第十七話: 忘れ去られた世界




 かたん、かたん、と規則的な振動を奏でていたモノレールが、徐々にその動きを緩めていく。



 ぷしゅー、と。



 噴き出した熱気が、辺りに散らばる。『地下街』へと続く停車場へと到着したマリーたちは……疲れた顔で『地下街』へと歩を進めることとなった。


 ……正体不明の獣を道中の『廃棄所』に捨て去ってから、しばらくの時間が経った。地上の時間に照らし合わされば、もうとっくに日が落ちている時間帯だ。



 いくら車内で休憩出来ていたとはいえ、だ。



 また化け物に襲われるか分かったものではない以上、全員が休むわけにはいかない。暢気に気を緩められるわけもなく、結局マリーたちは張り詰めた気持ちをそのままにここまで来た。


 様々なハプニングに見舞われたマリーたちであったが、ようやく……ようやく、『地下街』へとたどり着いた頃、マリーたちはすっかりクタクタになってしまっていた。



 ……そして、ようやく到着したマリーたちは……初めて触れた亜人の世界に言葉を無くしていた。



 あまり広くはない通路を通り抜けた先に広がっている、広大な空間。地下とは思えないその場所。アリの巣のように点在する家々……というのが、『地下街』を見たマリーたちの初見の印象であった。


 中央を走る一本の大通りから、枝分かれするように伸びた通路の先に広がる、住居と思わしき家々の姿。


 どうやって調達したのかは分からないが、家々の半数は木造で、もう半分は塗り固められた土と石を組み合わせたものだ。


 家々には窓や扉といったものは共通して何もなく、屋根の部分は大きな板を乗せただけの代物だ。丁寧ではありながらも雑な作りのそれらは、みすぼらしい、の一言であった。



 と、同時に……言う程の物珍しさは感じられなかった。



 天井を埋め尽くすように広がっているオキシゲン・ピアニーが、生存する為に必要な空気を生み出し、クリア・フラワーが消費されて汚染された空気を浄化し、至る所に繁茂するウィッチ・ローザが屋外灯の代わりを果たしている。


 これまで散々見てきた光景と、そう変わりはない。


 亜人たちが住まう『地下街』は、地上と同じ……いや、ある意味では地上以上に環境が整えられた状態であった……ある点を除いては。



 ――すんすん、と。マリーは、漂ってくる臭いに鼻を鳴らした。



 チラリと視線を向けたマリーは、己と同じように僅かに眉をしかめているサララたちを見て、安堵のため息を吐いた。



(……気のせいじゃなかったようだな)



『地下街』に足を踏み入れた瞬間から、嫌がおうにも意識せざるを得なかった臭い。

 むせ返るような……と言うほどではないが、わずかに眉をしかめる程度のそれに……マリーは、ぴくりと目じりを痙攣させた。



 臭い……そう、どことなく、ここは臭う。



 どのような臭いと問われれば、けして良い匂いではないとだけは即答できる臭いだ。慣れるまでに、少しばかりの我慢を強いられそうだ。


 ぽんぽんとマリーは肩を叩かれる。振り返れば、マリーと似たような表情を浮かべているイシュタリアとナタリアが、唇に指を立てていた。



 ……無言のままに、マリーは軽く頷く。



 先頭を歩くバルドクとかぐちは気づいていないのか、それとも慣れてしまっているのか、特に何かを言うでもなく黙々と先を急いでいる。



 ……二人にとって、この臭いは気に留めるべき代物ではないようだ。



(我慢できない程じゃねえけどさあ……)



 決して内心を気づかれないように気遣いながら、マリーたちは案内されるがまま先へと進む。『挨拶しておかなければならない人がいる』ということなので、マリーたちも二人に付き従うだけだが……ん?


 背筋を走る感覚……くるりと振り返ったマリーの視線が、ある家を捉える。


 その家の窓の片隅から覗いていた亜人の瞳が、スッと家の中に隠れてしまった。一瞬のことだったが、まだマリーとそう変わりのない、歳若い緑髪の少女であった。



「……見られているな」



 怖がられている……という程ではないし、好奇の眼差しとも違う。マリーとしては実に判断に困る、何とも奇妙な眼差しであった。


 もう一度顔を見ようかと目を凝らせば、ゆっくりと顔を出した緑髪の少女と改めて視線が交差した。


 マリーが見た限りでは……とりあえず、亜人には見えない。人間の少女と相違の無い顔立ちをしていた。



(……はて、どこかで会ったような気が……まあ、よくある顔しているし、どっかで似たようなやつを見たんだろ)



 軽く首を傾げながらもマリーが少女を見返すと、少女は無言のままに目を瞬かせていた。今度は隠れるつもりはないのか、奇妙な色を含んだ眼差しをマリーへと向けていた。



「……随分と物珍しい眼差しを向けられておるのう」



 ポツリと零された、イシュタリアの独り言。


 イシュタリアもマリーと同様のことを感じていたようだ。覗きこむようにして覗かせていた亜人の顔が、マリーよりも幾分か堂々と動き回るイシュタリアの視線によって隠れていくのが見えた。


 キョロキョロと周囲を注意深く見回していたサララは、人通りが全くない通り道を何度も振り返る。


 最後尾を歩くナタリアとドラコに何度か手を振りながら、通り過ぎた後にも人影が現れないのを見たサララは……首を傾げた。



「……歩いている亜人がいない。今の時間帯は、ここでも夜なの?」

「……時計を見なければ何とも言えませんが、おそらくそうだと思います」



 サララの疑問に、かぐちは振り返ることなく答えた。



「夜間の出入りは原則禁止となっておりますし、ここは私たちの間では『一番地』と呼ばれる居住区みたいな場所。昼間であればもう少し賑やかでしょうし、こう静かなことを考えると……夜かと思われます」



 かぐちの説明に、「それを含めても、失礼な部分はあるがな」とバルドクが説明を継ぎ足した。



「俺やかぐちと違って、生まれてから一度も地上の光を見たことがない者もいる。初めて見る人間と、他所から来た亜人が物珍しくて仕方がないんだろう……すまないが、少しの間我慢してほしい」

「……まあ、ちょっかいさえ掛けて来なければいいさ」



 振り返ったバルドクの申し訳なさそうな説明に、マリーは納得に頷いた。


 そういえば、バルドクたちはあまり地上に出なくなったと言っていたことを、マリーは思い出した。



 ……あっ。



 思い出して、マリーはドラコへと振り返る。


 ナタリアのように興味深げというわけでもなく、テトラのようにどうでもいいというわけでもない……何とも複雑な色合いが滲み出ている眼差しを、辺りへと向けていた。



 ――尻尾が緩やかに、ふるんふるんと左右に振られている。



 亜人の証たる鱗で覆われた両足が踏みしめる『地下街』に、何か思うところがあるのか……無言のままにさまよっていたドラコの瞳が、マリーの瞳を捉えた。



「……ここも、故郷とそう変わりがないのかもしれない」



 ポツリと零したその一言は、思いのほか大きな声であった。



「えっ?」



 目を瞬かせるマリーに、ドラコは曖昧に微笑むと、フワッと翼をはためかせた。



「そんな目で私を見なくても、私は大丈夫だ……ところでマリー、私はそろそろ空腹で辛いのだが……食べる物が欲しい」



 そうドラコが言った直後。ドラコの腹が、可愛らしく音を立てた。



「ん、ああ、まあ確かに腹減って来たなあ……って、んん?」



 ドラコのその一言に湧き上がった疑問に、マリーは首を傾げる。「どうした?」と振り返ったバルドクに、マリーは思い浮かんだ疑問をそのままぶつけた。



「そういえば、俺らってどこで寝泊まりしたらいいんだ? 宿屋なんて大そうなものが無さそうな感じがするし、まさか野宿しろとか言わねえよな?」

「ああ、それなら――」



 バルドクは、進行方向の先。どこまでも続く大通りの彼方に見える、ひと際大きな三つの建物の一つを指差した。



「これから向かおうとしている人の家に泊めてもらう予定だ」



 そこに見えるのは、ここら一帯に立ち並ぶみすぼらしい家々とは一線を凌駕していた。遠目からでは藍色に見える屋根の下、建物の前に立ち並んでいるいくつもの『樹木』が、歪な奇妙な存在感を放っていた。



 ……なんだい、あれ?



 初めて目にする造形の建物に、思わずマリーは目を瞬かせる。


 サララはもちろん、今まで静観を続けていた源も、不思議そうな顔をしている。


 傍を歩くイシュタリアに至っては「……もう、何から驚けば良いのやら」と溜息すら零していた。



「まあ、ゆっくり眠られるのなら、それだけでも十分だ。それと、先に言っておくが、仕事は明日から始めさせてもらうからな」

「分かっている。いくら何でも、そんな無茶をさせるつもりはない」

「よし、言質は取ったからな」



 より良い返事に笑みを浮かべたマリーは、ぐるりと肩を回す。痛みは無い……が、どうにも感覚が鈍い気がする



 ……少しばかり疲れが出てきているかもしれない。



 いくら魔力でカバーしているとはいえ、元々が貧弱なのは変わらない。体の中心から滲み始めている嫌な熱気を感じながら、マリーはため息を吐いた





 ……。


 ……。


 …………ん?



 そうして、ふと。足を止めたマリーは、立ち止まっているドラコへと振り返る。


 遅れて振り返るサララやバルドクたちを他所に、「どうした?」とマリーが声を掛けると、ドラコは訝しげに辺りを見回していた。



 ……何を探しているのだろうか。



 さっきまで空腹を堪える為に腹を押さえていたというのに……そんな思いでマリーが首を傾げると、ドラコの隣で欠伸を零していたナタリアも、スッと目を細めた。



「あら、囲まれちゃったみたいだわ」

「――なに?」



 ナタリアの言葉に驚いたバルドクとかぐちの足が、ギクリと動きを止める。いや、それは止めるというより、止められたと言う方が正しかった。


 いつの間に……集まって来たのだろうか。


 一目で荒くれ者だと分かる風貌の亜人が一人、また一人、建物の路地や隙間を縫うようにして姿を見せ始めた。


 ある者は三つの瞳を持つ男であり、ある者は四本の腕を持つ男。鋭い犬歯から涎を垂れ流しながら、血走った瞳をマリーたちへと向けている者。



 ――なるほど、亜人だ。



 少なくとも、外では気味悪がられる姿をしている。その亜人たちは、どう贔屓目に見ても、有効的とは言い難い視線を向ける怪しい男たちであった。


 身構えるマリーたちを他所に、その数は瞬く間に二桁に達し、さらにその数を増やしていく。ニヤニヤと警戒心を刺激する笑みを浮かべた彼らは、あっという間にマリーたちを取り囲んだのであった。



 ……どこの世界にも、チンピラというやつは居るもんなんだな。



 下品な男たちの姿に、そんなことを考えながらナックル・サックを握りしめたマリーは、額に汗を滲ませるバルドクとかぐちを見上げた。



「ここの歓迎はこういうやり方なのか?」

「そんなわけあるか」

「じゃあ、なんで囲まれているんだよ」

「ここは閉鎖された世界だからな。都合よく目の前に現れた人間と女を前に、溜まった鬱憤を発散しようとするやつがいるだけだ」



 思わず、マリーは目を瞬かせた。



「つまり、あいつらの狙いは『女』?」

「……悲しいことに、俺たちが住む『地下街』にも、どうしようもないやつらは一定数いるんだ」



 幾分か苛立ちが籠った返答。皮肉にも、それはマリーが思ったこととほとんど同じであった。


 険しい顔で短剣を構えたバルドクを見て、男たちは悠々と獲物をきらめかせた。


 二人としても……この状況は予定外なのだろう。


 仲間に向けるには些か鋭すぎる眼差しが、彼らがどういう存在なのかを雄弁に物語っていた。



 ――はてさて、どうするべきか。



 魔力コントロールを行ったマリーは、じっくりと取り囲む男たちを見回す。見慣れない服装の彼らは、武装というほどの物は装備していない。


 数人ぐらいはナイフのように頼りない短剣を所持しているが、それだけだ。プレートで身を守っているわけでもなく、構え方だって素人のそれだ。


 油断さえしなければ俺一人でも余裕で対処は可能だな……と、マリーは率直に判断した。



「……あの人、可愛い顔して――いだぁい!?」

「止めろ。さすがにこんな場所で地獄を見たくはないし、作りたくもない」



 ポツリと聞こえてきたナタリアのため息に、反射的にマリーは待ったを掛けた。振り返れば、うっとりと頬を赤らめたナタリアが、粘つくような熱い視線を男たちの一人へと向けている。


 ドレスの下腹部が内側から盛り上がっているのを見て、それが可愛らしも甘酸っぱい感情で無いことを察したマリーは、ごつん、とその頭を殴って抑えた。



「へへへ、おい見ろよ。あの人間、俺に見惚れているぞ」



 しかし、どこの世界にも勘違いというものはあるものだ。いや、まあ、勘違いをするなというのが無理な話だが……まあいい。


 とにかく、ナタリアの熱視線を受けた男は、まあ、勘違いしてしまったようだ。


 ナニカを想像しているのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。ちなみに、男の外見は二足歩行する豚であった。



「おいおい、まだガキもガキだぞ。てめえの小さいブツでも入らねえだろ」

「うるせえ。小さかったらこじ開ければいいんだよ」

「おめえも大した趣味だな……そんな小便臭いガキよりも、あっちの女の方が、よっぽど美味そうな身体してるってのによ」



 ジロリと、男たちの視線がマリーたちの後ろ……悠然とした様子で佇むドラコへと向けられる。



「見ろよ、あの胸と尻……楽しませてくれそうだぞ」



 そう呟かれた一人の言葉に、視線の色が一気に濃くなった。直接向けられたわけでもないサララとかぐちが、身を震わせるぐらいに気色悪い視線であった。



「マリー、腹が減った」

「お前はお前でもう少し……いや、お前はそれでいいか」



 しかし、そのドラコはと言えば、彼らのことなど物の数としてすら捉えていないのだろう。気にした様子もなくしきりに腹を押さえ、くーくーと腹を鳴らしている。


 度胸がある……のだろう。


 いや、これを度胸と捉えて良いのかはさておき、腹の音が聞こえない彼らには分からないことだが、聞こえる位置にいるマリーたちは、思わず肩の力が抜けてしまいそうであった。



 ――しかしまあ、どうしようか。



 ふむ、とマリーは気持ちを切り替えた。



「それで、俺たちはこいつらをどうすればいいんだ? てきとうに皆殺ししちゃってもいいのかい?」

「あ、あそこのお豚ちゃんは殺さないでほし――おっぐぃ!?」

「お前は少し黙っていてくれ……それで、どうする?」



 俺としては、そっちの方が気楽なんだけどな。


 ナタリアの腹に拳を叩き込みながら、そう言外に臭わせるマリーの問いかけに、バルドクとかぐちはゴクリと唾を呑み込み――。



「――貴様ら! ここで何をしている! 私闘は禁じられているはずだぞ!」



 ――開かれた唇が、突如響いた怒声によって閉ざされた。

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