第14話 城塞都市の獣耳的日常
セレスとアーリーンが冒険者ギルドを発ってから三日が過ぎた。
「……つらい……」
オレは疲れた心の内を吐き出すように呟いた。
しかし、オレの言葉を理解する者はこの場にはおらず、周囲にたくさんの人々がいるにもかかわらず孤独な気持ちになる。
オレの一挙手一投足に女たちの声が飛び交う。鎧を着た女に抱きあげられ、ローブ姿の少女に頭を撫でられ、商家のお嬢様から甘いお菓子のかけらを餌付けされる。
鎧やローブを着ている女たちは冒険者。武装をしていない女たちは依頼人。冒険者ギルドを訪れる者たちはオレの姿を見つけると、相好を崩して近寄ってくる。
子供や小動物をかわいがるような目で見ている者がほとんどだが、たまに妖しい目つきで獣欲な感情の臭いを発している女もいて、こいつは衛兵に突き出したほうがいいんじゃないのか、と引く瞬間もある。
最近は冒険者でも依頼人でもない人が会いに来ることもある。どういうわけかオレを祈りにやってくるのだ。噂をすれば……ほら、また来た。
じいさんとばあさんがオレの前に座り込み、目を閉じて手を合わせて、祈りを捧げてくる。祈りを捧げ終えると、オレの頭の耳とお尻の尻尾をひと撫でして食べ物を供えていく。
ったく、勘弁してほしい。オレは地蔵じゃないんだぞ――。
お供え物は食べるけどな。
「つらい……」
冒険者ギルドにマスコットキャラクターがやってきたかのような人気ぶりだ。女ってのは可愛いものが好きだからな……、耳や尻尾に触りたくなる気持ちはよくわかる。
祈りを捧げてくる連中の意図はわからんが……。オレが神獣の子供であることに関係がありそうだ。セレスがまた何かやらかしているんじゃないだろうか?
うっとうしい奴らから逃げられればいいんだが、冒険者ギルドを離れるわけにはいかないのが辛いところだ。ついこの間まで冒険者ギルドを占拠していた凶悪犯の冒険者の残党とギルドマスターが捕らえられるまではこの場所を離れるわけにはいかなかった。
「……セレス……、早く帰ってきてくれ……」
言葉が通じないのでぐったりしている姿を見せればいらぬ心配をかけてしまう。オレは腕を腰にあてて見張りに立ち、冒険者ギルドの門番よろしく振舞っているが、内心では精神的な疲れでヨレヨレだった。
そんな苦痛に満ちた一日の中で唯一の安らぎを得られる時間がある。
「―――、――――――」
女冒険者に愛でられていたオレを誰かが抱え上げた。囲んでいた女たちの間から悲しそうな声があがり、オレを救い出した人物に文句を言い出す。
オレを抱き上げたのは冒険者ギルドの受付嬢リーダーであるエルシリアだ。
彼女はオレを愛でていた女たちの抗議の声を一言告げるだけで黙らせてしまう。エルシリアも暇さえあれば耳と尻尾を撫でたがるので苦手と言えば苦手なのだが、今の状況と比べればまだマシだ。
「今日も行くのか?」
言葉が通じないことはわかっているので、冒険者ギルドの外を指さしてあーだこーだと告げると、エルシリアはにこにこと笑いながら頭を撫でてくる。そして、冒険者たちと受付嬢たちに悲しそうな表情で見送られながら冒険者ギルドの外へと歩いていく。
おお、やはり出かけるらしい。
冒険者たちと受付嬢たちたちには申し訳ないが、エルシリアが外に連れ出してくれる時間はオレの心のオアシスだ。ゆっくり休ませてもらおう。
はじめはオレが外出して冒険者ギルドの守りはだいじょうぶか不安に思ったのだが、オレとエルシリアが外出する時間になると、揃いの鎧を身に着けた衛兵たちがどこからかやってきて冒険者ギルドの歩哨に立つのだ。
冒険者ギルドの外に出ると今日もいた。
揃いの鎧姿の槍を柄を地面についた姿で六人の衛兵がびしっとエルシリアに敬礼をする。エルシリアが小さく会釈するので、オレも「ごくろうさん」と一声かけつつ敬礼をしてやる。
衛兵の隊長らしき男は気さくな人物で、オレが敬礼を返すとごつい手でわしゃわしゃと頭を撫でる。こいつはオレと同じで子供を大切にするタイプの人物だと思えるので非常に好感が持てる。
さて、冒険者ギルドの外へ連れ出してもらえるのはうれしいが、遊びに出かけているわけじゃないらしく目的地が存在する。
重病人の寝かされている施療院、やんちゃな子供がたくさんいる孤児院、陽気な客引きの声が絶えないアズナヴールの市場、のんびりとカードに興じる衛兵の詰め所にもいったな。
一度行った場所ではオレのことを覚えてもらえるのか、街を歩いていると気づいた人が声をかけてくれる。子供とすれ違えばハーメルンの笛吹き男に誘われたかのように後ろからくっついてくる。市場を通り過ぎたときはおっさんがりんごのような果物をくれる。
りんごのような果物をガジガジと齧りながらふと思う。
セレスがいないと全く言葉がわからないのはさすがにまずいよな――……。
オレの世界では母国語以外の言葉はサポートAIに任せてしまうのが普通だ。機械で代用できることに記憶力を割くのはいかがなものか、我々はより高度な技術を開発し新たな知識を学んでいかなければならない、と街頭テレビで語る大統領の言葉を覚えている。
オレは殺し屋として国外にでることが多かったので、サポートAIに翻訳・通訳させることが当然と思っていたし、学校にいったことがないので言語を学ぶなどと考えたこともなかった。
せめて単語を覚えていくことくらいはやってみるべきか。AIだったときは何の心配もしていなかったが、セレスに人格が生まれてからちゃんと翻訳・通訳しているのか不安だしな……。
思考を巡らせていると、エルシリアの足が止まった。
オレとエルシリアがやってきたのはアズナヴールの中心にある時計塔だ。時計塔の周辺は円形の公園になっており、石造りの噴水から飛び散る水滴が太陽の光に反射している。
公園には豪奢な馬車が止まっており、メイドときれいな服を着た中学生くらいの女の子がいた。一般市民が着ている服より上等な気がするので貴族の娘さんだろうか。
メイドと貴族の娘さんは籠を持っており、公園に並んで待つ子供たちにお菓子を手渡していた。オレたちについてきた子供たちも列の最後尾に走っていく。お祭りと言った雰囲気でもないので、これは……ボランティアってやつか。ふわりと懐かしい記憶がよみがえる。
そういや、神父と知り合ったのもボランティアだったな――。炊き出しの鍋を丸ごとかっぱらおうとして神父と口論になった冬の日を思い出し、笑いそうになる。
ホームレスの頃はボランティアの奴らにとても世話になった。
ホームレスに配られるボランティアの炊き出しはごった煮のシチューや味の薄いスープくらいのものだったが、飯も食えずにさまよっていたガキんちょのときには命を救われたものだ。
メイドと商人の娘さんだけで列に並んだ人々をさばくのは大変だ。せっかくだ。前世の恩をこの場で返そう。
「エルシリア、――エルシリア! あいつらを手伝いたい」
「?」
オレはエルシリアに身振り手振りで、配る二人と並ぶ人々を指してジェスチャーする。エルシリアは首を傾げていた。オレは何度も何度もジェスチャーを繰り返して、メイドと貴族の娘さんの隣に立って配るマネをして見せた。
エルシリアは驚いた顔をしていたが、何か閃いたのかにっこりと笑ってハンドサインを出した。オッケーってことか?
エルシリアが二人に説明をすると、メイドと貴族の娘さんは困った笑顔をしていた。だが、エルシリアの説得で最後には快くお菓子の入った籠をオレの隣に置いてくれた。
お菓子を配る列が三列になったため人を捌く数がだいぶ楽になった。広場の外まで続いてしまいそうな長蛇の列は、エルシリアの誘導により円を描くように曲列にしてくれた。
お菓子を受け取る人々の反応は様々だ。お礼を言う人、何も言わずに受け取る人、オレの頭をひと撫でしていく人、……お前は二週目だろって奴は追い返す。お菓子がなくなればメイドが馬車から次のお菓子を持ってきてくれる。オレはひたすら人々にお菓子を渡し続けた。
***
長蛇の人の列がいなくなる頃。公園にはオレンジ色の夕日が差し込んでいた。
貴族の娘さんはクタクタのようで公園の椅子に腰かけて休んでいる。エルシリアも疲れているみたいだが、オレから目を離すわけにはいかないと思っているのか、夕日に照らされながら傍で佇んでいる。
オレは全く疲れていない。むしろ久しぶりの労働にほどよく活力が戻ってきた気がする。やはり体を動かすのはいいものだ。
オレはベンチで休んでいる貴族の娘さんのもとへ歩いていく。「おつかれさん、よくがんばったな」と声をかける。言葉がわからないので笑顔をつくる、苦手なのでひきつった笑顔になってないといいけどな……。
貴族の娘さんはきょとんとした顔をしていたが、次の瞬間にはにこっと笑みを浮かべてオレを抱きしめてきた。そして、おそるおそるといった様子で耳と尻尾に触ってきた。
そこへ、豪奢な馬車の準備を整えていたメイドが貴族の娘さんを呼ぶ声が聞こえた。貴族の娘さんが顔を上げて、残念そうにオレを見下ろす。オレはポンポンと背中を叩いて促す。この街にはしばらくいるんだろうし、また会うこともあるだろう。
「――――」
貴族の娘さんはオレの手を握って何事かを呟くと、メイドの待つ馬車へと駆けていく。馬車に乗せられた貴族の娘さんは手を振っている。オレも小さく手を振り返してやる。
ゆっくりと走り出した馬車が通りの向こう側に消えていくまで、貴族の娘さんは手を振っていた。よほど名残惜しかったみたいだ。
さて、閑散とした公園には人の気配はない。冒険者ギルドへ帰るために、エルシリアがオレを抱き上げようと跪いた。
そのとき――。
オレの白狼耳に女性の悲鳴がかすかに聞こえてきた。ずきりと鼻の奥を刺激するような怯えの感情が臭う。
あの声はメイドの声か……?
オレはエルシリアの腕をすり抜けて一目散に走りだした。
エルシリアの静止の声を置き去りにして、突風の如く石畳みの道を駆け抜けて、豪奢な馬車が消えた通りへと飛び出した。通りの角を曲がる。そこには横倒しに倒れた馬車と暴れる馬、そして六人の男と羽交い絞めにされたメイドと貴族の娘さんがいた。
「ちぃ……!?」
咄嗟に通りの店棚の陰に隠れる。
六人の男たちは見覚えがある。そう……三日前に冒険者ギルドで入り口をふさいでいた奴らだ。訓練場にいた凶悪犯の冒険者たちを倒している間に遁走した残党。しかし、奴らがどうしてこんなところにいるのか。
その理由は、オレのいる通りの反対側にあった。
凶悪犯の冒険者たちの正面には衛兵と冒険者たちが武器を構えて対峙している。おそらく、隠れているところを捜索隊に襲撃されて逃げている。そこへ通りがかったメイドと貴族の娘さんを人質にして逃れようという算段か。
「――――!!! ――!!! ―――!!!」
「―――!!!」
凶悪犯の冒険者たちは口角泡を飛ばす勢いで威嚇している。衛兵や冒険者たちは動くに動けない様子だ。
それもそのはず。メイドと貴族の娘さんはナイフをのど元に突き付けられて薄く血が流れている。ちょっとでも不用意な動きを見せれば手元が狂ってしまうかもしれない。
その間に二人の凶悪犯の冒険者が横転した馬車につながれた馬を大人しくさせて、馬車とつながれた連結部分を外そうとしている。あの馬で逃走しようってわけだ。
オレは店棚の陰からスルスルと動き出す。建物の陰に置かれていた樽によじ登り、そのまま壁を這い上がって屋根に上がる。屋根の上を這いつくばりながら移動して凶悪犯の冒険者たちに飛びかかれる場所まで移動していく。
冒険者の一人がオレの動きに気がついたらしく、緊張した顔つきで周囲と連携を取る。そして、オレに小さく頷いてくれた。
――ありがたい。まかせてくれるってか……!
すぅっと息を深く吸い込んで跳躍する。凶悪犯の冒険者たちの真上から、メイドと貴族の娘さんにナイフを突きつけている男たちの腕に狙いを定め――、
「バン――ッ、バン――ッ」
雷光を纏う金属塊が超音速で放たれ、ナイフを持った男たちの手首を撃ち貫いた。あまりの衝撃に吹き飛んだ指が宙を舞う。そして、男たちが激痛に絶叫を上げるときには人質たちを羽交い絞めにした凶悪犯の冒険者たちの背後に降り立っていた。
「はぁぁぁぁぁ―――――ッ」
裂帛の気合と共に蹴りを叩きこみ、貴族の娘さんを羽交い絞めにしていた凶悪犯の冒険者の足をへし折る。一般人よりも鍛えているはずの太い脚は枯れ木を割るかのようにめきゃりと曲がった。姿勢が崩れたところで貴族の娘さんを奪い返して抱きかかえる。
間髪入れず、貴族の娘さんを抱きかかえたまま跳び上がり、遠心力を乗せた縦回転蹴りをメイドを羽交い絞めにしている男の顎に直撃させた。ハンマーで殴りつけたような異音が鳴り渡り、男の顎が面白いくらいに歪む。
一瞬で四人を無力化した。ようやく足をへし折られた凶悪犯の冒険者があらぬ方向にひん曲がった己の足を見て悲鳴を上げる。
解放されたメイドは地面に崩れ落ちて呆けた顔をしている。抱えてあげられなくて申し訳ないが、貴族の娘さんを抱えているのも体のサイズ的に相当苦しいので勘弁していただきたい。子供が最優先だ。
「怖かったか? もうだいじょうぶだ」
オレは腕に抱えている貴族の娘さんに話しかける。抱いたまま振り回してしまったので目を回していたりしないだろうかと不安になったのだが――、
貴族の娘さんの白い頬は真っ赤になっていた。怖かったのか瞳は涙で潤んでいる。極めつけは強烈な獣欲の感情の臭いがしていた。
まずい……こいつは危険な近寄りたくない奴だ、と身震いしたがもう遅い。
貴族の娘さんは、オレの頬を小さな掌で捕まえるとちゅっとオレの唇に優しくキスをしてきた。
「んむ――!? んんん…………」
こっちは両手はふさがっているので逃げようがない。受け入れるしかなかったが……、この世界の文化はどうなっているんだ? 見知らぬ他人にいきなり口づけをしてしまうなんて、この貴族の娘さんの将来が不安になってくる……。
残る凶悪犯の冒険者たちは衛兵と冒険者たちに取り押さえられていた。オレが無力化した四人も担架で運ばれながら連行されていく。メイドも無事な様子で遅れて駆け付けたエルシリアに介抱されている。
オレは貴族の娘さんをメイドに預けるとすばやくエルシリアの陰に逃げ込む。この場はさっさと退散するに限るな。
でも、いいストレス発散になった。
オレは久しぶりに気持ちのいい一日を過ごせたな、と思わず笑みがこぼれた。
***
アズナヴールではここのところ毎日人々の口に上る話題がある。――白狼耳の美幼女の活躍についてだ。
曰く、――金がなくて死を待つだけの重病人に触れるだけで快癒させた。
曰く、――親に捨てられ荒れた孤児たちとふれあい立ち直らせた。
曰く、――市場で粗悪品を販売している商人を臭いでかぎ分け懲らしめた。
曰く、――衛兵と組み手の練習をやってコテンパンにしていた。
そして今日は、貴族に並ぶほどの財を持つと言われるベイロン商会のご令嬢を凶悪犯に人質にされたところを救い出した、と新たな話題が追加された。
白狼耳の美幼女の話題はアズナヴール中を駆け巡る。
あの子は神獣の子供である。触れるとご利益がある。伝説と言われている冒険者ギルドのアムディアランクである。恐ろしく強いのでいじめるとひどいしっぺ返しを食らう、むしろいじめたら私(俺)が殺す、などなど……。
たった三日のうちにアズナヴールで白狼耳の美幼女のことを知らぬ者はいないほどに噂になっていた。
当の本人、
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