第903話 スペチアーレ男爵領からの旅立ち

私が目を覚ましたのは男爵邸の外、湯船の中だった。カムイにもたれ掛かるように寝ていた。時刻は、日の出まもなくといったところか。


記憶を呼び覚ましてみると、確か……男爵をどこかの部屋に運び込んだ後、コーちゃんと飲んでいたはずだ。

その最中もカムイが肉を焼けとか、毛をブラッシングしろとかうるさかったんだよな。どこでブラッシングなんて言葉を覚えたんだよ。そもそもブラシなんか持ってねーよ!

最終的に風呂に入れろって催促されたもんだから一緒に外に出て湯船を出して入ったんだったか。

それから湯船の中でカムイをわしゃわしゃ洗ったような気がする。覚えているのはそこまでか。泥酔していたわけではなく、疲れて寝てしまったってのが真実だろうな。夜は冷えるがマギトレントの湯船は冷めないもんな。これって普通の湯船だったら凍死してるパターンじゃないか。しかも魔物だらけのムリーマ山脈だし。まあ多少酔ってしても私に抜かりはないがね。当然自動防御は張っている。


そんなことより今日はもうケルニャの日だ。待ちに待った週末。やっとアレクに会える。もう一眠りして昼には起きて、領都に帰るとするかな。さーて、客室はどこだ?


「おはようございます」


執事だ。そういえば昨夜は姿が見えなかったな。


「おはよ。ワイバーン肉、食べる?」


もうこいつに敬語など使う必要もない。


「いえ。それよりも旦那様をお任せしてしまったようで、ありがとうございます」


「ああ、男爵なー、昨日の夕方に天空の精霊から祝福を貰ってたぞ。男爵の酒は精霊をも動かす出来ってことだな。」


「は? 天空の? 精霊? ですか?」


「詳しくは男爵が起きたら聞いてみるといい。それより客室へ案内してくれよ。」


「ええ、こちらでございます」


「昼ぐらいに起こしてくれる? 帰るから。」


「かしこまりました」


これなら寝過ごすこともないだろう。さーて二度寝二度寝。






「お昼です。お起きください」


「ううん……おはよう……」


「おはようございます。近寄れないから少し困りましたよ」


「はは、寝る時の癖でね。」


自動防御をきっちり張ってるからね。


「お昼をご用意しております。主人も待っております」


「ああ、行こう。」


コーちゃん、カムイ、行こうか。


「ピュイピュイ」

「ガウガウ」




「やあカース殿。よく眠れましたか? 私の方はいつの間にか眠っていたようで面目無い。」


「ええ、おかげでゆっくり眠れました。おっ、これは美味しそうな昼食ですね。」


「セリグロウが作ったものです。ここには私達二人しかいませんからね。」


確かに昨日から他に誰も見てないんだよな。メイドもいないとか、大変じゃないのか?


「ではありがたくいただきますね。」





うむ、旨かった。


「ご馳走様でした。それでは私達はこれにてお暇したいと思います。マギトレントが手に入ったらまた来ますね。」


「も、もう行かれるのですか!? ま、まだいいではないですか!?」


「いえ、それが週末の予定がありまして。近いうちにまた来ますので、ぜひ飲みましょう。」


「そ、そうですね……お待ちしております……絶対、絶対来てくださいよ! マギトレントなしでも構いませんから来てくださいよ!」


「え、ええ、もちろんです。必ず来ます。」


えらく好かれてしまったな。私もこのおじさん好きだけどね。ガリガリに細くて折れそうなのが気になるが、元気になって欲しいものだ。ワイバーンの肉を置いていこう。


「あの、カース様、帰り道は……」


「ああ、気にしなくていい。このまま飛んで帰るから。次に来る時も悪いがいきなりここに来るとするよ。」


執事の道案内も最早不要だ。一度知られたからには私の来訪を拒むことなどできないのだ。


「空を自由に飛び回れるほどの莫大な魔力ですか。私も少しは自由に飛べるよう練習しないといけませんな。」


「男爵ならできますよ。でも、くれぐれも慎重にされてくださいね。」


空は危ないからな。色々と。


「ええ、ありがとうございます。では、またのお越しをお待ちしております。」


「では、これにて失礼いたします。」

「ピュイピュイ」

「ガウガウ」


ミスリルボードをゆっくりと上昇させる。見えなくなるまでは手を振ろう。コーちゃんは首を振っている。カムイは無視か。




さてと、ここらはムリーマ山脈の南側だ。ならば適当に北に向かって飛んでればフランティアのどこかに出るだろう。その地点を覚えておけば次回来る時は真南に飛べばいいって寸法だ。羅針盤があることだし間違えようがない。


さて、この分なら放課後までには余裕で領都に着くだろう。

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