第921話 長男ドストエフス

「どこに向かっているの? 行政府じゃないわね。」


「まあまあ、アレクサンドリーネ様に会いたいとおっしゃるお方がいるのですよ。せっかくですからどうぞ。」


「ふぅん、まあいいわ。どうなっても知らないわよ?」


「古い言葉にありますね。『フェゾンも鳴かずば斬られまい』とね。」


執事は余裕たっぷりの顔をしている。




そして馬車は到着する。


貴族街の一角だろうか。カース邸からも遠いようには思えない。


「さ、お降りください。」


そう言ってアレクサンドリーネの手を引こうとする執事セルバンティス。


「くっ……」


しかし、その手が凍りついていた。


「ここは誰の屋敷?」


「ド、ドストエフ様のお屋敷です……」


「ふぅん、つまりあなたは長男派ってことね? ならば今回の黒幕はドストエフ様なのかしらね。ここまで分かったらもういいわ。カムイ、帰るわよ。」


「ガウガウ」


「そうはいきません。」


執事が合図をすると、正門は閉ざされ十数人の騎士が現れアレクサンドリーネを取り囲んだ。


「あら? か弱い乙女に大の騎士が何をするのかしら?」


「手荒な真似はいたしませんとも。ただドストエフ様にお会いいただきたいだけです。どうぞこちらへ。」


「残念ね。私はもう眠いの。夜更かしはお肌によくないわ。カムイ、お願い。」


「ガウッ」


騎士達の目には白い光が通り過ぎたようにしか見えなかっただろう。そんな一瞬で鎧の胸部に一筋の切れ込みが入っていた。そしてカムイは執事を足元に踏み潰していた。


「騎士の皆さん? 今のは本来ならばその首がそうなっていましてよ?」


絶句する騎士達。


「私はことさらダミアン様に与するつもりはありませんが、このフェンリル狼カムイやその主である魔王カースは分かりませんわ。軽挙妄動は慎まれた方がよいかと。では失礼。」


「ガウガウ」


そして今度こそ行政府へと向かうアレクサンドリーネ達。辺境伯に会うことはできるのだろうか。なお、閉ざされていた正門はカムイの体当たりによって脆くもこじ開けられていた。




少し駆け足で行政府へ到着。堅く閉ざされた正門を叩く。


「開門! 開門願います!」


叩き続けること数分。


「何用か!?」


門の向こう側から返事があった。


「我が名はアレクサンドリーネ・ド・アレクサンドル! 辺境伯閣下にお目通りをお願いします! ダミアン様が大変なのです!」


アレクサンドル家と聞いて開けないわけにはいかない当直の騎士。正門横の通用門を開けた。アレクサンドリーネとカムイが入ろうとすると、そこに馬車がやって来た。フランティア家の紋章が見える。


「開門せよ! ドストエフ様のお成りである!」


大急ぎで正門を開ける当直の騎士。すでにアレクサンドリーネのことは眼中にない。馬車を迎え入れ、そそくさと正門を閉じた。


さっきの今でもう動いているドストエフにアレクサンドリーネは危機感を抱いていた。自分より先に辺境伯に会わせてはならないのではないかと。

しかし、滅多に来ることのない行政府である。案内もなしに辺境伯の部屋まで辿り着けるものではない。


そんな時に限って見廻りの騎士にも残業中の役人にも出会わずアレクサンドリーネは困っていた。


「仕方ないわね。とりあえず上へと行ってみましょうか。」


「ガウガウ」


偉い人の部屋は上。これはある程度は常識である。アレクサンドリーネ達は上へ上へと行政府の階段を登っていた。




やがて長い廊下の果て、奥まった所に一際豪華な装飾をされたドアを発見した。きっとあそこだろう。アレクサンドリーネは失礼を承知でいきなりドアを開ける。


「失礼いたします! 辺境伯閣下はいらっしゃいますか!」


「何奴!?」


すぐ様ドア横に待機していた騎士に取り押さえられそうになるも、カムイが体を入れ替えてアレクサンドリーネを庇う。


「なっ!? 狼だと……? どうしてここまで!」


「待て。通してよい。」


「なっ、閣下!? よろしいので?」


「構わん。どうせこの部屋内の人間の総力を持ってしても敵うまいよ。さて、アレックスちゃん。何事かな?」


居住まいを正し辺境伯に正対するアレクサンドリーネ。


「ノックもなしに失礼いたしました。ダミアン様のことでご報告にあがりました。緊急のことかと判断いたしまして。」


「わざわざすまなかったな。話はドストエフから聞いている。手間をかけたね。」


スクッと立ち上がりアレクサンドリーネの方を向いたのは鋭い目をした三十過ぎの偉丈夫だった。


「やあ、初めまして。君が赤ちゃんの頃には一度や二度は見たんだけどね。ドストエフ・ド・フランティアだ。ようこそ辺境伯執務室へ。」


「お初にお目にかかります。アレクサンドリーネ・ド・アレクサンドルでございます。こちらは魔王カースの友、フェンリル狼のカムイと申します。」


「ガウガウ」


にこやかな表情を少しも変えないドストエフ。


「ダミアンのことならもういいよ。僕から父上に報告したから。気をつけてお帰り。」


「へぇ、そういうことを言うタイプでしたか。閣下、ドストエフ様が何と言われたから存じませんが、私が知り得たことをご報告しようと思います。」


「分からないかな? 僕は帰れと言ったんだよ? この次期辺境伯である僕がだ。君はそれに逆らうと言うのかい?」


「逆らう? これは妙なことをおっしゃるのですね? 私は善意でここに来ております。ダミアン様は知らぬ仲ではありませんし。そして私はドストエフ様の部下でも臣下でもありませんわ。命令される謂れはありませんわよ?」


睨み合う両者。そこに割って入ったのはもちろん……


「ドストエフ、そこまでだ。アレックスちゃん、聞かせてくれるかい?」


「おおせのままに。」


そしてアレクサンドリーネは事実をそのまま語った。

大量の血痕、カースの救命、騎士団詰所にて、辺境伯邸からドストエフ邸のことを。




「なるほど。よく知らせてくれた。わざわざありがとう。後はこっちで処理するとしよう。カース君にもよろしく伝えてくれるかい?」


「かしこまりました。閣下がそうおっしゃるのであれば私には何の異存もございません。では失礼いたします。」


アレクサンドリーネとしては辺境伯の態度が意外ではあったが、これ以上は自分が首を突っ込む領域ではないと考え素直に帰ることにした。





アレクサンドリーネが退出した後の辺境伯執務室にて。


「で、ダミアンはお前がやったのか? マイコレイジ商会まで巻き込んだのは悪手だったな。」


「はて、何のことやら。ただ、このような時間に護衛もなしに出歩くような無用心な者に辺境伯は務まりますまい。」


「どちらでも構わん。強き者でなければ辺境伯の座は任せられぬからな。敗者は貴族ではない、分かっておるな?」


「はっ、父上の薫陶は胸に沁みております。」


「ならばよい。くれぐれも藪をつついて毒蛇を出すことがないようにな。」


「はっ! 肝に銘じておきます!」


果たして、辺境伯ドナシファンの胸中はどうなっているのだろうか。

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