第九話: 体の切れ目が縁の切れ目とは限らない
――巨大なバナナみたいなバケツだな。
そう言われることもある土壌肥沃装置の、ボトル差込口に新しいエネルギー・ボトルを、がちゃこん、と差しこむ。最初は不慣れと女の非力さもあって手間取ったりもしたが、今では一発で挿入出来るようになった。
しっかりと、ボトルが動かないのを確認してから、稼働レバーをカチリと上げる。動力炉が動き出すまでの間、欠伸を零しながらのんびりとハンドルを握る。
しばしの沈黙の後、ぼふん、と装置下部から蒸気が噴射された。と、同時に、どっどっどっ、と動力炉が音を立てて動き始める。
試しに上部の供給口へ、スコップ一杯分程度の土が放り込まれる。放り込まれた土が、ざざざ、と音を立てて揉まれ、栄養分を擦り込まれ……排出口から出てきた土を手触りで確かめたエイミーは……うん、と顔をあげた。
「OK、ビルギット、シャラ。ちゃんと可動しているようだから、そのまま適当に回ってちょうだい」
帽子のツバを調整していたビルギットとシャラは頷いた。
「分かりました。昨日は奥の方が出来なかったので、今日はそちらを中心にやります」
「ええ、おねがい。ボトルはまだ残っているから、無くなり次第に取り替えて作業を続けてね」
「おう、任せろ」
エイミーの言葉に笑顔で頷いたビルギットとシャラは、襟元のボタンを二つほど外すと、えっさ、えっさ、と装置を押し始める。
車輪が付いているとはいえ、相応の重さがあるそれを動かすのは重労働だ。ずずず、と地面に車輪の跡を付けながら、二人はゆっくりと移動を始めた。
「エイミー!」
背後から掛けられた声に、エイミーは振り返る。小走りに駆けよってくるマリアの姿に、おや、と首を傾げた。着ている服自体はいつもの作業着なのだが、その手には何かを持っているのが見えた。
「何かあったの?」
「これ、新しいのにまだ換えていなかったのを思い出したのよ」
これ、と言って黄色い液体が収められたガラス製の瓶を見せる。それに視線を向けたエイミーは「ああ、それね」納得に頷いた。
「ちゃんと今朝出したやつよね?」
「出来立てよ」
「それだったら、今日は奥の方で作業するらしいから、急いで交換してきてちょうだい。くれぐれも、落としちゃ駄目よ」
「分かっているわよ」
マリアは苦笑すると、小走りにシャラたちの元へと駆けだした。それを横目で見ていた住人の内の一人が、くくく、と笑みを噛み殺した。
「出来立て、ね。確かにそうね。湯気は立たないけど、まだ温かいんじゃないかしら?」
その言葉に、どっ、と何気なく盗み聞きを立てていた女性陣から、笑い声があがった。
「あははは、そりゃそうよね」
「出したてほやほやだものね」
「直前まで一晩かけて暖められていたもの」
けらけらと、朝の庭先に、女性たちの賑やかな声が響いた。
最初は気恥ずかしさにからかいのネタにしなかったというのに、今では笑い話にされている。
そんな遠慮も何も無いことに、エイミーは苦笑交じりにはははと笑みを浮かべた。
先ほど、マリアが見せたガラス瓶の正体は、装置と併用される専用瓶である。
土壌肥沃装置はエネルギーを使って土壌の改善を行う優れた装置ではあるが、その実、完全無欠というわけではなく、どうしても偏りというものが出来てしまう。
それを防ぐために、あのガラス瓶に入っている液体と併用して、初めて真価を発揮する……と、なると、あのガラス瓶の中に入っている液体とは、一体何か?
ずばり、人尿である。それも、出したてほやほやのモノが、あのガラス瓶の中に収められているのである。
本来は糞便混じりで利用されるのだが、糞便の場合はある程度の処理をしてからでないと、根詰まりを起こすことがある為、今のところは人尿だけを使用している。
「今日は誰のだったかしら……っていうか、マリアが持って来たんだから、マリアの出したモノか」
いっち、に、作業前の柔軟をしているセミロングの女性が、ふと笑い声を止めて呟いた。
「昔だったら、アレ欲しさに行列まで出来ていたのに、今では地面にまかれる養分か……昔のマリアの客が見たら、どう思うのかしら?」
「まかれた地面に顔を突っ込むんじゃないの。けっこう変態的なやつも多かったし、それぐらいしてもおかしくはないでしょ」
苦笑と共に返答したエイミーに、女性陣の顔から一斉に納得の色が浮かぶ。
娼婦というものは得てして、性欲とは別の、溜めこまれた欲求を向けられることが多い。
そして、打ち明けられた欲求を受け入れられるのであれば、受け入れなければならないのも、娼婦としての辛いところである。
「エイミー、今日は何をするの? 今日も穴掘り?」
長い髪を後ろで束ねた女が、エイミーに尋ねる。穴掘りとは、カチュの実栽培の時に行われる作業の一つで、種を植える場所に文字通り大きな穴を掘ることからその名は付いた。
「そうよ、全員で昨日の続きをするから、今日も覚悟なさいな」
「ええ、またアレやるの?」
ぶう、と文句の声があがる。女性の身にはかなり堪える作業であるので、それも当然かとエイミーは思いながらも「文句は全てが終わってからね」と釘を刺しておくことは忘れない。当然、女性陣もサボるつもりは毛頭ないので、いわば、毎度のお約束である。
……とはいえ、女性陣から愚痴にも似た文句があがるのも致し方が無いことだ。
何せ、草むしりを終えてから毎日休まず行ってきているうえに、それからはずっと穴掘りの繰り返し……さすがに、やる気だけでは男女の壁は越えられない。
休憩を間に挟んでいるとはいえ、エイミーはもちろんのこと、残っている女性陣の中では一番体力のあるシャラですら、疲れたようにため息を吐くことが多くなってきている。
いくら数の利があるとはいえ、泥を穴から掘り出すだけでも一苦労だというのに加えて、ところどころに点在する固い石に阻まれて、それを片付けるだけでも大変な作業だ。
「……こういうとき、男が一人でもいてくれたら違うんだろうけどなあ」
ポツリと、女性陣の誰かが呟いた。それを何気なく聞いていた他の女性たちも……心の中で『――それを言うな!』と、頭を掻いた。
全員がそうではないが、この世界に足を踏み入れる原因に男が関係している人もいる。
男という存在を憎んでいる……ということはないが、だからといって再び男と積極的に関係を結んできたわけではない女性陣に、男友達なんているはずもない。
客を取っていたマリア含む少数の女性陣も、それは同様である。まあ、例外が居るには居るが、それでもそれは、仕事上の付き合いであってプライベートで会う事なんて無い、いわば親切なお客様だ。
……つまり、身体の見返りを求めない男の知り合いを持っていないのは、住人全員に共通することであった。
……。
……。
…………しかし、それはあくまで女たち側の視点であった。数少ない例外には、下心はあるもののそれぐらいの親切心を持ち合わせている人は居たのだ。
アジア系の血を引き、剣術と気功術を習得している斉藤龍成。
東南系の血を引き、魔法術に精通するクリスト・ギンガー。
北欧系の血を引き、大人三人分の力と気功術を習得しているトミー・ゲゼル。
探究者の間では、まあ、そこそこに名前が売れている三人である。一部では背の高さから『階段トリオ』と揶揄されたりする三人は、何時ものように宿を後にして、何時ものように腹ごしらえを済まそうとしていた。
『はい、お待ち、マウンテンパスタ二人前ね!』
目の前に置かれたミートソースの掛かったパスタの塊を、ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせる。
探究者などの肉体労働者御用達の大衆食堂『ハーステン』名物のマウンテンパスタを前に、龍成は皿から零さないようにグルグルとパスタを回す。もう一つの皿に置かれたパスタを、トミーは欠伸を噛み殺しながらゆっくりとかき混ぜた。
龍成とトミーの出で立ちは、探究者らしく物々しい武装を身に纏った姿だ。しかも龍成は、腰の鞘に納められた刃と鋭い目つきも相まって、けっこうな強面である。
そんな彼が、黙々とパスタとソースを絡めている姿は非常にシュールであった……が、ハーステンでは珍しい光景ではないので、誰も注目したりはしなかった。
「なあ、龍成……」
龍成の右斜め前。同じテーブル席に腰を下ろしていたクリストは、文字通り歯が立たないパンをスープに浸しながら、黒い指先で黒い唇をカリカリと掻いた。
「……なんだ?」
手を止めることなく、ひたずら混ぜる。値段が安く、量が多いマウンテンパスタだが、それに比べてソースの量が少ないのが難点だ。しっかり混ぜないと塩パスタになってしまうので、その目は意外と真剣である。
「……ラビアン・ローズが廃業したらしい」
直後、ピタリとトミーの手が止まった。呆気に取られている彼を他所に、満足がいく程度に混ぜ終えた龍成は「それ、貰うぞ」自分の皿にパスタを取った。
「……気にならないか?」
「気にならないと言えば嘘になる。だが、そんなことよりも、俺は飯の方が大事だ」
不自然なほどに、恐る恐る問いかけるクリストの言葉を、龍成は一蹴した。あの世界では珍しいことだが、無いというわけではない。
そういった面倒事が嫌いな龍成は、それで話は終わりだと言わんばかりに、団子のように絡め取ったパスタにかぶりついた。
……脈無し。そう判断したクリストは、チラリと視線をトミーへと移した。
「なあ、トミーはどう思う?」
「……そりゃあ、気にはなるよ。で、でも、だからといってどうしようっていうのさ」
ハッと我に返ったトミーは、再びパスタを混ぜはじめる。けれども、その手の動きはさっきとは雲泥の差だ。まるで、精細さが感じられない。それどころか、目に見えて気落ちしているのが丸わかりであった。
そうだろ、そうだろ、お前もそう思うだろ。
そう言いたげに笑顔を浮かべてクリストは頷くと、その笑顔を龍成へ向けた。
「なあ、トミーも気になっているようだし、一度様子を見に行って――」
「行きたければ、二人で行け。そしたら、俺の今日の予定はのんびり過ごすことで決まる」
瞬間、クリストの笑みが凍った。
「……そう言うなって。俺たち全員、あそこにはお世話になっただろ?」
「俺たちは金を払った。あいつらは身体を提供した。それ以上でも以下でもねえだろ」
しかし、龍成には無意味であった。そして、三度目となる却下に、クリストは、「――お願いだ! 一緒に付いてきてくれ!」笑みを崩し。情けない表情になると、縋り付くように龍成に頭を下げた。
「頼む! な、な、今度飯奢るから、頼む! お願い! このとおり!」
「……おい」
また始まったよ。
その言葉を寸でのところで呑み込んだ龍成は、代わりに深々とため息を吐く。そして、いつの間にか同じように頭を下げているトミーを見て、龍成は堪えきれず頭を押さえた。
「言っただろ、娼婦にだけは惚れるなって。辛いだけだぞ」
「わ、分かっている。で、でも、今回ばかりは、俺も本気なんだ!」
「ぼ、僕からもお願いするよ!」
(それを、分かっていないっていうんだがなあ……)
さりげなく参加するトミーに胡乱げな眼差しを向けながら、龍成は苛立ちを呑み込むようにコップを手に取った。
「そう言ってお前ら、今まで何回騙されてきたんだよ……確かに、あそこの女たちは、俺だって良いと思う……が」
希望に瞳を輝かせた二人に、龍成は言葉を止める。
「それでも、あいつらは娼婦だ。どんな厄介事抱えているか分からん。今までは金だけ騙し取られてお終いだったが、毎回それで終わるとは限らんぞ? 特に、あそこは他と違って中々ややこしい事情を抱えてそうだしな」
ややこしい、というのにも理由がある。娼婦館と名前を出しているくせに娼婦が数人しかいないのもそうだが、身体を売らない娼婦が十数名居る時点で、何かがあると思っていいのだ。
しかも、人伝ではあるものの、あの館をローマンが狙っていた……という噂を龍成は耳にしている。
まあ、それも解決したらしいことも耳に入っているので安心はしているが、幸いなことに二人はまだ知らない。もし知っていたら殴ってでも二人の暴走を止めているところだ。
(あれほど娼婦には入れ込むなと念を押してやったというのに、こいつらときたら……反省という言葉を知らんのか)
実際問題、クリストとトミーの二人は、今までに何度か女に財産を貢いで捨てられ、時には酷い浮気をされて荒れた過去がある。
そのたびに龍成が面倒を見る羽目になった経験があるからこそ、龍成は二人に協力出来なかった。
(……とは言うものの、よくよく考えたらこいつらが今まで惚れた相手があんまりだったからなあ)
だから、同情するべき点もあるんだよなあ、と龍成は同時に思った。
生来、ドライな部分がある龍成は、そこらへんを線引きしているので平気だが、女に対して理想というか、希望を忘れない二人はたびたび碌でもない女に引っかかってしまう。
……どうして、こんな良いやつらが一人身なのだろうか。
情けなく頭を下げ続けている二人見て、龍成は内心にて首を傾げる。同性だからこそ見える二人の良さを知っている龍成からすれば、本当にそれを不思議には思う部分だ。
ただ……惚れた女に声を掛ける勇気が出せずに尻込みして、こんな場所で龍成に助力を申し出ているところは、女性たちにとって受けが良くないのかもしれない。
……まあ、男であるうえに、だ。そういった機敏には自覚しているぐらい疎い龍成には、いまいち分からない事、対岸の向こうであった。
(とはいえ、ここで完全に女性不審になって、男のケツを狙うようにでもなったら、最悪チームを解消せねばならなくなると……ううん、やっぱり様子見だけでもさせるべきか……)
まあ、最悪は訝しげに見られて、現実を知れば少しは考えも変わるだろう。
そう結論付けた龍成は「とにかく、飯を食い終わってから」という事と、今晩と明日の飯を奢って貰うのを条件に、今日の予定を決めたのであった。
――そして、腹ごしらえを済ませて、えっちらおっちらと歩くことしばらく。
ようやくたどり着いたラビアン・ローズを見やった三人は……変わり果てた館を前に、呆然と目を瞬かせた。
「……なあ、俺の記憶違いだったらいいんだが、ここは確かにラビアン・ローズだよな?」
そう二人に尋ねた龍成は、決して悪くはない。それに対して「た、確かにラビアン・ローズだった……と思う」自信無く答えた二人も悪くはない。
なにせ、廃墟かと思うぐらいに手入れがされていなかった庭が、すっかり綺麗になっている……というより、何も無くなっていたからだ。
たかが雑草、されど雑草。それだけで館の印象が変わり過ぎていたせいで、気付かずに通り過ぎてしまったくらいだ。
しかも、見覚えのあるやつから、全く見覚えのないやつまでが一丸となって、庭の至る所の地面を掘っているのが見える。お遊びでやっていないのは、正面入り口の錆びた鉄格子の間からでも、よく分かった。
「こいつは一体全体、どうしたんだ?」
ぎい、と錆び付いた鉄格子を開けて、龍成は中に入った。後ろから慌てて付いてくる二人の気配に苦笑しながらも、龍成は一番近くで作業している、見覚えのある後ろ姿に声を掛けた。
「おい、のろま。何やってんだ?」
「――、なんだ、チビ龍成か」
くるりと振り返ったビルギットは、龍成の姿を見て、無表情のままに呟いた。
会って早々の御挨拶だが、互いに気にした様子は無かった。睨むのが自然な龍成と、無表情が自然なビルギットは、これがデフォルトなのだ。
「前から言っているだろ。俺がチビなんじゃなくて、お前がデカいだけだ」
「女の私より小さい時点で、あなたはチビだよ……それで、何しに来たの? 知らないかもだけど、もう私たちは娼婦じゃなくなったよ」
「んなこたあ、知っているよ、のろま。俺が聞きたいのは、何をやっているかだって言ってんだろ」
「……チビ龍成は、今日も見た目の小ささとは裏腹に口が悪いようだね」
のろま、チビ龍成とは『不退転の仲』と称する二人が、互いを呼びあう時の名称だ。
言動だけに目を向ければかなり仲が悪いと思われるのだが、女性陣からは『じゃれあっているだけ』と言われている事と、龍成を相手にしたときだけビルギットの口調が砕ける辺り、色々とお察しである。
……ちなみに、のんびりとした気性のビルギットを『のろま』と差すのは、まあ、間違いではない。だが、龍成がチビというのは間違いである。
龍成の身長が平均より少しばかり下回っているのと同様に、ビルギットの身長が男性の平均よりも高いだけである。
「まあ、見ての通り、農作業だよ」
「農作業?」
「そう、農作業。お金を稼ぐ為に、皆で協力しているんだよ」
首を傾げる龍成に、ビルギットは頷いて庭を指差した。言われてみれば、これは畑だな……と龍成は納得した。あんまり細かいことを考えない性質である龍成にとって、それだけの説明でも十分であった。
「……それで、龍成の後ろに隠れようとして全く隠れていないお二人は、いったい何をしようとしているのかな?」
ピクリ、と龍成の後ろで縮こまっていたトミーとクリストが肩を震わせる。体格だけならどちらも龍成より大きい二人だ。隠れる場所が皆無のこの場所で、バレナイ方がおかしい。
何気なくビルギットは二人へと近づく……が、二人はこそこそと顔を隠すばかりで、いっこうに顔をあげない。首を傾げたビルギットが視線を龍成に向けると、龍成は深々とため息を吐いた。
「シャラのやつと、巴のやつは居るか?」
「居るよ。何か用?」
「ちょっと呼んできてくれないか?」
「今は止めておいた方がいいと思うな」
作業している女性陣へと、ビルギットは視線を向けた。
「巴はそうでもないけど、シャラは今作業に真剣だから、下手な用事で邪魔すると無茶苦茶怒られるよ」
怒られる、のあたりでクリストの肩が動く。それを見た龍成は困ったように頭を掻いた。
「ところで、その農作業……俺たちで何か手伝えることはないか?」
「えっ? どういう風の吹き回し?」
「おいこら、俺がてめえに親切心を見せるのがそんなに変か!?」
あんまりと言えばあんまりな反応に、龍成の目つきが鋭くなる。大抵の相手なら背筋を震わせる眼光だが、ビルギットは堪えた様子も無く「ただの冗談だってば」無表情のままに手を振ると、「ちょっと待ってて」小走りに走って行った。
おそらく、マリアかシャラに話に行ったのだろう。遠目で確認出来る館の主の横顔を見つめながら、龍成は今日何度目かとなるため息を吐いた。
「……おら、ここまでお膳立てしてやったんだ。少しは男を見せろよアホが」
その言葉に、おずおずと二人が背中から姿を見せる。遠くの方から、マリアを伴ってこちらに近づいてくるビルギットの姿を、龍成はのんびりと眺めた。
……体重を乗せた一撃に、スコップの先が根元まで地面に食い込んだ。それを体重に任せたテコの原理で持ち上げると、ぼこりと地面が盛り上がった。
女性陣が口を揃えた『固すぎる』という難所も、龍成、クリスト、トミーの三人に掛かれば『まあ、固いんじゃないかな?』という程度のものでしかなかった。
「やっぱり男の力って凄いわねー」
自分たちよりもずっと軽快なペースで穴を掘り進めて行く三人を見下ろしながら、住人の一人がポツリと呟いた。
バケツ一杯の土を持ち上げるだけでも一苦労していた女性陣にとって、突如参入してくれた思わぬ男手の存在に、もろ手を挙げて歓迎した。
女の園に男が入ってくることを良しとしないマリアも、この三人については何も言わなかった。
それはこの三人が以前からの御得意様であり、ある程度は顔見知りであったのもそうだが、何よりも、だ。無償で協力してくれるということもあって、マリアは素直に頭を下げた。
「さっきも言ったけど本当にいいの? お金は払えないし、見返りはだいぶ後になるわよ」
「そこらへんは気にするな。今日は一日のんびりする日だったからな。たまには健全に奉仕の精神に勤しむのも悪くはない。嬉しいことに、トミーもクリストも乗り気みたいだからな」
ピクリ、と二人は顔を上げた。
「お、おうよ! マリアちゃん、こういうのは男の仕事だ! どんどん任せてくれよ!」
「そ、そうだよ! 僕は身体が大きいし、こういうの得意だから!」
「……ありがとう」
マリアのにこやかな笑みを向けられて、だらしなく二人の顔が緩む。意中の相手ではないが、それでも別格の美しさを誇るマリアの笑みだ。頬ぐらい、緩みもする。
ただ、一つだけ悲しいのは、そのことに対して意中の相手が全く気にも留めていないということ。それを横目で見ていた龍成は、言葉無く首を横に振った。
(お前ら……いや、もういいか)
お膳立てはしてやったのだ、後はもう好きにしろ。
そう思いつつ、ガシガシとバケツの中を山盛りにした龍成は額の汗をタオルで拭った。
シャツ一枚になったので多少はマシだが、穴の中はけっこう熱がこもる。おまけに、日は真上にある。龍成のみならず、トミーとクリストも、時折タオルで顔を拭いたりしていた。
探究者として過酷な環境に慣れた龍成たちであっても、なかなかに堪える環境だ。それをよくもまあ、頑張ったものだな、と、汗と泥で汚れた女性陣の衣服を見ながら……ふと、ある話を思い出した。
「そういえば、ここにはあのブラッディ・マリーがいるって噂を聞いたが、本当なのか?」
尋ねたのは龍成であった。ブラッディ・マリーの名前は、探究者の間ではちょっとした話題となっていた。
どういった人物なのかはあまり知らないが、返り血で全身を真っ赤にしてしまう凶暴な人物の渾名だとは耳にしていた。
「せっかくだ。ブラッディ・マリーの顔を一目見ておきたいんだが……」
何気なく尋ねたつもりであったが、女性陣は一斉に視線を逸らした。
「……居るには居るけど、あんまりマリー君の前ではソレ、言わないであげてね。けっこう、その名前で呼ばれるの、嫌がっているようだから……」
あれ、それって……トミーは首を傾げた。
「いや、でも、前になんか女の子が腹立つ笑顔で触れ回っていたけど、アレはここの女の子じゃないのかい?」
「……色々事情があるのよ。どうか、そっとしておいてあげてちょうだい」
遠い目で、疲れたようにどこかを見つめる女性陣を前に「お、おう……」龍成たちは、何も言えなくなった。だから、君、と呼んだ意味を、三人は見過ごしてしまった。
「い、いや、別に詮索するつもりはねえんだ。ただ、マリーの噂は人伝でしか知らないからな。どんなやつなのか一目見たいと思っただけだ」
「どんなやつって……可愛い人よ。身だしなみには気を使わないところは減点だけど、とっても優しい大恩人だわ……ところで、その噂って何かしら?」
純粋な興味を覗かせたマリアが、小首を傾げて尋ねる。位置の関係から、ちらりと見えた谷間に鼻の下を伸ばす二人を他所に、龍成はふむ、と頷いた。
「とりあえず、俺が知っているのは素手でランター・ウルフを引きちぎり、投げた石つぶてでモンスターを蹴散らしたとか言う眉唾モノばかりだな」
探究者が聞けば、全て鼻で笑うぐらいにありえない話ばかりだ。実際、それを聞いた龍成は鼻で笑ったし、トミーとクリストは苦笑いを浮かべたぐらいだ。
気功や魔力による多少の助力があったとしても、常識的に考えればそれら全部が誇張もいいところ。チーム一の力を持つトミーですら、人間よりもはるかに強靭なモンスターの皮膚を引きちぎるのは難しい。というか、無理だ。
まあ、アイテムを持ち帰るだけの運は持ち合わせているようだが、運でどうにかなる話ではない……が。
「あ、それ本当のことよ」
あっさりとマリアは肯定した。んん、と龍成と……耳を傾けていたトミーとクリストも首を傾げた。
「どれがだ?」
「全部」
「全部って、全てか?」
「ええ、そうよ。サララが……あ、サララっていうのは、ここの末女みたいな子で、その子が凄い笑顔で教えてくれたのよ」
冗談だろ、と龍成は思ったが、マリアの瞳には全く嘘が見受けられない。
この手の冗談を言う人では無い……そのことを思い出した龍成は、無言のまま作業を再開した。『不届きな輩だった俺たちがぶっ飛ばす!』とか明後日の方向に怒りを燃やしていたトミーとクリストの二人も、無言になった。
「……ちなみに聞くが、そのマリーってやつはだいたい何階層まで降りられるんだ?」
「さあ……私も詳しくは聞いていなかったけど、確か地下六階まで降りたって聞いたわ」
「……………」
――地下六階。それは、探究者であれば何時かは到達したいと願う階層である。
通称『名声への試練』とも揶揄されることのある、本当に優れた探究者のみが下りられる世界。探究者としてはそれなり(とは言うものの、同じぐらいのやつらはけっこういる)になった彼らであっても、文字通り降りたのは数える程だ。
そんな世界から生きて帰り、かつアイテムまで持ち帰る人物……果たして、どんな人間なのだろうか。
(……ば、化け物?)
三人の内心が、奇しくも一つになった瞬間であった。
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