066 魔人

 幌馬車の向こう側へ。その時、少しだけ幌の中を覗き、おっさんがどうなっているかを確認する。

 幌の中のおっさんは優雅にお茶を飲んでいた。随分と余裕だ。

「どうしたのかね」

 幌の中を覗いている俺に気付いたおっさんがこちらへと話しかけてくる。どうした、だって? 外は大変なことになっていると思うんだけどなぁ。


「えーっと、敵の襲撃です」

「そうか」

 おっさんはそれだけ言うと、再び、お茶を飲んでいた。話は終わりのようだ。


 幌の外へと顔を覗かせれば、すぐにでも状況は把握できるはずだ。だが、それを行わない。それは、多分、信頼しているのだろう。もちろん俺たちを、じゃない。あの狼少女のことを、だ。


 おっさんは大丈夫そうだ。


 急いで狼少女を助けよう。


 幌馬車の向こう側では、未だ狼少女が戦っていた。戦いは続いている。


 だが、その戦いは、いつ終わってもおかしくないような状況だった。ローブ野郎のフードが外れ、その顔が露わになっている。紅い瞳、青い肌に黒い髪、そして、その黒髪の間から山羊のような角が生えていた。


 何だ? 人、じゃないのか?


 そして、その山羊角と戦っている狼少女は立っているのがやっとのような状態だった。服はボロボロになり、至る所から血がにじんでいる。息も荒い。それに対して山羊角は無傷だ。


「リンゴ」

 リンゴへと呼びかける。だが、返事がない。


 リンゴの方を見る。


 リンゴがわなわなと体を震わせていた。


「リンゴッ!」

 もう一度、今度は強く、リンゴへ呼びかける。

「タマちゃん、逃げるのだ」

 リンゴが、声を震わせ、やっとという感じで喋る。


「えーっと、逃げろって、逃げる場所なんてないですよ」

 こんな崖沿いの峠道に逃げる場所なんてない。

「それでも逃げるのだ」

 リンゴが盾を構える。

「そんなにヤバい相手だってことですか」

 ズタ袋をかぶったリンゴが頷く。

「魔人族……人の敵なのだ」

 リンゴが盾を構えたまま、ゆっくりと、その魔人族へ近づいていく。


 ボロボロになってまで戦っている狼少女がいるのに、俺が逃げるなんて出来る訳がない。逃げたら駄目だ。


 青銅の槍と先ほど山賊から奪った鉄の槍を構え、リンゴの後を追う。


「おやおや、追加ですか。この程度を倒すことも出来ないとは情けないです、ね」

 山羊角が魔人語で喋っている。


 それを隙とみたのか、狼少女が負傷しているとは思えないほどの速度で紅く燃える剣を振るう。しかし、その一撃は山羊角の青い腕によって弾かれた。軽く、コツンと弾いたようにしか見えなかった。だが、それだけで紅く燃える剣を持った狼少女が吹き飛ばされ、地面を転がる。


「実力差がはっきりとしている、これ以上は無駄だと思いませんか、ね」

 山羊角が肩を竦めながら、ゆっくりと地面に転がっている狼少女の方へと歩いて行く。そして、その青い手を振り上げる。


「させぬのだ!」

 だが、そこには盾を構えたリンゴが動いていた。早い。さすがだ。


 山羊角が青い手を振り下ろす。それをリンゴが盾で受け止める。


 だが、その受け止めた盾ごと押し潰される。いや、違う。ギリギリで耐えている。リンゴが押し潰されているとしか思えないほど身を低くし、それでも何とか倒れている狼少女を守っている。


「耐えますか、ね」

 山羊角が笑っている。余裕だ。こちらをなぶって遊んでいるようにしか見えない。


「早く、あれを……おっと、あなたたちでも分かる言葉で喋るべきでした、ね」

 山羊角が言葉を変える。魔人語から共通語に変え、喋る。

「鍵を持ってきなさい、ね。あなたたちが運んでいるのは分かっているのですから、ね」

 鍵? 何のことだ?


「まったく、私が姿を現すつもりはなかったのですけど、ね。手下が不甲斐ないと苦労します、ね」

 山羊角が、魔人語でそう喋り、そのまま青い手でリンゴの盾を殴る。それだけでリンゴは吹き飛ばされた。

 リンゴは、幌馬車へと突っ込み、倒れる。


 一撃だ。


 強さの次元が違う。


 今まで戦ってきた相手、見てきた敵、そのどれよりも強敵だ。


 次元が違う。大人と子どもの喧嘩? そのレベルにもなっていない。蟻が人に立ち向かうくらいの差を感じる。戦いになんてならない。そんなのは、指で潰されて終わりだ。


 それくらいの、別次元としか思えないほどの差がある。


 一瞬でリンゴがやられた。リンゴが震え、俺に逃げろと言ったのも当然だろう。コイツはそれだけ強い。それと戦えていたのだから、狼少女はかなりの実力者なのだろう。いや、手加減して貰っていたから、何とかなっていたの……か。その証拠に、俺たちが現れたら、狼少女は一瞬でやられてしまった。


 これは酷い。


 レベル『1』でレベル『100』の相手に挑むようなものか。まぁ、でもさ、ゲームによっては、そういうのって勝てる場合もあるんだけどな。まぁ、ゲームなら、ね。


 だが、これはゲームじゃない。


 さて、と。


「えーっと、ちょっと良いかな?」

 俺は魔人語で話しかける。


 山羊角が、こちらを見る。その表情は不思議なものでも見たかのように、少し驚きが混じっていた。


「俺の言葉、通じているよな?」

「私たちの言葉を使うとは何者ですか、ね」

 山羊角は俺を見ている。


「えーっと、それで少し聞きたいんだけどさ、何の目的があって、こんなことをしているんだ?」

「素直に塔の鍵を渡せば、痛みなく一瞬で殺してあげますが、ね。あまり、こちらを煩わせるようなら苦しみを与えることになります、ね。このように、ね!」

 山羊角が狼少女の手を踏みつける。狼少女がうめき声を上げる。かなり痛いのだろう。


 ……。


 俺は大きなため息を吐き出す。


「えーっと、これは殺し合いで良いんだよな?」

「何を言っているのですか、ね」


 山羊角は笑っている。


「確認だよ。これは殺し合いなんだよな? そちらがやるってことは、やられる覚悟があるってことだよな?」

 この魔人族とやらが何者かは分からない。これだけの実力差がありながら、隠れていた理由も分からない。出てきてからは調子に乗りまくっている理由も分からない。


 ……。


 この世界はゲームじゃない。そう、ゲームじゃあない。ここで俺の隠された力が解放されるとか、イベント戦闘だったとか、そういうことはあり得ない、起きない。分かっている。


 そう、ゲームじゃあないんだ。


「立場が分かっていないようです、ね」

「ああ、そうだな」


 俺は確認した。


 確認したんだ。


 だから、行う。


――[サモンヴァイン]――


 草を生やす。サモンヴァインは草を生やすだけのつまらない魔法だ。


 だがッ!


「ぎゃああああっ!」

 目の前の山羊角が情けない声で悲鳴を上げる。


 俺は、ヤツの目を指定して草を生やした。


――[サモンヴァイン]――


 もう片方の目を指定する。


 ヤツの両目に草が生える。山羊角が目を押さえ、大きく口を開けて悲鳴を上げている。


――[サモンヴァイン]――


 その口の中に草を生やす。あまり遠くまでは草を生やすことは出来ないが、見えている範囲なら何処にでも草を生やすことが出来る魔法だ。そう、相手の体にも、だ。それはオークの襲撃の時に確認している。


 この世界はゲームじゃない。


 だから、草を生やすだけのつまらない魔法でもこんなことが出来る。


――[サモンヴァイン]――

――[サモンヴァイン]――

――[サモンヴァイン]――


 山羊角の口の中に無数の草を生やす。


――[グロウ]――


 その草を一斉に生長させる。山羊角の口からは成長した草が伸びている。これで呼吸は出来ないだろうし、まぁ、普通に苦しいだろうな。


 山羊角は目と口を押さえ、のたうち回っている。


 コイツは恐ろしく強い。そう、次元が違うくらいに強いのだろう。


 だが、人型だ。人と同じく呼吸をし、目でものを見ている。それは大きな弱点だ。


 俺はのたうち回っている山羊角へと近づく。そして、そのまま蹴り飛ばした。


 目が見えない山羊角が地面を転がり、そして、崖下へと落ちていく。


 ……助からないだろう。


 終わった。


 俺の勝ちだ。まぁ、なんというか、こちらの手札がバレていないからこそ出来た、ちょっと卑怯な手段だが、勝ちは勝ちだ。


 ホント、良かったよ。魔法が効かないとか、目に草を生やしてもその傷がすぐに治るとか、そういう人外染みたヤツじゃなくてさ。

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