033 素顔

 トドメを刺す。


 軽やかに振り下ろされた真銀の斧が大猪の脳天を貫く。


 あっさりだ。


 真銀の斧は軽い。そう、軽いのだ。俺の中では、斧って武器は、その重さで叩き潰すって感じだと思っていた――だが、どうやら、その俺の常識は間違っていたようだ。うん、恐ろしい切れ味だ。


 真銀の斧を引き抜く。真銀の斧の刃は綺麗なままだ。血が付着していない。何だ、これ? 刃を綺麗に保つ異世界的な力が働いているのか? 異世界だもんな。何でもありだ。あー、便利な言葉だ。って、思考停止している場合じゃない。


 ……。


 もっと血しぶきが上がるかと思ったが、それほどでもない。首を絞め、落としていたからだろうか。


 ふぅ。


 覚悟を決めた俺にはこれくらいなんてことは無いぜ。


 誰かが俺の代わりに手を汚してくれたり、助けてくれたり――そんな都合の良いことは起きない。そうだ。俺が俺自身の手でやるしかない。


 運良く誰かが――そんな甘いことを考えては駄目だ。


 だが、それでも俺は運が良かった。


 持っていた紐が簡単には千切れない丈夫な物だった。青銅の短槍が踏み台になりそうな位置で刺さっていた。この体が大猪を締め落とせるほどの怪力だった。ヤツの突進に対応して飛び上がれるほど機敏な動きが出来る体だった。


 そして、リンゴと一緒だったこと。


 運が良かった。


 トドメは刺した。

 後は……。


 周囲に他の魔獣はいないようだ。


 ゆっくりと歩き、未だ目覚めないリンゴのところへ。


 リンゴの状態は酷い。鎧は凹み、腕の――小手の部分などは嫌な方向に曲がっている。金属製の鎧が、こんなになるなんて……。

 大猪の突進がどれだけ凄まじいものだったのか。俺が喰らっていたら、こんな小さな体だ。砕け散っていたかもしれない。

 しゃがみ、リンゴの様子を見る。


 ……。


 ……。


 ……?


 呼吸音だ。


 兜の向こうから小さな呼吸音が聞こえる。


 リンゴは生きている。


 良かった。庇われて、そのまま……なんて、絶対に嫌だからな。


 だが、呼吸音は弱々しい。息がしづらいようだ。中で何かが詰まっているのかもしれない。


 ……。


 こんな、全体を覆うような窮屈な兜を身につけていれば呼吸が困難なのも当たり前だ。兜を取って楽にしてあげるべきだ。


 だが……。


 そう、だが、だ。


 リンゴが兜を取っているところを見たことがない。食事の時でも兜を付けたままだ。これは……素顔に何かあるのかもしれない。


 兜を取っても良いのだろうか。


 例えば、

 素顔が非常に醜い、

 大怪我をして酷いことになっている、

 素顔を見られた相手を殺す掟がある、


 等々、色々と考えられる。


 あー、どうする?


 だけど、吐瀉物で兜の隙間が詰まれば呼吸をするのだって難しくなる。命に関わる可能性だってある。このままでは不味い気がする。


 あー、もう。


 何かあったら――その時は、その時だ。これが原因で命を狙われるなら、必死に逃げよう。それだけだ。


 リンゴの兜を外すことにした。外し方が分からず、少しだけ苦労するが、それでも何とか兜を取り外すことが出来た。


 ……。


 リンゴの素顔。


 思っていたよりも随分と若い。俺のこの体と同い年くらいにも見える。


 ……素顔が醜いとか思って悪かった。


 リンゴの素顔はとても整っていた。燃えるような真っ赤な髪、透き通るような白い肌、そして中性的な雰囲気――まるで物語の登場人物かのようだ。まぁ、今は、ちょっと吐瀉物が付着していて残念な感じになっているけどさ。


 だが、普通の人と違うところがあった。頭部から後方へと伸びた三角の蝙蝠のような耳。この耳、兜の中で抑えこんでいたのだろうか。窮屈じゃなかったんだろうか。変な心配をしてしまう。


 そして、額にくっついた二つの小さな角。


 その容姿と相まって吸血鬼とかを連想させる。いや、吸血鬼に角はないから鬼か?


 ……まさしく異世界人だな。


 って、見とれている場合か。


 俺は水たまりの水を掬い、リンゴの口周りを拭いてあげる。すると、リンゴは小さく咳き込み、目を開けた。


 気がついたようだ。回復が早い。


 ……。


 目が。


 その金色の瞳は猫のような縦型の瞳孔を持っていた。だが、俺が感じたのは、まるで、爬虫類のような――


「こ、ここは?」

 リンゴが俺を見る。


 そして、兜がないことに気付いたようだ。

「見たのだな」


 ……。


 えーっと。


 あー。


 リンゴの反応。理由は良く分からないが、やはり、素顔は、あまり見られたくなかったようだ。


「えーっと、その、息が、だから、えーっと」

 リンゴが首を横に振る。

「良いのだ」

 兜を通さないリンゴの素の声は、幼く、少女の声のようだ。

「えーっと……」

 リンゴは小さく笑い、転がっている兜を取る。兜をかぶり直すつもりのようだ。だが、それは不味い。


 俺は慌てて待ったをかける。

「あ、リンゴ。それをかぶるなら洗ってからの方が……」

 リンゴが兜の中を見る。そして、その顔をしかめる。

「あー、うむ。その方が良いようだな」

 リンゴがゆっくりと立ち上がる。


 ……って、あれ?


 さっき、リンゴは兜を拾った? 手で持った?


 立ち上がったリンゴを見る。確かに鎧は凹んでいる。だが、折れ曲がっていたはずの腕がまっすぐになっている。確かに小手の部分に折れ曲がっていた跡はある――それを無理矢理まっすぐにしたような感じだ。


 いや、でも……。


 どういうことだ?


 リンゴは先ほどの状態が嘘のようにしっかりとした足取りで水たまりまで歩き、そこで水を飲み、兜を洗っている。


「リンゴ、怪我は……」

「治った。もう治ったのだ」

 治る?


 折れ曲がっていたんだぞ? 骨折、いや、粉砕骨折くらいはしていてもおかしくない。それがもう治った?


 こ、これも異世界の力だというのか。

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