第586話 鉄の日

ケルニャの日。

フェアウェル村では『鉄の日』と呼ばれる日。昼前に異変が起こった。


「強力な魔物が近付いておる。」

村長むらおさ、どっちからだ?」


「南だ。ゆっくりとだが、確実に近付いておる。個体数は一つ、だが油断するな。ただならぬ気配だ。当番以外の者も備えよ。」

「うむ。皆にも伝えておく」


この村には強固な城壁も城門もない。クタナツより遥かに危険な環境であるにもかかわらず。


「ねえマリー。新しい魔法を教わるどころじゃないようね。私も行くわ。お世話になったんだから。」

「行くのは構いませんが、くれぐれも前に出ないようにしてください。見るだけです。」


「分かったわ。邪魔にならないようにするわよ。」


エルフの魔力は高い。平均しても魔法学校の首席クラスはあるだろう。つまりエリザベスの魔力はエルフの平均程度はあるということになる。


ならば、この村で言う『強力な魔物』とは一体どれほどのレベルなのだろうか。しかし村長の口調に危機感はなかった。警戒すればそれでよいレベルなのだろう。


「おい、南から魔物が来てるようだ。油断するなとのことだ」

「ああ分かった。何匹だ?」

「一匹らしい。強力だそうだ」

「分かった。まあここを目指している時点で強力なのは当然か」

「そうだな。当番以外にも伝えて来るから、ここは頼んだぞ」

「ああ任せてくれ」


「ねえマリー。今の話はどういう意味? ここを目指している時点で強力って。」

「この村はあの大樹、イグドラシルの加護と長老衆の結界により魔物が近付けないようになっております。つまりこの村を発見し、近寄って来る時点でそれなりに強い魔物だと分かる訳です。」


「へぇ。ちなみに魔境で言うとどのぐらいのレベルかしら?」

「そうですね……ヘルデザ砂漠だとグランサンドワームロード、ノワールフォレストの森だとノワール狼の族長クラスでしょうか。」


「ああ、そこまで絶望的に強いわけじゃないのね。安心したわ。」

「もちろん上を見ればきりがないのはどこも同じですけどね。強くない魔物なら良いのですが。」


二人が呑気に会話をしている間にも魔物はゆっくりと近付いて来ているようだ。


「警戒線を越えたぞ」

「もうすぐ姿が見える頃だ」

「ひどく気配が小さいな。油断するなよ」

「ああ、目で見るしかないようだ」


「見えた。あれか」

「赤い狼か? この辺りでは珍しいな」

「あのドス黒い赤は……エンジャイロ狼か?」

「俺達を目の前にして余裕のようだな」


その狼はゆっくりと近付いて来る。

いや、その足取りは余裕と言うよりは瀕死であった。


「むしろ死にかけか。寒くなってきたし毛皮にするか」

「そうだな。あの狼は不味いしな」

「あれ? エンジャイロ狼ってあんなに大きかったっけ?」

「族長クラスか? ますます珍しいな。あいつらが一匹で行動するとは」


「まあいい。ゲオルカンス、お前は外套が古くなってたよな。いるか?」

「ああ、ありがたくいただく。あのドス黒い赤は趣味じゃないけどな」

「はっはっは。いらないなら俺が貰うぞ?」

「そうそう。見ようによっては深い色合いじゃないか。センスよく鞣せばいいだけさ」


「あんな死にかけがよくここまで近付いて来れたものね。実は強い狼なの?」

「そうは見えませんね。わざわざ毛皮になりに来たとは可哀想ですが、仕方ありませんね。」


『葉斬』


エルフの男が放った魔法は切断に特化した魔法。物体を木の葉を裂くように斬ることができるのだが……


「おいおい、何外してるんだ?」

「そうそう。自然の恵みに感謝して苦しまないように仕留めろよ」

「いや、ゲオルカンスじゃない」

「ああ、俺はちゃんと狙った。あいつが避けたんだ。見えないほどの速さでな」


「マリーは見えた? 私はさっぱり。魔力が少しブレたことしか分からなかったわ。」

「恥ずかしながら私もです。あの動きはまるで奥様の召喚獣、ロボのよう……いやそれ以上です。」


「母上の? 私は子供のクロちゃん達しか知らないけど。確かにあの子達の鋭い動きを彷彿とさせるわね。見えなかったけど。」

「おかしいですね。エンジャイロ狼ならば族長クラスでもこんなに手強くないはずですが……」


それから他のエルフ達も協力して魔法を撃ち続けているが、一向に当たらない。狼はますます距離を詰めてきている。至近距離をあの速さで動かれたら……ようやくエルフ達に危機感が生まれる。


そして遂に村を囲む柵。その手前まで接近を許してしまった。


「仕方ない。広範囲殲滅魔法でも使うか?」

「そうだな。村へ入れるわけにはいかんからな」

「おい、構えろ。何かしそうだ」

「任せろ」『槍蔵囲やりくらがこい


硬そうな木の柵で身を固めるエルフ達。しかし狼は『グオオォォォォーーーーン!』

遠吠えをあげた。それだけだ。

魔力も込もっていなければ敵意すらない。本当にただの遠吠えだった。

そして地面に倒れ伏した。最後の力を振り絞った遠吠えだったのだろう。一体どんな意味があったのか。理解できた者はいない。


「一応トドメを刺しておいたらどうだ?」

「ああ、そうする。まだ死んだわけじゃないからな」『葉ざ「ギャワワッギャワワー!」

「精霊様?」

「あの人間が連れてた精霊様か?」


コーネリアスが突如現れ狼の前に立ち塞がった。


「ピュイーピュイ!」




「まさか……あの狼は……」『水球』


マリーは心当たりがあるのだろうか。コーネリアスごと水球を打ち込んだ。


「お、おいマルガレータ、お前精霊様に向かって何を……」


避けもしないコーネリアスと避けられない狼。ふんわりと優しい水球が狼を包み込んだ。


「あの子はもしや……」

「マリー、知ってるの?」


狼を包む水球が瞬く間に汚く濁っていく。さらに水球を撃ち込むマリー。固唾を飲んで見守るエルフ達とエリザベス。ようやくマリーが何をしているか理解したようだ。


マリーが水球を解除すると現れたのは輝くような白い毛並みをもつ狼だった。


「カムイ……」

「ピュイピュイ」


「マリー知ってるの? カムイ?」

「みんな! この狼は敵ではない! カース坊ちゃんの召喚獣! フェンリル狼のカムイだ!」


「フェンリル狼だと!?」

「まさかこのような場所で!?」

「確かにこの初雪のような毛並みは……」

「しかしあの人間は意識が……」


「カースの召喚獣?」


「アーダルプレヒトよ。坊ちゃんが勇者以上の魔力を持つことは伝えたな? これがその証だ。もっともすでにイグドラシルの結晶で証明されているがな。このカムイは坊ちゃんが具現化させた召喚獣なのだ。」


「なるほど……理解した。しかし一体どこから?」

「ああ、あのドス黒い赤は血だったようだ。話は後にして手当をしたらどうだ?」


「そうだな。そうしよう。では村に入れても良いな? カムイは私が村長の屋敷に連れて行く。お嬢様、行きましょう。」

「え、ええ……」


現れた狼はカムイだった。楽園の番をしていたはずなのに。カースの危機を感じ取ってここまでやって来たのだろうか?

ノワールフォレストの森の南端から、ここ山岳地帯のど真ん中まで。一体どれほどの距離があると言うのか。どれほど険しい道だと言うのか……

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