第25話:江戸川大凧あげ祭り

 それを聞いたときに、まさか、タイムトラベルして、最初に会った須賀川肇の

親類かもしれないと驚いた。そこで、泰平が、須賀川肇という人は親戚にいますか

と聞くと、それは、私のお父さんだと、教えてくれた。なんで、あなたが、須賀川肇

を知ってるのですかと聞くので、須賀川家と言えば、埼玉、大宮では、地元の発展

のために、多くの寄付をしたり、慈善事業を企画したりして、以前、新聞か週刊誌

で、そんな記事を見た気がしただけというと、そうなんだ、地元に貢献してくれる

、偉い人なんだと言った。


 2001年3月13日土曜日に、泰平は、シティバンク大手町支店で待ち合わせて、

会って、高田善平さんのゴールドメンバーの入会の手続きと、徳川泰平の紹介の

手続きを取った。そうして、高田さんが、いろいろ質問したいようだったので、

お先に失礼した。2002年、春が訪れ、4月も終盤を迎え、一斉に桜が咲き

だした。家の近くの川のほとりの桜も、満開で、今が最高の花見シーズンだ。

 翌週、自転車でその川沿いを走ると、桜吹雪で、川に、そのピンクの花が

落ちていた。少しすると今度は、山桜が咲いてくる良い季節だ。5月になると

、多くの所で、お祭りが始まり、車で出かけ、家族5人で、5月3日と5日に

、春日部市の郊外、埼玉県北葛飾郡庄和町の広い江戸川の河川敷で、行われる

祭りだ。正式には、日本三大凧祭りのひとつ、春日部の「大凧あげ祭り」。


 この日は、晴天に恵まれたものの、時折吹く風が弱く、100人の引き手が

、風を待った。そして、折しも、江戸川河川敷に約6メートル風が吹き、

合図の鈴の音がなり、そろいのはんてんに鉢巻き姿の100人若衆が、勇ましい

掛け声とともに一斉に綱を引いた。すると、大凧は、ふわりと青空に舞い

上がった。畳で百畳分・縦15メートル、横11メートル、重さ800kgの

大凧は、和紙と竹を用いた伝統の技法で約3ヶ月をかけ、庄和大凧文化保存会

の会員が手作りしてもの。大凧は、毎年2張り作られ、江戸川上流の

「上若組」と下流の「下若組」に分かれ、それぞれの組で自分たちが作った

大凧をあげる。


 女性達が、あげる少し、小ぶりな、「小町凧」なども大空を舞い、多くの

観光客で賑わった。この祭りを見物に出かけて、強い日射しの中、奥さんの

志保さんが日傘で、日を遮りながら、たこ揚げを、両親と共に、見物した。

大凧が空を舞い始める様を約1時間程みて、車の所へ帰り、持参した、

おにぎりと、お茶と鶏の唐揚げ、ゆで卵を食べて、ゆっくりして、祭りが

終わる前に、庄和町を後にして、春日部から16号線を走り、人形で有名な

岩槻を抜け、大宮市内を抜けて、西浦和の近くの家に戻った。


 6月に入り、やがて梅雨、あけて7月の暑いシーズンに入った頃、夏の暑い

シーズンは、エアコンの効いた部屋で、昼寝したりして休んでもらった。

9月、10月、11月から、寒くなり12月、今度は、エアコンとストーブ

で暖めて、風邪を引かないように十分注意してもらった。

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