第3章 幼神獣は街へいく

第10話 嵐の兆し

 精霊の樹海を抜けて草原の大海原を東へと向かう。オレの背丈ほどの草は北の山脈から吹き降ろす風に揺れて波打っており、鹿に似た魔物が群れで草原を走り抜けていく。


 セレスの提案により徒歩移動は見送られた。

 オレたちはセレスの召喚した精霊に乗せてもらって雲の合間を縫うように飛んでいる。先頭は精霊を操るセレス、真ん中はオレ、一番後ろは震えながらオレにしがみついているアーリーンだ。


「ご主人様、【ブラックドラゴン】の乗り心地はいかがですか?」


「悪くない。早いもんだな、もうクィユ族の村が見えないくらいだ。ただ、……アーリーンがめちゃくちゃ怖がっているんだが……大丈夫か?」


「【ブラックドラゴン】は国を滅ぼす、と言われる天災獣ですからね。気にしないことです、そのうち慣れるでしょう」


 グルルと唸りながら長大な翼を羽ばたたかせる【ブラックドラゴン】がこちらを睨む。アーリーンの指先がビクリと反応する。オレの小さな背中に潜り込むように竜の視線から隠れてしまった。


「……もうちょっと大人しい乗物は出せなかったのかよ。戦争しにいくんじゃないんだぞ……」


「急ぎの旅です。この世界で最速の乗物を選定しました」


「……二日の旅程が半日だからありがたいけどな。街の手前で降りるぞ、大騒ぎになったら嫌だ」


「承知しました。――……ご主人様、進行方向にて魔獣に襲われている人族がいます。助けますか?」


「襲われてる?」


 すんすんと鼻を鳴らして臭いを辿ると、憤怒に満ちた肉食獣の臭いと怯えた感情の臭いがしていた。ちょうど雲の真下といったところか。

 雲の切れ間から大型の魔獣の姿が見えた。雪のように白い鷹の頭と翼に獅子の体躯をもつ魔物が冒険者たちを襲っている。


「魔獣種:【スノーグリフォン】、ベルトイア大陸の山岳地帯に生息するグリフォン属の魔獣です。子育てをしているとき以外は常に番で行動するため、二手に分かれて攻撃してきます。背後からの奇襲に注意してください」


「臭いは八匹みたいだが?」


「――索敵。【スノーグリフォン】の成体が二匹、幼生が六匹です。襲われているのは人族が八人、……武装している七人が冒険者、一人は商人と思われます。状況から推測すると、人族の馬車に捕獲されている【スノーグリフォン】の幼生を奪取するため、【スノーグリフォン】の成体が攻撃しているようですね」


 巣から雛を持ち出して襲われたのか。人族は盗みばかりだな。


「【スノーグリフォン】の子供なんてどうするんだ?」


「――詳細検索。【スノーグリフォン】は幼生から育てると人になつきます。そのため、軍の騎獣として運用されます。また、羽毛の美しさから貴族や豪商の愛玩動物として飼育されたり、はく製として調度品になります。稀に珍味として扱われることもあります」


 子を奪われたら親は死ぬ気で奪い返しに来るだろう。当然の摂理だ。冒険者たちだってその結果は予想しているだろう。【スノーグリフォン】に殺されたとしても当然の末路だ。

 人の仕事は手伝わない関わらないが殺し屋の頃からのルールだ。


「助けない、先を急ぐぞ」


「承知しました」


 セレスは【ブラックドラゴン】の旋回をやめさせる。アズナヴールに機首を向けてふたたび飛びはじめた。

 【スノーグリフォン】と冒険者の戦いはもう終わりだ。

 最後まで剣を振り回していた冒険者が【スノーグリフォン】の爪に引き裂かれた。残された商人は馬車から飛び出して逃げ出していったが、空から襲い掛かってきたもう一匹の【スノーグリフォン】に圧しかかられ頭から貪り食われた。


「――……! ―――……!」


 死に際の冒険者が何かを叫んでいるのが聞こえた。何を叫んでいるのかわからないが、冒険者から臭う感情は、恐怖と後悔だった。前世のオレもあんな風に臭いをまき散らして死んでいったんだろう。この世界で死ぬときには、恐怖だとか、後悔だとか、そんな気持ちを抱えたまま死にたくないものだ。


「いかがいたしましたか?」


「―――?」


「この世界で死ぬときは大往生でありたいもんだな、って思っただけだ」


「ご主人様は神獣です。大変長生きですし、たくさんの孫やひ孫にも恵まれるでしょう。無用な心配かと」


「そうだな……って、おい! オレは子どもなんか作る気はさらさらないからな! こんなになってもオレは男だ!」


「おこちゃまのご主人様にはまだ早いお話ですね。子どもの作り方はもう少し大人になってから説明します」


「オレは子どもじゃない――!!!」


 オレの叫び声にアーリーンが「はにゃ?」と首を傾げる。セレスはくっくっくと笑いながら「恥ずかしがるご主人様もたいへん愛らしいです」と呟いていた。


***


 太陽がやや西に傾きはじめた頃、半日ほどの空の旅を経て、オレたちは目的地にたどり着いた。

 城塞都市アズナヴールは堅固な城壁に囲われた都市だ。帝都と国外の入口になるこの街は交易で栄えているが、街の食料は自給自足をしている。そのため、アズナヴール周辺は広大な畑が広がり、畑の外側には牛や馬などと言った家畜が放牧されていた。

 アズナブールへ至る街道を進めば農作業に精を出す人族の姿が見られた。街道を往来する人々の姿もひっきりなしだ。人の営みが垣間見える世界まで来たなと感じられる光景だった。


「街に入るための通行証はあるのか?」


「必要ありません。門兵はいますが、明らかに挙動不審であったり犯罪者として指名手配されている者でなければ呼び止められることはないでしょう」


「そうなのか」


 殺し屋で仕事をするときは街への移動が大変だった。街に入るにはセキュリティ認証付きの市民カードが必要だし、国を渡るならパスポートが必要だった。通行証がないこの世界では人の管理などやってないのだろうか。

 オレを抱えたアーリーンとセレスが並んでアズナヴールの正門を潜り抜けようと歩みを進めていく、と。


「―――、――――――!」


 正門の右側で槍を持っていた門兵が鋭く声を掛けてきた。何を言っているのかはわからないがオレたちのほうを見ているのは間違いなさそうだ。

 呼び止められることはなかったんじゃないのかよ、と思いつつちらりとセレスを見やると、セレスが門兵に歩み寄り何事か話しかける。何度かのやり取りののち戻ってきた。


「ご主人様とアーリーンをクィユ族だと思って声を掛けてきたようですね。誘拐して奴隷にしようとする悪党がいるので注意にするように、と」


「クィユ族を奴隷にすることは違法なのか?」


「クィユ族だけではありません。この世界には借金や契約のもとに奴隷契約を結ぶ、身分奴隷という制度があります。制度を悪用し、誘拐された者や騙した者を無理やりに身分奴隷にしてしまい、本人の意思に関係なく売り払ってしまう奴隷商人が存在するのです。悪徳な奴隷商人に注意しろ、という忠告ですね」


「事情を素直に話して合法的に救い出せないのか?」


「難しいですね、身分奴隷の契約は本物ですから。それに、門兵はあまりこの話をしたくないようです。どうやら、この街の権力者が率先して誘拐や略取を扇動し、違法な身分奴隷を容認している可能性があります」


「厄介だな……」


 権力の怖さと強さをオレはよく知っている。

 オレが何年も殺し屋として活動できていたのはマフィアの後ろ盾があったからだ。マフィアは警察に対して口出しできるほどの強力な権力を持っていたから、オレが人殺しをしても守ってもらえていた。オレの存在を断罪すべく活動していた者もいたが、しばらくすれば情報はもみ消され、事実は闇に葬られた。

 たった一人で正義を説いても、権力は情報を操作し、市民を扇動し、正義を悪に塗り替える。権力者が相手ではがむしゃらに暴力を振りかざしても勝てないだろう。

 権力に抗うには権力が必要だ。


「どうするつもりだ?」


「まずは冒険者ギルドで冒険者登録をしましょう」


「ちょっと待て、冒険者登録は後回しでいいだろ? まずはクィユ族の救出を考えろ」


「いいえ、クィユ族の救出を最優先事項としてもやることは変わりません。まずは冒険者登録をはじめることが解決への近道です」


「……さっぱり繋がらない。なんでだ?」


「――解説。高難易度の依頼を達成する冒険者は重宝されます。冒険者ギルドで名声を高めることで、ご主人様の知名度を上げます。知名度が上がれば発言力も上がります。冒険者ギルドの権力を利用して、クィユ族の奴隷解放の働きかけをします」


「なるほど。だが、時間がかかりすぎないか? あまり余裕はないんだぞ」


「通常の手順を踏むつもりはありませんので時間はかけません。ご主人様、どうか私のナビゲーションを信用してください」


「んん……、うむ……」


 奴隷になったクィユ族は売買されてしまう。アズナブールから別の街に売られてしまえば追跡は骨が折れる。この街にいる間に確保しておきたいところだ。

 セレスのやり方は手間がかかる。成果はすぐにはでないだろう。だが、オレがセレスの案にまどろっこしいと感じるのは、暴力でしか物事を解決してこなかったせいかもしれない。

 奴隷商人と敵対している組織などあれば、そちらについて戦っていく手段も考えられるが……、こちらも組織間抗争に巻き込まれるだけで時間がかかるだけかもしれない。


「…………わかった。冒険者ギルドだな」


「ありがとうございます、ご主人様。私についてきてください」


 セレスは一歩前を歩いて道案内をはじめた。オレたちは大通りをまっすぐに進んで冒険者ギルドを目指した。


 冒険者ギルドはアズナヴールを東西に貫く大通りの一角にあった。二階建ての大きめの家屋で、通りの途中にあった飯屋や武器店・防具店と変わらない立派な造りをしていた。屈強な武装した男女のほかに依頼を持ち込む人々がひっきりなしに出入りしている。

 セレスを先頭にオレたちは冒険者ギルドへと足を踏み入れた。


「ぉぉ……広いんだな……ずいぶんと人も多い」


 あちらこちらから視線が投げかけられる。女三人がそんなに珍しいとは思えないが、この世界の作法はいまだにわかっていないからな……。あまり気にしないことにした。

 オレたちは当初の目的通り、冒険者ギルドの登録カウンターに並んだ。セレスが選んだカウンターは割と暇なのか書類整理をする女性が一人座っているだけだ。


「私が登録手続きをしますのでお待ちを」


 そう言ってセレスは書類整理をする女性に話しかけた。


 暇なのでオレはアーリーンに抱きかかえられたまま冒険者ギルドを観察する。

 入って正面にカウンターがあり、武装した男女が並ぶ列と依頼者が並ぶ列に分かれていた。

 そして、入って右側の大部屋は飲食店になっておりテーブルとイスが雑多に置かれていた。数人の仲間たちと酒を飲む戦士たちや一人黙々と食事をするローブの女性がいる。

 また、入って左側をみるとこれまたテーブルとイスが置かれた大部屋がある。こちらは飲食する者はおらず真面目な顔で打ち合わせをしている冒険者たちが座っていた。

 さらに、正面のカウンターの横を抜ける通路がある。奥を覗いてみれば何やら広い中庭につながっており、剣や槍の訓練をしている者たちが見えた。

 二階へつながる階段はカウンターの奥にあるので、従業員用の部屋があるのかもしれない。




 のんびりと冒険者ギルドを眺めていると。

 突然、バァンとカウンターを叩く音が室内に響き渡った。




 冒険者ギルド中の視線がオレたちに集中する。オレを抱くアーリーンの手がきゅっと強くなる。

 いや、違うぞ。視線の向かっているのはオレたちを含む、セレスと受付嬢に向かっている。振り返ると言い争う二人の姿が見えた。


「―――、―――? ――――」


「―――!!! ―――、―――。――――!!!」


 セレスは静かに冷ややかに受付嬢に話しかけている。対する受付嬢はいらだちを露わにセレスに怒鳴りつけている。


 なにをやってるんだ、あいつは……。

 言葉がわからないから何が争いの原因かはさっぱりが、セレスが何か余計なことを言い出したんじゃなかろうか。

 止めに入ろうと慌ててアーリーンの腕から飛び降りて、カウンターに駆け寄った。


「ちょ、おい……! 何やってんだ、セレス!!! ――くっ」


 カウンターが高すぎてぜんぜん見えない。ぴょんぴょんと跳ねてカウンターによじ登る。どうにか仲裁に入れそう、と思ったがすでに時すでに遅し。


 受付嬢の視線がオレたちの背後に移り、強張った表情になる。


「―――、――――。――――」


 男の声がしてカウンターによじ登った姿勢のまま後ろを見やる。そこにはニタニタと笑うむさくるしい男たちが十数人立っていた。にじみ出るような不快な体臭と血の染みついた武具、まるで山賊のような風体だ。


 アーリーンはリーダー各の男にお尻を触られて悲鳴を上げる。すごい勢いで男たちから離れるとオレを抱え上げてセレスの後ろ側に隠れた。


「―――、―――!」


 リーダー各の男がセレスに何かを言うと下卑た笑みを浮かべながら奥の訓練場へと歩いていく。数人の男たちがそれに続き、残る男たちは逃がさねえぞと言わんばかりに出入り口をふさぐ。受付嬢はあきらめたような表情でこちらを一瞥すると奥へと引っ込んでしまった。


 冒険者ギルドにいたほかの冒険者たちと依頼者たちは潮が引くように外へと出ていく。あっという間にギルド内は閑散としてしまった。オレはアーリーンの腕の中でもがきながらセレスを問い詰める。


「おい、セレス……何が起きてるか説明しろ! なにをやらかした!!!」


「ご安心ください、ご主人様。冒険者登録には実力テストがあります。ご主人様の実力を測るためには最強とは何かを知らしめてやる必要があるかと思いましたので、このギルド最強のランカーたちが相手をしてくれるように段取りしました」


「なに一つ安心できねーよ!?」


 実力テスト? 誰でも登録できるって話じゃなかったのか。

 ギルド最強ランカーってなんだよ。実力テストの人選が間違っていないか?


「つきまして、あそこに並んでいる有象無象をぶちのめしていただいてよろしいですか?」


 セレスはしれっと言い放つと、どうぞと言わんばかりに訓練場で待ち構える山賊風の冒険者たちへと手のひらを向けた。


 山賊風の冒険者たちからは殺気がにじみ出ている。ぎらついた視線はアーリーンやセレスの胸や腰を眺めている。そして、オレを見る視線もとても不快だ。

 オレが殺し屋であった頃、孤児や娼婦をありもしない罪状で捕らえ、乱暴していた警官たちを思い出させる。

 実力テストって雰囲気ではない。あの男たちが何を考えているのか一目瞭然であった。


「言葉がわからないからって、ぜったい嘘ついてるだろ、お前……」


「私はご主人様を正しく導いておりますよ?」


 とてもそう思えないからいってるんだよ、と心の中で吐き捨てる。

 とは言え、このままの状況でいるわけにはいかないか。オレはため息ひとつ、アーリーンに下ろしてもらうと訓練場へと歩いていった。


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