3話


 草を踏む度立ち上る青い匂いの中、ロイはかつて通い詰めた森の中を歩き続ける。大事そうに抱えているカバンに時折手を入れては、そこにあるものを確認し、ここで出会った友を思って遠くを見つめた。

 そんなことを繰り返すうちに、ロイは始まりの場所へとたどり着く。幼いロイが彼と出会った場所。かつての様子よりずっと大きく太くなった木がそこにはあった。

「やあ、テリス。今日は君との思い出話をまとめた本を持ってきたよ。今まで色々な本を書いてきたが、この本を書くのが一番楽しくて――一番辛かったよ」

 少し眉を寄せた笑顔で見上げれば、初夏の日差しを受けた枝葉が木漏れ日を注ぎ風に揺られている。あの日は、そこに君がいた。そんなことを思い出し潤んだ双眸を一度瞼の下に隠してから、ロイはカバンから一冊の本を取り出す。「賢く優しい森の友人へ」と題されたそれを木の根元に立てかけるように置いて、ロイはその前に両膝を突き祈るように両手を組み合わせた。

「君が穏やかに寝られますように、テリス。今でも君は、僕の一番の友人だ」

 しばらくの間祈りを捧げ続けてから、ロイは立ち上がり、膝を軽く叩いて踵を返す。

「この本、これから町長さんの家にも持っていくんだ。その後ご厚意で泊めてもらうことになっているから、明日帰る前にまた来るよ。それじゃあね、テリス」

 首だけ軽く振り返り笑顔を見せてから、ロイは来た道を歩き出した。頬を流れた涙は、風に乗って背後へと消えていく。



 その背が去った後本の上を横切った大きな影に気付く者は誰もいない。




*     *    *



 その夜、かつて出会った町長宅の息子たちと再会を果たしたロイは、夕食の後用意された部屋へと戻った。楽しい会食の後特有の静けさに寂しさと心地よさを覚えながら木窓を開け放せば、窓の外には町の明かりが広がり、その奥には森が広がっているのが目に入る。良い位置をあてがってくれたものだ。感謝しながらしばらくその景色を堪能してから、ロイは窓に背を向け寝る準備を始めた。

 その時だ。背後から、声がかけられる。

「久しぶりだね、ロイ。随分立派になったじゃないか。作家になったとは驚きだ。もっと早く教えてくれたらよかったじゃないか。ああいや、そもそも私があの森から離れてしまっていたんだったね」

 懐かしい、声だ。三十年も離れていたとは思えないほど、変わらない、親し気で、優しい声だ。

 弾かれるようにロイが振り向けば、窓枠に留まる一羽のフクロウが、記憶にあるよりもっと大きくなった彼が、そこにいた。

「テ、リ」

「ああ、ああ、テリスだとも。君の友人のテリスだ。我が友。健気で穏やかなロイ。久しぶりだね。随分探させてしまったようで申し訳ない。あれから主に研鑽が足りないと叱られてしまってね、世界中を回って修行していたな。自分を律するために君に会うまいと思っていたんだが、いやすまない、私が普通のフクロウとは寿命が違うことを言い忘れていたね」

 大きな羽音を立てて窓から室内に飛び行ってきたテリスは、器用にロイの周りを旋回する。それを追いかけるように視線や体の向きを変えるロイの目からは、次から次へと涙がこぼれた。もう会えないと思っていた友人が、昔と変わらない茶目っ気で話しかけてくる。もう有り得ないと思った光景だ。

 やがてテリスは椅子の背もたれに留まり、羽を体に添わせてたたんだ。

「明日と言わず今話をしよう。ああそうだ、君が返る時私も連れて行ってくれないかい? 君の本を主に見られてしまってね、『こんなこと言ってたのねぇ?』と怒りを買ってしまったんだ。いやぁ、怖い怖い。どれだけ魔力が強くなろうと魔法が使えるようになろうと、あの主にだけは勝てないね」

 次から次に飛び出るテリスの言葉について行けずにいると、テリスは「どうだい?」と確認してくる。こてんと首を傾げて目をキラキラとさせる彼は、まるで昔のままだった。そこでようやく正気を取り戻したロイは、止まらない涙を拭いながら彼の前に座り込む。腕を伸ばして抱きしめれば、最後に抱きしめた時は全く違う熱が広がった。温かい、生きている温度だ。

「……まったく、君は、相変わらずお喋りだね。いいさ、僕の次の本で、君がどれだけお喋りなのかみんなに分かってもらおう。あの本じゃ全然足らなかったようだ」

「それは構わないが、頼むから主に関するところだけは脚色を入れてくれ給えよ。これ以上は私の寿命が持たないかもしれない」

 ぱたぱたと翼を軽くばたつかせるテリスの主張に思わず笑いをこぼすと、テリスはところで、と両翼を広げる。

「私は以前よりだいぶ頑強になった。もっと強く抱きしめてくれても構わないんだよ?」

 ほれほれ、と招かれ、ロイは折角止まりかけた涙がまたあふれ出した。まったくこの友人は、何年も何年も人を放置しておいて、どうしてこう変わらないのか。口に出して文句を言えば、テリスは「何せ君よりずっと長生きな種族なもんでね」と笑って返してくる。

「君ってやつは、何て冷たい奴だ」

 笑い返して、ロイは先程よりもっと強くテリスを抱きしめた。それを返すように、テリスも広げた翼をたたみ、ロイの頭を抱える。ぽつりぽつりと額を雫が濡らすが、カッコつけの友人は「はっはっは、嬉しいなぁ」と朗らかに笑うばかりだった。



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賢く優しい森の友人へ 若槻 風亜 @Fua_W

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