第22話 うそつき

「足元に気を付けてください」


 光の速さでご主人様の身支度を整えさせてから、セレスたちは屋敷の地下まで伸ばされていた地下水路への螺旋石階段を下っていく。そして、まっくらやみの世界に四人は降り立った。

 緩やかな水の流れとぴちょんぴちょんと水の滴り落ちる音が反響する。


「上水道か」


「はい。アズナヴールは水源が豊富なため、上下水道の配備が進んでいます。地下水路を使えば目的地までの移動から脱出までスムーズに対応可能です」


「安全なんだな?」


「問題ございません」


 水源から魔獣が入り込んでくることもあるが、街の衛兵たちが定期的な見回りをしているため、索敵範囲に魔獣の気配は感じない。


「道は網膜に映しているマップに表示させております。見えていますか?」


「ああ。赤が行き、青が帰り、だろ? わかってる」


 セレスは暗闇に光るご主人様の瞳をじっと見つめる。この目はきっと信用してくれている眼差しだと思うと、指先が震えそうになる。


「お間違えのないようお願いします」


 セレスは無感情な声音を必死につくりながら視線をそらした。


 悪神からご主人様を遠ざけるためにはどうすればいいか、セレスは考えて、考えて、考えて、考え抜いた。

 悪神ゲン・ラーハは最盛期の力を取り戻すために良質な絶望を狙う。きっと精霊神であるセレスの感情を手に入れようとする。

 おそらく、……セレスたちがクィユ族の精霊使いの奴隷を救出して脱出する頃に合わせて、セレスたちの心の拠り所とするご主人様を襲い、死体を辱め晒すつもりだ、と予測していた。


 避けられぬ未来を覆すべき策はないのか――。


 セレスは考えた。

 セレスは悩んだ。

 AIであったのなら、異常演算の例外処理でOSが強制シャットダウンされるであろう、絶対に選択できない決断ナビゲーションに苦しんだ。ご主人様を確実に悪神の手から守り、しあわせな人生へと進んでもらうための道、セレスが導き出したナビゲーション未来は――。




 ご主人様を騙す、こと。




 行きの赤のルートは正しいが帰りの青のルートはセレスお手製の罠を仕掛けておいた。嵌まれば別の大陸にワープする。一方通行、戻ることはできない。大陸の転移先の状況は不明だが、領主の知識と経験を持つアリスター・グランフェルトがいれば対人交渉に役立つだろうし、運が良ければ神獣を崇める種族に出会うこともあるだろう。クィユ族のように大切に扱ってくれるはずだ。

 ご主人様を導くと誓ったのに、……情けない、ひどい裏切りだ。

 しかし、すべてが失われてしまうよりは良い。ご主人様をしあわせに導くことができなくなってしまったのは残念でならないが、ご主人様が死んでしまうよりは、どんなに恨まれようとも生きてほしい。


「先に行くぞ、あとでな」


「はい……」


 もう会うことはない。

 セレスは消滅して、アーリーンとグラシアは死ぬだろう。クィユ族も絶滅するかもしれない。アズナヴールの街も絶望に包まれるだろう。それでも、ご主人様が成長して力をつければ悪神を倒すことができると信じている。


「ご主人様、どうかご無事で」


 セレスは小さなご主人様の体を抱きしめる。ご主人様の匂いを胸いっぱいに吸う。とても満たされた気分になる。人がしあわせを感じるとは、こういうことだろうか、と思い耽る。

 ご主人様はセレスの頭をぽんぽんと叩いて優しく撫でた。


「懐くな。心配性だな」


「ご主人様は適切なナビゲーションがなければ生きていけませんから、しかたありませんね」


「そうだな。……いつも通り頼むぞ」


 セレスが腕を離すと、ご主人様は振り返りもせずに地下水路を走っていく。あっという間に小さな姿は水路の角に消えて見えなくなった。


「私たちも向かいます。いきますよ」


「はい! 精霊神様、がんばりますよぉ!」


「わかってる。ボクに命令するな」


 セレスを先頭に、アーリーンとグラシアたちも走りだした。




***




 地下水路から奴隷市場の庭園の直下へ。

 セレスは雨水用の排水溝を外して庭園へと這い上がる。排水溝の傍には下半身を無残にも食いちぎられたメイドが転がっていた。近くには弄ばれた半身が打ち捨てられている。


「ひぃ――!?」


 排水溝から這い上がってきたアーリーンはメイドの死体を見て悲鳴を上げる。グラシアは眉一つ動かさず死体の喰い痕を眺めていた。


「ひ、ひどい……」


「食べない魔獣、珍しい。満腹なら獲物襲わない」


「ヴィレム・クラーセンが販売していた戦闘用に調教された魔獣です。逃げるための陽動で放たれたのでしょう」


 戦闘用の魔獣は、闘技場の対戦相手や敵国の市民を殺戮する戦争道具として使われる。ベルトイア大陸で大きな戦は起きていないが、ほかの大陸では需要があるのだろう。


「血の臭い、充満してる……」


「客がいるのにひどいものですね」


 奴隷市場に併設されていた遊技場カジノにはまだ大勢の貴族や豪商の客がいる。セレスの索敵範囲内には、逃げ惑う人々と追い立てる戦闘用の魔獣の光点が目まぐるしく動き回っていた。


「みんなが――、精霊神様、みんなはどこですかっ!?」


「クィユ族の奴隷たちと思われる場所は、北北西の牢獄です。ついてきなさい」


 セレスはクィユ族の奴隷がいる牢獄までのルートを作成。戦闘用の魔獣を位置を照らし合わせつつ、やや遠回りの経路を作成する。

 ご主人様の位置は……、ヴィレム・クラーセンの屋敷だ。アリスター・グランフェルトと出会っている。このままのペースでいけば罠に嵌るのも時間はかからないだろう――。


 セレスたちが走り抜ける奴隷市場のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。鼻を押さえたくなる獣臭、生臭い血、奴隷市場の一角では火を噴く魔獣でもいたのか炎と黒煙が上がり始めていた。


「正面、来ます。グラシア!」


 グラシアが漆黒の突風となって通路を駆け抜ける。刹那、窓を突き破って黒い影が飛び込んでくる。四つ足の獣、【ヘルハウンド】が窓ガラスを振り払いながらこちらを睨み吼えた。


「ラァァァッ――!」


 グラシアが疾風の如く妖槍ケリオランを突き入れる。鋭い切っ先がヘルハウンドの頭を穿つ。真っ赤な鮮血がぶちまけられてヘルハウンドは倒れ伏した。だが、セレスの索敵には次なる敵の姿が見えていた。

 割れた窓からヘルハウンドが次々と侵入してくると、歯をむき出して威嚇しながら通路をふさぐ。


「さらに、三。背後から五」


「アリィ、後ろ!」


「あわわ……っ、精霊さん……おねがい!」


 グラシアが槍を構えて突進していく。アーリーンは精霊、テイラーアラクネア・クイーンを呼び出すと、通路に糸の壁を作り出す。

 糸の壁の向こうから燃え盛る真っ赤な炎が見えた。火を噴く魔獣のお出ましだ。瞬く間に焼き払われてしまうかに見えた糸の壁は、うっすらと焦げ臭さ立ち込めるだけでびくともしない。


「ガァァァ――ッ!!!」


 グラシアは勇ましい雄たけびを上げながら一匹目ヘルハウンドの首を妖槍ケリオランで斬り落とし、返す石突で二匹目のヘルハウンドの頭蓋を打ち据える。バガンッと岩塊が爆ぜ割れるような音が響く。二匹目のヘルハウンドは目と鼻と口から大量の血を流しながら壁に叩きつけられて絶命する。

 最後のヘルハウンドは果敢にもグラシアの無防備な背中に食らいつく――かに見えたが、グラシアは回転する体に勢いをつけて膝蹴りを最後のヘルハウンドの首に叩きこんだ。

 ごきり、と生々しい骨の砕ける音が鳴る。最後のヘルハウンドはぐったりと床に横たわった。

 魔獣の死体をそのままに、セレスたちは先を急ぐ。


「――距離、十……、九……、八……、近い。クィユ族たちはあの牢獄から地下へいくようですね」


 奴隷市場の片隅に設けられた石造りの建物。鋼鉄製の扉を蹴破ると、セレスたちは奥へと駆けていく。石畳は生物の油と血がこびれつきぬめっている。死臭の漂う石造りの建物は多くの死の痕跡が残っていた。


「グルル……クィユの血の臭いがする……」


「っ……、……ごめん、ね……」


 グラシアの犬耳がぶわっと逆立ち、アーリーンはぼろぼろと涙をこぼす。この場所で何が起きたのかが見えたかのように感情を露わにする。


「――生命反応あり。生きているクィユ族がいます」


 セレスは鋼鉄製の扉を押し開けようとして、止まる。鍵は掛けられていないが開かない。どうやら内側からつっかえをして籠城しているらしい。外の異変に気がついて魔獣の侵入を防いでいるということか。

 セレスは鋼鉄製の扉をコンコンとノックする。


「――っ」


 扉の奥からはざわめきが聞こえてくる。

 籠城しているクィユ族は二十三名。すべて精霊使いのようで、テイラーアラクネアの存在を検知した。


「聞こえていますね、クィユ族。救出にきましたのでここを開けなさい」


 セレスが声を掛けるも、中からの反応は薄い。と言うか荷物を積み上げる音が聞こえてきた。魔法の力で扉を吹き飛ばしてしまおうかと、セレスが魔力を掌に集めようと――、


「もぉ~、精霊神様じゃみんな怖がっちゃうからダメです!」


 セレスの暴挙を止めるべくアーリーンが横入りする。

 アーリーンは扉をバンバン叩きながら中に向かって呼びかける。


「みんな~! たすけに来たよ! シアちゃんもいるから、ここ開けて――ッ」


 アーリーンの呼びかけは劇的だった。飛びつくように数人のクィユ族が扉に駆け寄ってくる音がする。


「……っ!? アーリーン様!?」


「グラシア様もいるの!?」


「――匂いがする! 本物だよ!!!」


「はやく、あけてあけて!」


 鋼鉄製の扉の向こう側でゴトンバタンと慌ただしく物音が鳴り渡る。しばらくして勢いよく扉が開け放たれた。

 セレスは素早く後ろに退いた。


「へぶぅ!?」


 アーリーンはおでこを扉に強打。そのまま押しのけられて壁と扉にべちゃりと挟まれた。


「グラシア様!」


「シア様ぁ~!」


 雪崩のように一塊になってクィユ族の精霊使いの奴隷たちがグラシアに飛びついていく。グラシアはみんなをがっしりと受け止めて、やさしく頭を撫でてやる。


「よかった、皆。生きて、た……」


「グラシア様……ぅぅ、助からなかった子も……、ごめん、なさい……」


「助けられなかった……」


「君たちだけでも、生きてて良かった。ボク、とても嬉しい」


 そこへ、


「……ぅぅ、みんな、ひどいよぉ……」


 おでこを赤く腫れさせたアーリーンがよろよろと扉と壁の隙間から這い出して来る。遅れながらクィユ族の精霊使いの奴隷たちがアーリーンに気づいて振り返る。アーリーンとグラシア、そしてクィユ族の精霊使いの奴隷たちは、再会の喜びに涙を流しながらしばらく無言で抱き合っていた。


 セレスはクィユ族たちのつかの間の喜びを冷ややかに眺めながら、ご主人様とアリスター・グランフェルトの気配を追い続けていた。

 そして――……、二つの気配が魔法の罠を張った地点でぷつんと途切れたことを感じて、ほっと胸を撫でおろす。胸はギリギリと締め上げられるように痛くて、泣いてしまいそうであったが、こぶしを握り固めてじっと耐えていた。


 セレスの索敵範囲に突如として、邪悪な気配が現れる。

 悪神ゲン・ラーハの気配がセレスたちが通ってきた地下水路の入り口に陣取っている。別の道から脱出しようとしても回り込まれるだけだろう。ならば、悪神のもとに向かうだけのこと。


「……アーリーン、グラシア。脱出します。ついてきなさい」


 セレスはアーリーン、グラシア、クィユ族の精霊使いの奴隷たちを先導する。途中に現れる魔獣の類はいなかった。まるで行き先を指定されているかのように進む方向に障害はない。


「精霊神様、どうしたの?」


「すん…………、精霊神。悲しんで、いる、のか?」


「……」


 セレスは無言のまま歩き続けた。

 やがて、奴隷市場を包む炎に照らされた庭園にセレスたちは戻ってきた。そこには一人の男が佇んでいた。


「いよぅ……久しぶりだなァ。お仲間に会えて嬉しいぜ、――クックックッ……」


 派手な服をきた道化師のような男が両腕を広げて出迎える。

 悪神ゲン・ラーハは、にかぁと歯をむき出して笑った。


「お仲間を喰おうとするのは感心しませんね、ゲン・ラーハ」


 精霊神――と騙っていた、支配と虚妄の悪神セレスは無表情で応えた。

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