第22話彼の名前は三田村京伍

 目の前のチャラリーマンは、固まってしまった私を見て何を思ったのか、「ああ」と手を叩いたかと覆うと、胸ポケットから一枚の名刺を差し出してきた。


「とりあーえずー、君に怖がられちゃっても困るから、はい。これどうぞー」

「え? あ……ど、どうも……」


 私はおずおずと名刺を受け取る。

 名刺を出すというそんな些細ささいな動きにさえ、妙な洗練せんれん度合いを感じた。

 ──異世界の話に言及さえしていなければ、私はこの男を一流の詐欺師だと断定したことだろう。

 それにしても、今日は名刺をよくもらう日だ。


「三田村 京伍(みたむら きょうご)……さん?」


 私はうさんくささを前面に出した声で尋ねる。


「うん、そう。

 不動産売買をやっているはずが、ついでに社長に仕事を振られて何でも屋までやらされている、可哀想な不動産屋です。

 しょっちゅう解体業者さんとか、マンション管理組合さんとかに無茶を言われて頑張るお仕事をしているよー。趣味は映画とゲームと漫画と靴集め。ね、ぜんぜんあやしくないでしょ?」


 三田村と名乗った男はまたもや立て板に水を流すようにしゃべりまくり、「よろしく」と、手まで差し出してきた。

 私は差し出された手をぼんやりと見つめて、その後に目の前の男を見上げる。


 ――切れ長の瞳が印象的で、骨格がしっかりとしている。

 綺麗な顔立ちをしているが、背が高く筋肉質な体形をしているためか、あまり女性的な印象は感じられない。

 やや短めの髪はきれいにセットしているし、服装にもスキがない。

 スーツに萌える人間じゃないので何がどう凄いのかと聞かれると説明が出来ないけれど、明らかに、量販店のスーツを適当に着ている自分の父親や兄とは違う人種だと断言できた。


 ……そう。人種が違う。あまりに得体が知れなさすぎる。深入りはしない方がよさそうだ。



「それで、三田村……さんは、さっきの私たちの話を聞いていて、自分も知っている話題だって思ったのね?」


 私は一歩後ずさりながら、目の前の三田村にそう尋ねる。


「そそ。『核』だの『異世界』だのって言ってたでしょ?」


 三田村は握手あくしゅを無視されたことに気を悪くしたそぶりも見せず、すかさず一歩踏み出してきた。


(……マズい。感づかれている。私が逃げようとしているって)


 内心冷や汗をかいている私をよそに、三田村は話を続けている。


「俺あの話を聞いてさ、多分例の社畜地獄の話をしてるんだなーってピンときた」

「社畜地獄って」

「だってそうじゃん? 俺、あっちのゲームみたいな世界で社畜以外の人種を見たことがないよ。

『異世界』というには妙に不完全な場所だし……あんなの社畜地獄で十分だよ」

「……それは、まあ、そうね……」


 その言葉には、私もため息をついて同意するしかない。

 と、私がため息をついた隙を狙いすまして、三田村はすかさず私の腕をつかみ、肩を抱き寄せてきた。


「ひえっ!!??」

「さーて、これで逃げられないね? さっさと話を聞かせてもらおうか」


 という男の言葉に、私は声を失った。

 腕をつかまれ、肩を抱き寄せられているというこの格好は、オトメゲーなら見せ場のイベントスチルが挿入そうにゅうされそうな構図だ。

 だが、ここは現実で、そして目の前の男は超がつくほどのうさんくさげな悪漢だ。こんな治安のわるげなイベントスチルは欲しくない。男だって女だってそう思うはずだ。


(『ガラが悪い』っていう第一印象は間違いじゃなかったんだわ! はやく警察を呼ばないと!!)


 そう思って、私は暴れる。


「はっ、離して! 誰かあ!!」

「……なにもしないってば。話聞かせてくれれば、すぐに開放するって」


 私が動けないように拘束しておきながら、男が苦笑交じりに言う。

 周囲を歩く人々は一瞬こちらを振り返るが、警察を呼んでくれそうな人はいない。……くっ、これだから! これだから駅前の繁華街は!!



「警戒しないわけないでしょう!? 一体なんのつもりなのよ、貴方!!」


 私は必死に身をよじって男から逃れようとした。

 ……が、当たり前だが、びくともしない。絶望的な気分になる。


「だから、なにもしないって……ちょ、ちょっと!? 大の大人が号泣することないでしょうが!!」


 私の顔を見た男が、ぎょっとした風に手を放した。私はすかさず男と距離を開けようとする……が、腕をまたつかまれてそれは防がれる。私はまた涙目になった。


「逃げないでってば! ほら、冷静に冷静に!」

「な゛っ……何もしないって言うなら、なんのつもりで私を捕まえるのよ゛お!」

「だから! 単純にあの場所の話をしたいだけだって! 人を殺さずにあの場所を出られる方法を知ってないかなーって!!」

「そう……なの?」

「そうなの!  ……はー、あのさー、俺、彼氏持ちの女の子をどうこうするほどモテないわけじゃないよ?」

「……彼氏持ち?」


 その言葉に、私は思わずジタバタするのを止めてしまう。それを見て、三田村も不思議そうな顔で目を瞬いた。


「あれ? さっき居酒屋で話してた男、違うの?」

「……。……桐生は、そういうのじゃないわよ……」


 脳裏に死にかけで口から魂を出していたエンジニアの姿を思い浮かべる。あれは別に彼氏ではない。スマホに顔を近づけたりしていたから誤解されたのだろうか。

 私の言葉に何を思ったのか、三田村は何故か虚脱したように息を吐いた。


「そうか……そうなんだ……」

「そうよ。……とにかく、逃げないから離して」


 そういうと、三田村は素直に手を放す。私はスマホで現在時刻を確認して……ため息をついた。


「……ああもう、こんな時間じゃない! 私、あしたも遅番だけど仕事なのよ。三田村さん、悪いけど私、帰らせてもらうわよ?」

「ええ? 結局逃げるのかよ」

「近づかないで!! 別に逃げようってんじゃないから。……チャットアプリのID、よこしなさい」

「えええー? いきなりID交換って怖くない? それよか喫茶店とかで少しだけお話ししたいなーっていうか」

「アンタ馬鹿!? 喫茶店の方が十倍怖いでしょうが!! ……ていうか、あんたもID交換を嫌がるのね。ひょっとして、年寄り?」

「……まだ28だけど」

「なーんだ、本当に年寄りじゃない」

「……そういうアンタはいくつなんだよ」

「26」

「……俺とそんなに変わんねーじゃん……」


 そう口をとがらせながらも、三田村はふっと苦笑する。苦笑しながら、IDを提示してきた。それを使って友人登録をする。


「……しかし、俺の方からぐいぐい行っておいてなんだけど、いきなりこういうのを交換するなんて意外と積極的なんだね。もっと臆病な子かと思ったんだけど」

「……セラを助けるためよ」

「え?」

「あの異世界に、まだ一人とらわれている子がいるの。私をたくさん助けてくれた子が」

「その子を……助けたいって? 随分と絶望的な話だね」

「言わないで。……分かってるから、それ以上は言わないで。

 絶望的だと分かっていても、私はあの子を助けたいの」


 そう言って、私は胸に手を置いた。……目の前の男は正直怖い。だけど、何かを知っている。私は勇気を出さなければいけなかった。


「さっきの男、桐生だってそうよ。手がかりならいくらでも欲しいの。

 ……ねえ、お願い。私の知っていることなら全部話すから、貴方も知っていることを全部教えて」

「……え? 話すの? じゃあ、話すんならさ、悪いことはしないからちょっとそこのルノアー」

「じゃっ、続きはチャットアプリで!!」


 そう言うなり、私は人生史上最高のダッシュを決めて逃げ出した。三十六計逃げるに如かず。君子危うきに近寄らず……。連絡手段だけは確保できたんだし、私は十分に勇気を出したわ!


 ……っていうか! あの男やっぱり怖い、超怖い!!!!




 ☆




 命からがら逃げ出したのに、再会はあっけなかった。


「……げ!!」

「あ!」


 遅番+書類仕事に一区切りをつけ、職場から出て少し歩いたところにあの男がいたのである。時刻は22時。早くもなければ遅くもないが、日はとっくにくれている。


(三田村ナントカ!!)


 私は三田村の姿を確認した瞬間、身を翻して逃げようとしたが、相手の方が早かった。目にも留まらぬ速さで抱き上げられ、あっけなく捕まってしまう。


「はーい、確保ー」

「はっ、離して……離して!!」

「やだよー。どうせ逃げる気なんでしょ?」

「当たり前よ! 三十六計逃げるにかずって言葉があるじゃない!」


 私は三田村から逃れようとジタバタしつつ涙目になる。


「ヤバそうな人間からは全力で逃げた方がいいって、孔子だか孫子だかも言ってるわ!」

「三十六計は孔子じゃなくて檀道済ね。君が言ったその諺は檀道済のものでさえないけど」

「う……っ!!」

生兵法なまびょうほう怪我けがのもとだよー」


 三田村はそう言って小さく笑ったあと、「それにしても」と話題を変える。


「それにしても、いやいや帰り道でよかったよー。すごい偶然だなあ。偶然っていうか奇跡? 今日はこのまま直帰にしようかなー、俺」


 ごちゃごちゃ話している三田村ナントカを無視して、私は全体重をかけて勢いをつけ、三田村の腕から無理やり逃れた。……奇跡だ。むしろ神跡だ。昨日に続いて運動音痴の私史上最高レベルの快挙だった。


「おおっと、させないよ!」


 だが、奇跡が起きたのはその一瞬だけだった。逃げようとした私に三田村は足払いをかけ、ずっこけた私をそのまま抱きかかえて動けなくしてしまう。


「へぁぶぁっ!?」

「……あのさー……不動産屋と本気で追いかけっこする気?

 このあたり、俺の担当だからどんな細い道からでも回り込めちゃうよ ? 行き止まりになってる場所だっていくらでもあるし」

「……」


 言い終えるなり、腕を離して私を解放する三田村。重心を崩した私は腰を抜かしてしまい、ぺたんとその場に座り込んでしまう。怖い。コイツ、桐生の比じゃなく超怖い。思わず涙目になってしまった。


「せせせせめてっ、せめて命だけはああああっ……!」

「なんでいきなり命乞い……」


 三田村は呆れたため息を吐きながらも、高そうな鞄からペットボトル入りのほうじ茶を出してきた。


「……はい、これあげる。ちょっとは落ち着きなよ」

「嫌! 飲みたくない! ……ド、ドラッグとか、睡眠薬とか、中に入ってたりするかもしれないじゃない……!」

「入ってたりするわけないでしょ。俺が飲むつもりだったヤツだもん……」


 俺をなんだと思っているんだ、と、三田村はますます呆れた顔になりつつも、近くにあった古いタバコ屋横にある自動販売機で、さっさと別のノンカフェインティーを購入する。

 私は立ち上がって道路沿いに立ち……結果的に、二人並んで自販機横のベンチに座る形になった。


「ほら、これなら今買ったばっかだし、安心だろ?」

「……。……ありがと……」


 私はおずおずとペットボトルの蓋を開けて飲む。ホットほうじ茶は温かかった。

 そのままおずおずと三田村を見上げると、昨日とは様子が違うことに気がついた。

  昨日は隙のないいでたちだったが、今日は妙に土汚れにまみれている。


「……今日は随分ボロボロなのね」

「あ。暗くても分かっちゃう?

 色んな奴に無茶を言われる仕事だって言ったでしょー? なんかさ、社長に現場の様子がおかしいから見てこいって言われて行ってたんだけど、そしたら真ん中にプレハブ立てて住んでる勇者がいてさ。ここはおれんちだって騒ぐものだから、それで誠実にお話したりとかしてた」

「……誠実に……お話……」

販売リテールで長くやってくためには地場の人たちとも広く付き合っていかなきゃなんないから、そこまで酷いことはしてないよ。

 でー、それが午前中のことでー、あとは……まぁ他にも色々と。管理会社と現場がケンカになって、なぜか無償で俺が設備の修理を請け負うことになったりしてた」

「……」


 よく分からないが、不動産屋というのは大変な仕事みたいだ。どこにでも酷い話はあるんだなあと思っていると、今度は三田村の方が口を開いた。


「おねーさんもこのあたりで働いてるの?」

「……ええ、昔から雑踏に紛れるのが好きなのよ。……で、貴方はずっとこの辺が担当、とかいうのなの?」

「そそ。色々きな臭い話も多いけど、なんだかんだで愛着がある場所でねー」


 そう言って三田村は笑った。間違いなくガラは悪いが、まっとうに働いている人みたいだ……自分の仕事を卑下したり、不満を持っている風でもない。


「……本当は、チャットアプリで言おうと思ってたんだけど」


 そんな三田村の様子を見て、ふと、私はまだ言うまいと思っていたことを口にしてしまった。


「私……多分あなたの力にはなれないわ。

 あの世界に閉じ込められた時に、人を殺さずに出る方法を知りたいんでしょう? ……それ、結局まだ私たちもわかっていない部分なの。諸悪の根源らしいものは見えてきたけど、それ以外はまだ何もわかっていない……」


 そう言って、私は小さなため息をついた。


「……そんな状況でも、友達をなんとかしたいんだろ?」


 三田村は静かな声でそう言った。


「友達……そう、言っていいのかしらね。ほんの数時間しか一緒に過ごしていないけれど」

「そういう友達も割といるもんだよ。……もう死んじまったけど、俺にも少し、覚えがある」


 三田村の言葉を受けて、私は顔を上げた。存外真剣な表情をした三田村と目があった。


「……君に協力させてもらってもいいかな?

 あの異世界からいち早く帰る手段を知りたい……ってだけじゃないんだ。

 多分あの世界は、定期的に何人もの人間をさらっている。うかうかしてると、俺も君も……それから、これから仲良くなるかもしれない誰かだって死んだり殺されたりする羽目になると思う」

「……そうね。それは、その通りだわ」


 私がそう言うと、三田村ははっしと私の手を掴んだ。


「んじゃ決まり。共闘ね」

「……どうして?」

「ん?」

「どうしてこんなに、よくしてくれるの」

「こういうのはほら、お互い様だろ」


 そう言って、三田村はへらりと笑った。


「正直、最初はちょちょっと使えそうな話だけ聞いて別れるつもりだったんだけどね。だけどあんた、なんかほっとけないんだもんな」

「……よく分からないけど……ありがとう。貴方、いい人なのね」


 私が肩のこわばりを解いてそう言うと、三田村はへらりとした笑みをどこか凄みのある笑みに切り替えた。


「……と、なればさあ、お互いの親睦を深めるために、ちょっとご飯でもどう? そこの水炊き屋の一階とか、けっこう美味し」

「おぉーっとそうだ! 私、今日遅番だから明日早番だったんだわ! それじゃ三田村さん!! 私忙しいから、続きはラインでね!!!!」

「あ!? ちょ、ちょっと……足速いなあぁおい!!」



【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介(ややネタバレ版)】


■ 三田村 京伍(みたむら きょうご)


 異世界でのキャラクター名はヤン・セイリュウ(楊 成龍)。格闘ゲーム『ロド5』の操作キャラクターらしい。

 容姿も言動も洗練されているが、どことなくガラの悪い感じがする。仕事に忙殺されているため、一刻も早く会社に帰るためなら異世界での人殺しも躊躇しないド悪漢。

 謎が多い。教養は深い。定借更地返し予定の借家に竹を植えるようなアンポンタンは容赦なくぶっ飛ばす。なぜか江里華エリザベートのことを気に入っているようだ。

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