第八話: 亜人
――太陽も西へ傾いた、夕方頃。
真っ赤な夕日が街並みを燃え上げて、帰路についている人々の後ろに長い影を作っている。いくつかの家では照明が灯っており、幾人もの子供が嬌声をあげながら通りを駆けて行く。
昼間はあれだけ騒がしかった市場も、少しずつ店じまいが始まっており……昨日まで続いていた日常が、この日も変わりなく終わりを告げようとしていた。
そして、それはギルドも同じである……はずであった。
討伐から帰ってきた狩猟者たちの得物を選別し終えて、さあ、帰り支度を始めようかと戸締りを行う時間帯。そんな時に、マリーたちが疲れた顔で戻ってから、しばらく……マージィは、ずっと生気の無い顔で遠くを眺めていた。
マリーたちは、この場には居ない。今は、ギルド長が直々に報酬の交渉を行う為に、マリーたちを伴って自室へと引っ込んでいるからだ。
一介の狩猟者相手に、わざわざギルド長が……と、事情を知らない職員は邪推したが、事実を教えてもらえば、誰もが納得に頷いた。
……キラー・ビーの蜂蜜。それが、今回の狩猟の成果であったからだ。
ギルドから用意された瓶を、半分だけでも満たすことが出来れば、報酬は原則金貨1枚(5万セクタ)。半分以下なら原則は銀貨5枚(25000セクタ)となっている。
つまり、満杯まで瓶を蜂蜜で満たしても、報酬は金貨一枚であり、二つの瓶に半分ずつ分けたら、金貨2枚になる計算だ。(わざと半分以下にして小分けしても、駄目)
それだったら皆二つの瓶に分けるんじゃないかとか、なんでそんな計算方法にしているんだと疑問に思う人もいるだろう。それは、そうしなければならない理由があるのである。
巣から採取できる蜂蜜の量は、巣の大きさと運によって左右される。つまり、巣が大きいからといって、必ずしも(確率的には高いが)蜜が沢山あるわけではない。
割に合わない仕事だと理解してもらってはいるし、報酬の面も、最初の段階で了解済みでもある。
しかし、結果がそれではいくら何でもギルドに対する不満になりかねない。それを防ぐための救済処置(それでも、足が出ることは多々あるし、危険性は高い)として、狩猟者にとって有利な条件となっているのである。
そう、有利な条件……の、はずだった。
しかし、マリーたちが持ち帰った瓶を見た時の衝撃は、ギルド長を持ってしても『生涯に一度あるか無いかの珍事』と言わせるぐらいで、ギルド長が交渉に腰を上げざるを得ない程の大事件であった。
その為、そういった交渉事はお前たちがやるべきだと主張したマージィを除いて、マリーたちは現在、全員ギルド長室へと引っ込んでしまっている。
それ故に、現在。菊池たちが日ごろ勤務している受付前の広間には、マージィしか居ないのであった。
「……えっと、マージィさん?」
額に冷や汗を浮かべた菊池は、以前の時と同じように遠い目になっているマージィに、恐る恐る声を掛ける。
けれども、マージィは静かに菊池を見返すだけで、またどこかの虚空を眺める作業に戻ってしまった。
その場にいた職員たちの視線が、菊池へと向けられる。視線の重圧をひしひしと感じ取った菊池は、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「ま、マージィさん……今度はいったい何を見たんですか?」
駄目で元々。無視されるのを当然と思った菊池は、思い切って尋ねてみる。すると、マージィの肩がピクリと動いた。
――反応してくれた。
たったそれだけのことで安堵してしまいそうになった菊池は、ハッと気を引き締めると、不用意に刺激しないように声を潜めた。
「あ、あの、何があったか分かりませんが、元気を出してください。マージィさんの苦労と苦悩は、私達が――」
「8人と、4日と、金貨2枚……」
菊池の慰めを遮る様に、マージィはポツリと呟いた。思わず口上を止めた菊池を他所に、マージィは静かに俯くと、ポツポツと話を続けた。
「俺は若い頃、キラー・ビーの討伐に参加したことがある。その時は確か、15人の徒党だった。全滅させるまでに4人が毒針で命を失い、3人は帰る途中にモンスターの群れに襲われた時に死んだ。残った一人は、その時の怪我が原因で、町について間もなく息を引き取った」
「……あ、あの、マージィさん?」
「当時の俺は、たかが蜂だと侮っていた。所詮はデカい蜂だし、松明の煙で適当に炙ってやれば、どうとでもなる相手だと……儲けは出たが、結果は散々だった」
「あ、あの、マージィさん? お気を確かに……」
「それを……それを何だよ、あいつら……」
ゆっくりと、マージィは顔をあげる。そこには、大粒の涙が光っていた。それをまともに目にした菊池は……驚きに、言葉を呑み込んだ
「俺たちが一匹仕留めるのに、どれだけ時間をかけたと思っているんだ……空を飛び回るあいつらを矢で撃ち落とす難しさが、どれほどのモノだと思っているんだ……いくら何でも、こんなのあんまりじゃねえかよ……」
菊池は、良い言葉が思い浮かばなかった。どう慰めたらいいか……そう思って背後の同僚たちへと目線を向ける。皆、一斉に目を逸らした。嫌になる。
……もういっそのこと、放っておくべきだろうか。
そう思い始めたあたりで、マージィは勢いよく立ち上がった。ギョッと身を引く菊池を他所に、目じりに浮かんだ涙を荒っぽく拭うと、高く腕を振り上げた。
「――っ! ちくしょう、もうこうなったら飲むしかねえ! 飲んで、飲んで、飲みまくってやる! 今日ぐらいはあいつらにタカってやる!」
「――そ、そうですよね! たまには奢ってもらうべきだと僕も思いますよ! そうですよ、奢ってもらいましょう!」
「おう!」
そう声を張り上げるマージィ。そんな彼の視線の先には、ギルド長を伴って広間に戻ってきたマリーたちの姿があった。
……そして、時刻は夜。そう、酒飲みの時間だ。
マージィのタカリを気前よく受け入れたマリーたちは、宿に戻って身支度を済ませた後、早速マージィが通っている酒場へと足を運んだ。
そこは意外にも(マージィが聞けば気分を害しそうだが)、一般の客もちらほらと見受けられる、中々品の良い店であった。
さすがに夜の酒場に少女たちが居ることに、最初は不安視する客も多かった。
だが、マリーたちが、あのマリーたちであることが分かると、誰もマリーたちを不安視する者はいなくなった……こういうところは、有名の利点である。
店の奥にある席に腰を落ち着けた5人。とりあえずはと頼んだ果実酒とビール、つまみであるピーナッツの塩炒めと茹でた枝豆。そして、今朝方〆たばかりだという鳥の空揚げが載せられた大皿を前に、マリーたちは互いのジョッキやグラスをぶつけ合わせた。
「かんぱーい!」
マージィの声をかき消すように、マリーたちの年若い声が響く。その声に負けじと声を張り上げたマージィは、早速グラスに口づけると、力強く喉を鳴らし……深々と吐いたため息と共に、空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。
「――あー! 美味い! やっぱ仕事後の酒は最高だぜ!」
「良い飲みっぷりじゃな。それでこそオジサマよ」
さり気なくマージィと同じタイミングでジョッキを空にしたイシュタリアは、店員に追加の酒を2杯……頼もうとして、3杯に変えた。その直後にサララが空になったジョッキをゆっくりとテーブルに置いた。
「おっ、サララの嬢ちゃんも案外イケる口だったのか?」
顔色一つ変えていないサララに、マージィは機嫌よく話しかけた。サララは、「うん、そうよ」と、にっこりと笑みを浮かべた。その横で、マリーはちびちびと舐めるように酒を啜っていた。
子供に対して……と思う人もいるだろうが、サララぐらいの年齢で酒を嗜む子供は、そう少なくない。
まあ、サララのように一気飲み出来る強さを持っているのは珍しいが、別段、咎められるような話ではないのだ。
そう、本人さえ正気を保てられるのであれば、いくら飲もうが平気なのだ。大丈夫なのだ。久しぶりに飲む酒の味に機嫌を良くしても仕方がないのだ。
「どうじゃ、ナタリア。初めて飲む酒は美味いか?」
「……不思議な味ね」
おそらくは、生まれて初めて飲むであろう酒の味。恐る恐るグラスを傾けていたナタリアは、首を傾げながらも半分ほど飲み干すと、グラスを置いた。
「……悪くはないわ。でも、ジュースとあんまり味が違うから、少し呑み難いわね」
「なに、それもすぐに慣れるのじゃ」
そう言うと、イシュタリアは……チラリと、マリーを見やる。そそくさと視線を逸らすマリーを見て、イシュタリアはため息を吐いた。
(いや、ため息を吐かれても……)
昔の己ならいざ知らず、今のマリーは誰が何と言おうと、弱いものは弱いのだ。こればかりは、どう頑張ってもどうにもならない事なのだ。
己の許容量を十二分に理解していたマリーは、ほとんど減っていないジョッキを、そっと隣のサララに手渡す。受け取ったサララは、ごく自然な動作で唇を付けた。
その直後、足早にやってきた店員がジョッキを置いていく。再びイシュタリアとマージィはジョッキを傾けると、半分ほど飲み干した辺りで息をついた。
「それで、マージィ……増大期はまだ続いているのかい?」
狩猟者としての経験が長いマージィは、その分だけ様々な人たちと交流がある。その交友関係は『東京』の役所にも通じているらしく、マリーはかねてからダンジョンの状況をマージィから収集していた。
「……ん、ああ、その話か。まだ続いているらしいぞ。なんでも、今回はいつもより期間が長いらしくてなあ……いつもの倍近い人員がダンジョンに投入されているらしい」
それはつまり、マリーたちは、まだまだ探究者生活には戻れないということになる。
「そうか……っていうことは、まだしばらくは狩猟者生活ってわけか……おーい、牙ブタのロースト一人前……いや、三人前くれ」
畏まりました、という店員の返事を聞きながら、マリーは枝豆に手を伸ばした。唐揚げには塩胡椒がよく効いていて、酒のつまみにはピッタリだが、マリーの舌には少しばかり強すぎた。
「まあ、焦ることはないのじゃ。館には定期的に手紙を送っておるし、あやつらは下手な男よりタフじゃからな……まあ、お主の気持ちも分からんではないのじゃ」
ポツリと零したイシュタリアの本音に、サララも同意した。
「マリーの気持ち、分かるよ。何だか、恋しいっていうか、寂しいっていうか……あんな危険な場所なのに、また潜りたいっていう気持ちが心のどこかにある」
「私は、どっちでもいいかな。こうやってご飯食べて、毎日色々出来れば満足よ……あ、でも、たまにはダンジョンに戻りたいわね」
三者三様、それでいて、全員が共通している本音。狩猟者として成功したと言っていいマリーたちであったが、そもそもの本業は探究者だ。
狩猟の危険性と面白さ、そしてやりがいとも言うべきものが分かってきたところだが、やはり本業はそっちなのである。
ピーナッツに手を伸ばしていたマージィは、ふむ、と首を傾げた。
「やっぱり、ダンジョンの増大期が終わったら、戻るつもりなのか?」
「ああ。何だかんだ言っても、俺たちは探究者だからな」
はっきりと、マリーは肯定した。
「狩猟者としての生活も悪くはないんだが、こっちで働くとなると本格的に家を借りなきゃならなくなるからなあ……あんたには悪いが、増大期が終わったらここから引き上げるつもりだよ」
「なるほど。まあ、どっちを選ぼうとお前さんたちの自由だ」
それに対して、マージィの答えはあっさりとしたものであった。
「お前たちと一緒にやれて、俺もそれなりに良い思いが出来た。妻への自慢話も沢山出来た。何だかんだ言っても、お前たちと一緒にやれて楽しかったぜ」
マージィの、偽りのない本音の吐露であった。その直後、気恥ずかしさを覚えたのか、マージィはわずかに頬を赤らめると、ジョッキを傾けた。
……実に分かりやすい照れ隠しである。
本人も、意図せず口走ってしまったのだろう。人生の後半も後半に差し掛かった男にとって、今更思いを吐き出せる素直さはない。これも、酒の力だ。
ほほう……と、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべているイシュタリアを他所に、サララはしばし、ポカンとした様子でマージィを見つめた。
「マージィさん、結婚されていたのね」
「正確には、結婚していたってのが正しいな。まあ、昔の話さ。元々身体が丈夫な方ではなくてな。流行病が運悪くかち合って、あっという間に逝っちまったよ」
「……ごめんなさい」
余計なことを聞いてしまった。そう思って頭を下げるサララに「おいおい、もう昔の話だよ」と、マージィは苦笑した。
「もう、顔も思い出せねえ昔の事だからな。生きていれば、俺よりも少し年若いぐらいだな……すげえ美人だったんだぞ」
「子供は出来なかったのかのう?」
不躾な質問をぶつけたイシュタリアに、サララの鋭い殺気がぶつけられる。けれども、肝心のマージィが「わははは、気にするな。俺ももう受け入れているよ」と言った具合で、気にも留めていないようであった。
「生まれたばかりの娘が一人いたよ。まあ、いま生きているかどうかは知らねえけど、多分生きてはいるだろうな」
「生きている?」
変な言い回しだ。まるで、近くに居ないような……。
「まだ赤ん坊の頃、人さらいにあったんだ。だから、いま生きているかは正確には分からん」
さらりと言い放った一言に、マリーとサララはもちろんのこと、尋ねたイシュタリアも、言葉を詰まらせた。
けれども……当のマージィの方は全く気にすることなく、グイッとジョッキを傾けた。
「おいおい、そんなに気にするなよ。言っただろ、もう受け入れているって。俺が調べた限りだと、どっかの身なりの良い夫婦が買って行ったらしいし、俺が連れ帰して育てるよりも、そっちの方がずっといいさ」
……いや、そう言われても、話がけっこうヘビーなのでどう答えたらいいか分からん。
そう思って互いの顔を見合わせるマリーたちの前に「お待ちいたしました」という店員の声と共に、牙ブタのロースト焼きが置かれた。ふわりと、香ばしい匂いが広がった。
「おおう、これは牙ブタのロースト」
「お、ナタリアはコレが好きか? だったらどんどん食え。食って明日の活力にしちまいな……おう、兄ちゃん、ブランデーをくれ。この前入ったって言っていたやつだ」
そう、マージィは店員に注文をすると、マリーたちを見てニヤリと笑みを浮かべた。
「そういうわけだ。今日はとことん飲ませてもらうからな。金貨一枚は飛ぶから、覚悟しろよ」
……ああ、そう来たか。
カウンターから、年紀が入ったボトルを持ってくる店員を見やったマリーたちは、互いの顔を見合わせると……参った、と言いたげに笑みを零した。
……。
……。
…………それからしばらく。
酒宴も進み、夜もだいぶ深まった頃。店内に来た客の影も、一人、二人と数を減らし、そろそろお開きにするか……と誰が言うでもなく考え始めた時に、その事件は飛び込んできた。
「――すまねえ! ここにマリーちゃんたちが居るって聞いたんだが、まだ居るか!?」
そう言って店の扉をぶち破る様にして飛び込んできたのは、マリーたちが入っている酒屋の向かいに構えている店の、店員の男であった。
店の中に居た客の全員が、突然の来訪者に目を丸くする。けれども、男はそんな視線を物ともせずに、忙しなく店内の中へ視線を彷徨わせた。
……年齢にして、まだ30手前ぐらいだろうか。
些か乱れた髪を後ろで無造作に縛った男は、フッとマリーたちの姿を見つけると、心底安堵したかのように頬を緩めた。けれども、すぐに引き締めると、小走りでマリーたちの元へとやってきた。
そして――深々と頭を下げた。
「すまねえ、マリーちゃん! 楽しく酒を飲んでいるところ悪いんだが、ちょっと来てもらえねえか!?」
「なんだぁ、喧嘩でもあったのくぁあ?」
しこたま酒を胃袋に流し込んですっかり出来上がったマージィが、テーブルに突っ伏したまま赤ら顔で尋ねた。ちらり、とマージィを見やった男は、マリーに聞こえるように事情を説明した。
「……まあ、言ってしまえば乱闘騒ぎを鎮めろってことね」
一通り事情を聴いたマリーは、またかよ、と言わんばかりにため息を吐いた。その横で、いまだ酔いつぶれる気配が見えないイシュタリアは、けらけらと笑い声をあげながら、ジョッキを傾けていた。
ラステーラに来てから、何度か似たようなことで仲裁を頼まれたことがある。なので、その手の話は慣れたものだが……マリーの膝には、べろんべろんに酔っぱらったサララが、赤い顔で纏わりついていた。
完全に正気を失っているのか、時折マリーの手を掴んで指先を舐めたりしている。それだけでなく、時々唸り声をあげながらマリーの下腹部に鼻先を擦り付けたりしていた。
マリーは、無言のままサララと、テーブルに突っ伏して寝息を立てているナタリアを指差した。
「見ての通り、くたばった酔っ払いと、性質の悪い酔っ払いの相手で忙しいんだ。他を当たってくれ」
「そんな、頼むよマリーちゃん! お願い、この通り!」
ぱちん、と両手を合わせて再び頭を下げる男を、マリーは半目で睨む。けれども、男も必死だ。そう簡単には引き下がりそうになかった。
それを横目で見やっていたマージィは、「あれっ?」と声をあげた。
「……おいぃ、ちょっと待てぇ。確かお前んとこぉ、そういう時の為に何人か雇っているはずだろぉ? そいつらはどうしたんだぁ?」
「――、ぜ、全員倒されちまった」
ギョッと、マリーは目を見開いた。というか、話を盗み聞きしていた他の客たちも驚きに顔を見合わせた。
「おいおい、ちょっと待て、いったいどこの馬鹿が暴れているんだ? だったらもうそれは俺じゃなくて、警ら隊の出番だろ」
マリーの苦言も、最もである。ただの喧嘩の仲裁ならまだしも、それだけの騒ぎに首を突っ込めば最後、下手すれば数日は色々と面倒なことになりかねない。
……それは、男も分かっているのだろう。
そして、言いたくはなく、隠しておきたい部分があるようで。しかし、それを言わなければどうにもならないことを悟った男は、「実は……」と、声を潜めた。
「……本物の亜人が、暴れているんだ」
「亜人!? マジかよ、あれって実在したのか!?」
マリーの発した大声に、男の顔色が変わる。と、同時に、店内に残っていた客や店員たちの間から、ざわめきが広がった。
――『亜人』
それは、何時の時代に地上へと姿を見せたのか分からない、『人の姿をした、別種の生命体』を差す言葉である。
その姿は普通の人間とそう変わらないことが多いとされており、その生態はほとんど謎に包まれていると言われている。まあ、亜人というカテゴリーはとても曖昧なものなので、厳密にこうだとは決まっていない。
一昔前は、『人の姿をしたモンスター』ということで討伐されることもあったし、商品として取引されることもあった。その為に数が激減してしまい、今日はめっきり地上で姿を見かけることが無くなった存在である。
一部では、地上から絶滅したのではないかと噂されていたりもする……それぐらいに、今では『亜人』というのは珍しいのだ。マリーの驚きも、最もであった。
「……ほほう、亜人か。久しぶりにその名前を聞いたのじゃ。まだ、生き残りがおったのじゃな」
かたん、と空になったジョッキを置いたイシュタリアは、颯爽と席を立った。
目に見えて顔色が良くなる男を他所に、マリーは、「おい、イシュタリア、どうするつもりだ?」と、慌てて声を掛ける。振り返ったイシュタリアは珍しく困ったように曖昧な笑みを浮かべていた。
「なに、亜人の顔を最後に見たのは100年以上前のことじゃ。今の亜人がどんな顔をしているのか、ちょっと拝見しにいくだけ――」
「お前、それは少しズルいぜ!」
その言葉は、意外な程に店内に響いた。
「――うむ?」
ぽかん、と呆けた様子で目を瞬かせるイシュタリアを他所に、マリーは纏わりついたサララを背中に背負うと、店員へと振り向いた。
「勘定は?」
「……え、えっと、ボトルも開けているんで、ちょうど銀貨5枚になります」
首から服の中に下げていた銭袋から銀貨を5枚取り出してから……もう1枚大目に取り出すと、それをテーブルの上に置いた。
「終わったらまた戻って来るから、ちょっとこの酔っ払い二人を預かっていてくれねえか?」
「それは構いませんが……お連れのお客様が追加注文をなさった際は、どういたしましょう?」
「腹が破けるまで飲ませてやってくれ」
魔力コントロールを行ってから、よいしょ、とサララをしっかり背負い直すと、マリーも席を立った。そして、改めてイシュタリアを見つめた。
「待たせたな。それじゃあ、行くぞ」
「いや、来るのは構わぬが、背中に乗っているお嬢ちゃんも連れて行くのか?」
「だって、離れてくれねえんだもの。仕方がねえじゃん」
そう言うマリーの後ろで、「マリーぃ~~」サララはむちゅう、とマリーの首筋にキスをしていた。それだけに留まらず、全身を擦りつけるようにマリーの身体に手足を巻きつけていた。
雰囲気に流されるがまま、呑み過ぎてしまったせいだ。褐色の肌でも分かる程に赤くなった彼女の頬は、普段ならまず見ることが無いぐらいにだらしなくなっていた。
もはや、泥酔である。へらへらと締まりのない様子で、完全に泥酔している。試しにイシュタリアが背後からサララを引っ張ると、「~~やぁ」露骨に嫌がられた。
なにこれ鬱陶しい……と思ったことは置いといて、マリーの言うとおり、確かに仕方がないようだ。
「なあに、俺は見学するだけだ。とりあえずは、お前に任せるよ」
そう言われれば、イシュタリアとしても止める理由は無い。「あんまり揺らしてやるでないぞ」とだけ忠告をすると、イシュタリアはマリーを伴って、男の案内する向かいの店へと走った。
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