無我夢中で抵抗した。変な奴には絡まれやすい自覚はあったが、さすがに犯罪に巻き込まれるのは初体験だ。
――高校時代、体育館で聴いた警察の講演を思い出す。
東京都では、毎晩ほぼ必ずこんな事件が起きているから、深夜の外出は控えるようにと……。
今が、それだ。私は今、毎晩ほぼ起きているというありふれた犯罪に巻き込まれている。
(逃げなきゃ……逃げなきゃっ!!)
講演で聴いたように、ドアに何度も足をはさまれて怪我をさせられるのは嫌だったが、車に詰め込まれるのはもっともっともっと嫌だ。そう思って、私は暴れた。絶望的な気分だった……と、
「っに、やってんだよ!!」
そんな男の怒号が聞こえたかと思うと、私は体を強く捕まれ、道路の上に投げ出された。男たちの怒号の
息を吐き出して起き上がった時には、車が凄いスピードで走り去っていくところだった。街灯のほとんどない暗がりを、赤いライトが遠ざかっていく。
「あ……」
気がつくと、すぐとなりに、体格の大きい男の人が立っていた。一瞬誰かと思ったが、知っている人間だった。三田村京伍。うさんくさいがちゃんと働いてる不動産屋。
「――よりによって、どうしてこんな道に入ったんだ!!」
三田村は私を見おろすやいなやサッとしゃがみ込み、乱暴な動作で私の両肩をひっつかんできた。怖い。超怖い。
「このあたりは再開発予定区域で、空き家が多い! こんなところにまだ住んでいるのは地上げにも動じない
「……ごめ、なさ……」
あまりの剣幕に思わず私は涙ぐむ。
「私、しらな、くて……」
「そうだろうな……ああ、そうだろうさ。そうでなきゃ、こんな危ないところに入り込むわけがないだろうからな。そもそもなんでこんなところに入り込んだんだ?」
そう言ってため息をつきながら、三田村は私の肩を開放した。首を傾げて答えを待っている彼の顔を見ているうちに、私はふと自分が急いでいた理由を思い出して、スマホをリュックから取り出した。
「その、終電が近くて……って、あ……」
スマホの画面を見て、私はガクリと肩を落とす。
「……の、逃したあああ……」
「それは、ご
全然ご愁傷様などと思っていない様子で、三田村は肩をすくめている。
命が助かったんだからいいだろ、とでも言いたげな様子で、その考えには私も同意だけれども。
「ああー……やっちゃった。どうしよ……こういうときって、ネカフェ? 歌舞伎町には近づきたくないんだけどなあ。そういえば、██通りのこっちがわの交差点にも一件あったはずよね? あそこ、夜安全かしら……」
「俺んちに来れば?
なんていうかその……一人にしておけなさそうな状態だよ? 今のあんた」
そう言いながら、三田村は首をボリボリかいている。
一人にしておけなさそうだという彼の言葉を受けて、私は改めて自分の体を見下ろした。……今まで気づいていなかったが、小刻みに震えている。なるほどこれは放っておけないと思われるだろう。
私は震える自分の体を抱きしめながら、三田村の提案について考える。
そして唐突に、悪い男がやらかしたという、様々なまとめ掲示板に出ていた酷い話を思い出した。
「――……そ、そのっ……家に連れ込んだ瞬間に、後頭部を殴りつけて酷いことをしたりだとか、薬入りの飲み物を飲ませて酷いことをしてきたりだとか……っていうか、実はさっきの車とあなたが実は知り合い同士で、最初からあの車で私にゆさぶりをかけた後にあなたが私を安心させて捕まえて犯罪行為を働く計画だったりとか」
「ねーよ! 本当に俺を何だと思っているんだよあんたはっ!!」
「ひいっ、ごめんなさいっ! ……だ、だってだってだって!! 貴方みたいな人と付き合いを持ったことがないんだもの!!
偏見で悪いけど、貴方っていかにも黒塗りの高級車を乗り回してほっそい巨乳の美女と
「いや、どんな偏見だよ!? そりゃ確かに狆もアフガンハウンドも実家にはいるけどさ、別に黒塗りの高級車も細い巨乳もつれてないって!」
「でも狆もアフガンハウンドもいるんじゃない!!」
私が涙交じりにそう叫ぶと、「うるせーぞ!」とどこからともなく老人の怒号が聞こえてきた。
……ばっちり聞こえているみたいだ。この通りで発せられる泣き声も、叫び声も……。
私が呆れた顔になったのと、三田村が同じような呆れた顔でため息をついたのはほぼ同時のことだった。「はーぁ」と、三田村は肩をすくめながらも立ち上がり、手をさし出しだしてくる。
「……まあいいや。ほら、おいでよ。薬にたよって女をどうこうする趣味はないし、そんなに心配なら途中にある御█大通り交番に顔見せだけでもすればいいじゃん」
「わ、分かったわ……ありがとう」
私は三田村の手を取って、立ち上がった。
「でも私……お金そんなに持ってないし、大したお礼は出来ないわよ?」
「あ? 別にそんなもんどうでもいいけど……そうだ」
次の瞬間、三田村は名案を思い付いたような顔で私を見おろした。
「朝倉さん、料理できる?」
「え? そりゃ……人並みには」
「じゃあ晩御飯。晩御飯何か作ってよ」
「……」
……それで、二十四時間営業の百均に寄ることになったのである。
☆
私がその後案内されたのは、絵に描いたような悪党の家だった。
大理石の床、豪勢な
……明らかに……明らかに、カタギが住む家じゃない。
口を開けてドン引いている私を完全に無視して、三田村は私の肩を抱いて私を中に案内していった。
こんな時間に訪問着を着た女性がうろついているエントランスなんて初めて見たし、コンシェルジュがいるマンションなんてものでさえ、私はドラマ以外で生まれて初めて見た。
――そして、今に至るのだ。
(この男に、
大したお礼は出来ない、とはいったものの、まさかこんな深夜にガッツリ料理させられる羽目になるとは思わなかった。
三田村は自炊をしたことがないというから、多分大した負担じゃないと思っているのだろう。明日が休日だからまあいいものの、すでに私は身も心も疲れ切っているというのに……。
そんなことを考えながら、私は大窓の向こうの夜景を見やり、もう何度めかになるため息をついた。
こんなに遅い時間なのに、どのビルもキラキラと輝いている。……つまりはその輝きの数だけ、社畜たちによる超過勤務が行われているのだ。三田村だって、今もノートパソコンを開いて持ち帰り仕事を片付けている。……どこもかしこも、ご愁傷さまだ。
「……そもそもなんで、貴方もあんなところをうろついていたのよ」
夜景から目を転じて電子レンジを操作しながら、私はそう言って口をとがらせる。
三田村は「いや、さあ」と、バツが悪そうに口を開いた。
「また会えるかも……って思って、ちょっとだけ意識して窓の外を見ていたのは事実だよ……それで実際、あんたを見つけることが出来たんだしね。だけどまさかあんな危ないところに入っていくとは思わなかったよ。血の気が引いた。
本当、アンタは今までよく無事に新宿で生きてこれたなって」
「ちょ、ちょっとまって、『窓の外』?」
私が思わず電子レンジから目を離して三田村を見ると、三田村は何とも悪そうな笑顔でこちらを見ていた。
「うん。そーゆーこと。俺の職場、君んとこの職場の近くなんだよね」
「はっ……え? はあああああっ!?」
「いやー俺も変なぐーぜんがあるなーとは思っていたんだけどさあ。
なんか、仕事でうろうろしていたら高田馬場で見た覚えのある顔がめっちゃいい笑顔で子どもたちとお散歩していたんだよね」
「……」
「なんだろう、今までもきっと何度も無意識のうちに顔をあわせていたはずなんだけど、その時は何とも思っていなかったんだよね。君と一度知り合ってからはなんでか君から目が離せなくなった? みたいな?
気が付いたらその日のうちに君が働いていそうな保育園の場所も絞り込んで特定しちゃっていたし、いつも一部屋だけおそくまで明かりがついてるなーってことも把握していたよ。お仕事、大変そうだねえ」
「……」
「ほっとけないって言ったろー」
頭が真っ白になっていた私が何か言う前に、電子レンジがチンと鳴った。
☆
食事といっても時刻は深夜だ。
あまりガッツリしたものを作る気にもなれず(そもそも百均に大きな鍋は売っていない)、また、体が疲れ切ってもいたので、私は小鍋で作ったかきたまうどんと(百円△ーソンの乾うどん麺はいきなり沸騰した出汁の中に突っ込んでも出汁がドロドロになったりしないので便利だ)、レンジでチンして作ったピーマンのおひたしに鰹節をかけ、そして同じくレンジでチンして作ったえりんぎのめんつゆ煮にごま油をかけたものをデデンと三田村の前にたたきつけたのだった。
「すげー……20分もかかってない……」
「そりゃあ、社畜の手抜き料理だものね。普段は一体何食べてるのよ。デパ地下の高級グルメ?」
「もあるけど、コンビニで済ませる日も普通にあるよ」
「デパ地下で食べ物買う人種って本当にいるんだ……ていうか、この家を見た時も思ったけど、貴方、どう考えても只の不動産屋じゃないでしょう?」
私は憮然としながら箸と皿を机に運ぶ。
せっかくの豪華キッチンだし、できればもっと三口コンロを活用したかったのだが、基本的に自炊をしないらしい三田村の家にあまり食材を置いて行くのも悪い気がしたので、最低限の食材と調理器具で間に合わせたのだった。
めんつゆと塩はともかくとして、ごま油とみりんと醤油の小瓶は使い道に困るかもしれないが……まあ、消費期限が早いわけでもなし、頑張って消費しきってもらおう。100均のまな板と包丁もいらないから置いていく予定ではあるし。
(それにしても、我ながら……モテ路線とは程遠いラインナップね)
私は内心ため息をつく。こういう時、デキるモテ女はトンカツを揚げてみせたりオシャレアヒージョとか作ったりするのだろうか……自分の女子力の低下には、内心ヒヤっとせざるを得ない。別に三田村にはモテるつもりもないのでかまわないのだが、最近はとにかくマトモに料理が出来ていないのだ。そもそもフライパンやナベというものがいけない。あいつら、どうして油がこびりつくと中々洗剤で落とせないんだろう……。
「あ。うまい。ほっとする味だねー」
「そりゃどうも」
そんな返事をしながらも、私は遅すぎる夜食を箸でつつき、行儀が悪いと知りつつスマホを操作して動画を再生した。
「……うん? なにそれ?」
「桐生……ええと、あの異世界に閉じ込められて帰ってきた人が『見ておけ』って言ってた動画。
忙しくって全然観てなかったから」
「へえ」
三田村も興味深そうにスマホを覗きこんでくる。そして……『異世界ユーチューバー』が動画に登場した瞬間、端正な顔をこわばらせた。
「ああ。知ってるの? そういえばあなたもあの異世界に行ったことがあるんだっけ。知らないわけがないか」
「あー、それもそうなんだけど……こっちの世界でも追い詰めつつある男でね。最近ようやく、首に縄をかけられるかな、って思ってた所だったから」
そう言って、三田村は切れ長の目を鋭く細める。
【本編を読み進める上で何の参考にもならない登場人物紹介】
■ タワマン
お金持ちのシンボル。ひたすら縦に長いので、勤め人が多いタワマンなどは朝のエレベーターが満員電車並みに混んでいたりする。それでも階層の高いところに住みたがるんだからお金持ちの考えることはよくわからない。
三田村の住んでる場所は毎朝一階のレストランでサラダ取り放題の500円バイキングをやっているらしい。どおりで自炊しないわけだよ、三田村。
※ 変な人に車で連れ去られそうになりつつそれを断ったら、別の人があらわれて声をかけて「車で家まで送ろうか?」と言ってきた……って手口は、実際にしばしばマジモンの犯罪者が人間を車に詰め込む時に使う手段ですッ!! 最初に出てきたヤベー人も次に出てきたお助けマンも仲間ッ!! もしこの小説と似たようなことがあった場合は絶ッッッ対について行かないようにお気を付けくださいッッ!!!! イケメンに悪党から守って貰った後に恋愛物語が始まる……ってのは夢小説の中だけッッ現実世界に三田村君はいませんッッッッ!!!!
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