第八話: そう簡単に事は運ばない




 ―――――地下六階―――――





 久しぶりに訪れることとなった地下六階のダンジョンは、相も変わらず寒々しい空気で満たされていた。


 大小様々な形のレンガと石版によって地面と壁が形成されたその空間には、人の気配はおろか、モンスターの気配すら感じられない。


 所々に咲いたウィッチ・ローザの明かりが無ければ、凍えてしまいそうな静けさだ。その静寂に包まれた世界を、三人の探究者……マリー、サララ、イシュタリアの三人が、周囲を警戒しながら先を急いでいた。



「……ふむう、ここは相変わらず味気のない場所じゃのう……見ているだけでつまらなくなってしまうのじゃ」



 黙々と歩み続ける中、ポツリと、イシュタリアが呟いた。イシュタリアの装備は、かつてマリーとサララの二人に喧嘩を売った時と同じ、黒色のドレス。ドレスシリーズの一つである『ウィッチ(見習い)・ドレス』であった。


 思いのほか反響したイシュタリアの声に、サララはイシュタリアを見つめる……が、イシュタリアは逆にサララに笑みを向けた。



「安心せい……私からすれば、所詮は地下六階。恐れるに足らずなのじゃ。伊達に長生きはしておらんよ……だからのう、そんなに強く槍を握りしめていると、いざという時に指が痺れてしまうぞい?」



 その指摘に、サララはピクリと肩を震わせた。


 ……無言のまま、プレートとワイヤーサポーターで覆われた身体から、強張った指から、ゆっくりと力を抜く。途端、汗でべったりと濡れていた掌が、ふわりと外気に触れた。



「……余計なお世話」


 カチャリ、と胸を覆うプレートの留め具と、強化鉄槍が擦れ合った。上手に肩に担いでバランスを取っているので、見た目は軽々しく持っているように見えるが……おそらく、この中で一番体力を消耗しているのはサララだろう。



「意地を張れるのであれば、大丈夫じゃな。まあ、それに慣れて行くのも一人前への第一歩じゃ。何事も、失敗して学ぶことこそに意味があるのじゃからな」

「――っ、イシュタリアは、少し気を抜きすぎている」

「ははは、言ったじゃろう。伊達に長生きはしておらんとな。私の事にばかり気を取られていると、また昨日みたいに息切れするぞ?」

「き、昨日はちょっと気が急いただけ!」



 精一杯の虚勢。しかし、イシュタリアは全く誤魔化せないようで、カラカラと軽やかに笑い声をあげると、今度は微笑ましげな眼差しをマリーへと向けた。



「お主は平気か……と、聞くまでも無かったかの?」



 前方の気配を探っていたマリーは、その物言いに苦笑した。何時もと同じように、スタンダード・ドレスに身を包んだ彼は、ぐるりと薄暗がりの彼方を見つめた。


 マリーとサララが地下六階に降り立つのは、これで二度目となる。しかし、イシュタリアを加えた状態では初めてだ。


 必要になったとはいえ、再びこの階層に下りることが決まった時、思わず天を仰いだことをマリーは思い出した。



「しかし、まさかカチュの実の栽培方法が二つあるとは思わなかったなあ」

「それは、仕方がないことじゃのう……ふむ、そこは右じゃな」



 目の前に現れた三つの通路を前に、イシュタリアは右を指差した。「まあ、ここは年寄りに任せておくがよい」と自信満々だったので、二人は黙ってそれに従ってそちらへと方向を変えた。



「元々、カチュの実の栽培は失笑を買うぐらいにリスクが高いからのう。私がまだ巷でぶいぶい言わせていたときは……」

「ぶいぶい、って、何時の時代の言葉だよ……おい」

「……う、うるさいのう。私も今自分で言ってみて、ちと古いと思ったところじゃよ!」



 話の腰を折る様なマリーの一言に、イシュタリアはポッと頬を赤らめる。黒髪と見た目の幼さも相まって、まるで少女が羞恥に癇癪を起したように見えた。


 思わず、己から視線を逸らし、手で口元を隠しているサララを人睨みすると、イシュタリアは「と、とにかくじゃな!」話を戻した。



「昔は、そのやり方が主流だったのじゃが……今のやり方が確立されてから、すっかり廃れてしまったのじゃ。エイミーのやつが知らなくとも無理はない」



 じゃが、なあ……そう言うと、イシュタリアはため息を零した。



「幸か不幸か、昔の味を知っているおかげでな、今のやつは不味くてとてもではないが、食えたものではないのじゃ」

「……ん、昔の奴は美味かったのか?」

「それはもう美味の一言じゃ。くど過ぎない甘さに、つるりとしたのど越し、それでいて、ほんのりと口の中で溶けていく柔らかさ……アレがもう一度味わえるのであれば、私は一肌でも二肌でも脱いでやろうぞ」



 何か不純な感じではあるがやる気を見せているイシュタリアを前に、マリーとサララは苦笑した……と。


 ……かつん。


 その音を拾った瞬間、ピタリとマリーは表情を引き締めた。それを見た二人も、すぐさま意識を切り替えた。



「二人とも警戒しろよ」



 そうマリーが言うよりも前に、二人は迎撃の構えを取っていた。サララは強化鉄槍を構え、イシュタリアは魔法術によって、壁の一部分を削り取って手斧を作り出すと、楽しげにマリーが見つめる先を見つめた。



「そういえば、ゴーレムは作らないの?」



 チラリと、初めて武器を構えたイシュタリアを見やったサララは、驚きに目を瞬かせた。



「永い時を生きる私とて、無限ではないのじゃ。目的の物を手に入れる算段が立っていない段階である以上、節約できるときに節約しとくに限る」



 なるほど。それもそうだ。しかし「……それでは、耐久力に不安が残るような気がする」そうサララが続けて尋ねると。



「別に壊れても構わん。ほれ、材料ならそれこそそこらじゅうに転がっとるからのう」



 イシュタリアはウインクと共に、そう返した。そんな二人を他所に、とつとつ、とうとう、とつとつ、とうとう……耳を澄まさないと聞こえなかったその足音が、次第に大きくなってきた。


 ウィッチ・ローザで照らされた暗がりの向こう……その奥から響いてくる足音が、次第に振動となってカタカタと三人の足元まで伝わってくる。



「ふん!」


 一閃。


 気合と共に放たれたマリーの拳が、石版を貫いて地面に突き刺さる。そのまま、マリーは土埃を落としながら、軽々しく石版を持ち上げる。ぽとぽと、地面に落ちた土を踏みしめると、それを自らの前に立てた。


 そして……ぬう、と姿を見せたモンスターの大群を確認したマリーは、魔力によって強化された拳でもって石版を粉砕し……即席の散弾を放った。


 直後に響いたモンスターの断末魔の悲鳴と共に……マリーの、イシュタリアの、サララの、解き放たれた気合が地下六階の世界に木霊した。









 ……。


 ……。


 …………時間を、少し巻き戻す。


 朝、いつものように食堂に行った時、心配になる程に顔を青ざめたエイミーから『このままでは、カチュの実が作れない』と言われたことから、今回のダンジョン探究は始まった。


 食堂には、他にもマリア、シャラ、サララ、ビルギット……一言でいえば、館の女性たち全員が集まっていて、全員が暗い顔をしている。中には涙を流している人までいて、マリーは朝っぱらから困惑に首を傾げることしか出来なかった。



『ようやく起きてきおったか……ほれ、館の主が来たことじゃし、改めてもう一度説明するのじゃ』



 そうやって、話を切り出したイシュタリアから聞かされたことは……今後の計画を大幅に見直さなくてはならない事であった。



『……するってえと、つまり、どういうことだ?』



 一通りの説明を受けたマリーが首を傾げると、イシュタリアははあ、とため息を吐いた。



『つまりじゃな……今現在書物なので知ることの出来るカチュの実の栽培方法では、お目当てのモノは手に入らないということなのじゃ』


 要約すれば、今現在エイミーが取りかかろうとしているカチュの実の栽培方法は、『質より量』の栽培方法で、マリー含む、エイミーが狙っていたカチュの実(非常に高価なやつ)は『量より質』を目的とした栽培方法で無ければならない……ということなのであった。



『今のやり方だと、駄目なのか?』

『駄目じゃな。はっきり言って、実そのものは栽培出来るじゃろうが、それをやると結果にムラが出来るからのう……最悪、良薬が出来るだけで、秘薬は0になりかねん』



 はて、マリーは首を傾げた。



『実が出来るだけじゃ駄目なのか?』

『駄目じゃな。普通の農家にとっては十分に黒字となるじゃろうが、少なくとも目的を達成する為だけの金を集める為には、『量より質』じゃ。その辺りを下手に誤魔化そうとするのは止めておくのが賢明じゃ……一般庶民ならいざ知らず、本物を見てきた金持ち共には一発で見破られるのじゃ』



 ――待てよ。脳裏に浮かんだ嫌な予感に、マリーは頬を引き攣らせた。



『というと、もしかして、そういう金持ちは、実際の本物を……』

『金持ち同士の繋がりは広いからな。だからこそ、一度でも偽物を出したとなれば、たとえその後にどれだけ本物を出そうとも、手を伸ばしてはくれんじゃろうな』



 しかしまあ。イシュタリアは不敵な笑みを浮かべると、自信ありげに腕を組んだ。



『私は実物をこの目で見ておるし、本物の栽培方法も知っておる。その私が言うのじゃ……まだ、取り返しは効く段階じゃぞ!』



 その宣言と共に、イシュタリアは強く腕を振り上げた。

 新たに判明して必要となったのは、四つ。



『高純度の成長促進剤』

『高品質かつ豊富な栄養が保たれた土壌』

『専用のカチュの種』

 そして、『モンスターの体液』



 前者三つは館の女たちへと任せて、マリーたちは、一番重要となる『モンスターの体液』を求めて、ダンジョン下層へと潜ることとなったのである。










 ……しかしまあ、モンスターの体液と言ったところで、どんなモンスターであれば良いのだろうか。


 イシュタリア曰く「あんまり弱いモンスターでは意味が無い」ということなので、こうやって地下六階まで降りては来たものの、いまだ二人は何の説明も受けていなかった。



「しかしまあ、意外だ」

「何がじゃ?」

「育てるのにモンスターの体液がいるって話だよ」



 迫り来るモンスターの頭部を粉砕したりしながら、マリーとサララは「今は私に付いてくるのじゃ」というイシュタリアの一言の元、ひたずら地下六階をぐるぐると回り続けていた。曰く「裏ワザ」があるらしい。



「ちょい待て、ここいらで気配を感じるのじゃ」



 三回目となる大群の襲撃を撃退してから、幾らか。イシュタリアは時折、ふと何も無い場所で立ち止まると、コツコツとレンガで覆われた壁を叩いた。


 それが裏ワザと何の関係があるのかは、彼女しか知らない「何やってんの?」とマリーが尋ねても「音を聞いておるだけじゃ、まあ、見ておれ」と焦らすだけで、その目的を教えてはくれなかった。まあ、もう諦めた。


 おかげで、そのたびにマリーとサララは、集中して壁に耳を澄ませているイシュタリアを守る為、こうして向かってくる敵を相手に防戦していた。



「それは私も疑問に思っていた……と」



 体重移動を駆使した一撃に、牙を剥いていたランター・ウルフの身体が切り裂かれる。絶命させたのを確認したサララも、マリーの疑問に追随した。


 イシュタリアの言うとおりに体液が必要なのだとしたら地上にそれを持ち帰る必要がある。だが、それはサララにとってもマリーにとっても不思議な話であった。


 マリーやサララの常識では、モンスターは、あくまでダンジョンの中だけの存在。こんな化け物の体液だけとはいえ、わざわざ地上に持ち帰るというのはあまり想像出来ない話であった。



「そこらへんは私も詳しくは知らん。そういうふうにすると実が生るということを知っているだけで、おそらくは経験則から来るものじゃな。一時期、害木樹でも何か利用できることは無いかと流行ったからのう」



 こつこつ、と壁を叩いていたイシュタリアが、ふと立ち止まって、壁に耳を当てる。もう既に、幾度となく繰り返された光景に、マリーとサララは慣れた様子でイシュタリアを守る為に移動する。



「それにしたって、わざわざダンジョンからモンスターを引っ張ってくるっていうのか……昔のやつらも、なかなか凄えこと考えるんだな」

「いやいや、今でこそモンスターが地上に出ることなんぞなくなったが、昔はちょくちょく地上に出てきていたのじゃぞ」

「はあ、嘘だろ?」

「そんな阿呆な嘘をついてどうするのじゃ。おかげで、本当に稀にではあるがカチュの木の傍で死んだりするやつもおったから、美味い実にありつけたりしたものじゃ」



 壁に耳を当てたまま、イシュタリアは石で出来たハンマーを壁に振るう。かつん、かつん、と響く反響音に、ぴくぴくとイシュタリアの耳が痙攣した。



「あ、マジか? だったら、何で今のモンスターは地上に出て行かねえんだよ?」

「そんなこと、私が知るわけがなかろう。気づいたら見かけなくなって、それっきりじゃ。今は入口にセンターがあるから、地上に出てきても、すぐに討伐じゃろう……それに、モンスターは地上ではそう長く生きられないし、昔も手を下す前にほとんどが自滅したから、軍のやつらはたいそう煮え湯を飲まされていたと人伝で聞いたりしたものじゃが……むむ!?」



 ピクリと、余裕ありげに笑みを浮かべていたイシュタリアの表情が引き締まった。真剣に槍を振るっているサララの横で、ほとんど作業的に石つぶてを放っていたマリーが、その様子に目を向けた。



「どうした、まさか裏ワザか?」

「その、まさかじゃ」



 にやり、とイシュタリアは意地の悪い笑みを浮かべると、その場にハンマーを放って、壁に両手をついた。


 と、思ったら、直後に手が触れた部位から壁がポロポロと形を変え、イシュタリアの胴回りよりも大きい手斧を二つ、抜き取る。ぼこん、と引きずり出した手斧が、ずどん、と石床にヒビを入れた。



「……大当たり、じゃな」



 その分だけ、ぽかりと空いた壁の向こうには、むき出しの土肌が……あるはずなのだが、そこにはなんと、空洞が広がっていた。ウィッチ・ローザによって照らし出された空間の向こうには、驚くことに、扉があった。



「……え、何だこれ? もしかして、あの隠し部屋か?」



 にょきっと、イシュタリアの横から顔を覗かせたマリーは、そこにあった扉を見て、驚きに目を見開いた。


 ――隠し部屋とは、ダンジョン内にて時折出現する『高エネルギーが凝縮されたアイテムが安置されている部屋』のことだ。


 普通であれば、なかなか狙って見つけ出せるようなものではない。また、入口となる扉の位置が頻繁に変わることも相まって、滅多なことでは見つからない。油断なく周囲の警戒を続けているサララも、チラリと視線をやると同時に、絶句した。



「お察しの通り、隠し部屋へと続く入口なのじゃ……ほほほ、お前さん方の心の声が伝わってくるのう」



 二人の内心を察したイシュタリアは、けらけらと笑い声をあげる。「ほれ、ちょっと後ろに下がっておれ」静かにマリーの頭を自らの後ろに追いやって、己の掌を扉に向ける。



「燃えよ!」



 直後、イシュタリアの手から炎の弾丸が噴き出した。ぼう、と空間全てを舐める様に広がった炎の波は、むき出しになった地面を焦し、扉を粉砕……する直前、ふわっ、と炎が音も無く掻き消えた。


 ぼわっ、と熱波が跳ね返る……よりも前に、イシュタリアは、己の前に氷壁を作り出すと、その熱気を完全に抑え込む。


 水蒸気が周囲に広がって、視界が一時悪く成る。熱波が落ち着いたのを確認したイシュタリアの前で、氷壁は瞬く間に溶けて蒸発した。



「……うむ、やはり今の私でも壊すことは叶わぬみたいじゃな」



 今度は、掌を土肌に向けると、掌から水が噴き出した。水が土肌に触れた瞬間、音を立てて蒸気が立つ。順々に、空洞内の熱気を冷ましながら、イシュタリアは背後の二人を見やった。



「ダンジョンに存在するこういった隠し部屋への入口には、非常に分かりにくいが、魔法術を跳ね返す特殊な魔法術が使われておる。今、私が魔法術を放っても扉だけは影響を受けなかったのは、そういうわけじゃな」


 ――へえ、なるほどねえ。



 マリーとサララの呆気に取られた声が、ピタリと揃った……しかし、ハッといち早く我に返ったマリーは、自らの頬を叩いた。そして、周囲のモンスターの気配を探った後、ふう、とため息を吐いた。



「……色々聞きたいことはあるが、とりあえず、なんでこの部屋の入口が分かったんだ?」



 隠し部屋の発見方法は、手当り次第のしらみつぶしが原則だったはずだが。



 その、マリーのみならず、探究者であれば常識と言っていい疑問を前に、イシュタリアはやれやれと手を振った。



「先ほども言った通り、隠し部屋への扉には魔法術が施されておる。そして、魔法術である以上、魔力が運用されておるのは必然なのじゃ」

「……つまり?」

「つまり、その魔力を感知さえ出来れば、隠し部屋があるかどうかを知ることが出来る……ということなのじゃ」



 そう、こともなげに言い放つイシュタリアであるが、それは途方も無く難しい技術であることに、共に魔法術方面には詳しくないマリーとサララは気づかなかった。


 そして、イシュタリア自身もそれをわざわざ言うつもりは無かった。だから、そんな方法があったのかと単純にイシュタリアの博識を褒めたたえ、イシュタリアはそんな二人の言葉に照れ臭そうに頭を掻いた。



 ……ちなみに、イシュタリアが行った魔力感知。



 例えるなら、壁一枚向こうにある箱の中身を、目視で探り当てるぐらいに難易度の難しい技術だ。常人であれば……というより、まず人間業ではない。


 なにせ、魔力は目に見えるものではない。目に見えないものを、目で確認しろと言っているようなものなのだ。


 如何に、イシュタリアが化け物染みているかがよく分かる。『時を渡る魔女』という渾名は、伊達ではないということなのだろう。



「……さて、もういい頃合いじゃな」



 フッと、イシュタリアが放っていた水が止まる。蒸し暑さを覚える熱気が、ぽたぽたと滴り落ちる水滴と共に、もわっとこちら側へ流れてくる。指先で濡れた土肌の温度を確認すると、うむ、とイシュタリアは振り返った。



「ちなみに、扉に魔法術を放ったのは、ただ説明の為だけでは無いぞ。実はな、扉に魔法術を放つと、なぜか中に居るモンスターの強さが上がるのじゃ」

「……すまん、俺、お前が何を言っているのか分からん」



 のじゃ、と可愛らしく笑顔を浮かべるイシュタリアに、マリーはぎりりとイシュタリアの胸倉を掴む。「ま、まて、ちゃんとわけはあるのじゃ!」とイシュタリアが抵抗しなければ、拳の一発は飛んでいたところである。


 けほけほ、と咳き込んでいるイシュタリアは、思いのほか冷たい眼差しを向けるマリーとサララに、「冗談ぐらい言わせてくれたっていいじゃろ」肩を落とした。



「今回の目的を思い出すのじゃ。私たちが今必要としているのは、エネルギーと、モンスターの体液じゃ」

「おう、それは覚えているぞ。だからこそ、わざわざ地下六階まで降りてきたんだろ……それと、わざわざモンスターのレベルを上げる関係がどこにあるんだ?」

「一言でいうと、この階のモンスターでもまだ不安……隠し部屋のモンスターぐらいであれば、高価で美味い実を付けるのは確実なのじゃ。ついでに大量のエネルギーを確保。まさに、一石二鳥というやつじなのじゃ」

「なのじゃって、お前ねえ……わざわざ上げなくても、普通に隠し部屋には強いモンスターが出てくるんだから、それでいいだろ」



 もっともな意見である。しかし、イシュタリアはぷう、と頬を膨らませた。



「嫌なのじゃ! 沢山出来れば、一つぐらい貰っても多めに見て貰えるじゃろうし、せっかく作るのじゃ……美味い方が高く売れよう?」

「7割ぐらい、お前の私意が入っているような気がするんだが、俺の気のせいじゃねえよな?」



 自信満々に無い胸を張るイシュタリアに、マリーは何かを堪えるかのように目頭を押さえた。その後ろで成り行きを見守っていたサララも、深々とため息を吐いた。



(俺、隠し部屋に入ったことが無えから、中がどんなふうになっているか知らねえんだよな……サララも居るし、大丈夫かねえ)



 チラリと、マリーは意識をサララへ向ける。噂程度にはその存在を知っているマリーも、実際に己が入るとなると、話が変わる。情報が無いというのは、それだけで致命的になることもあるのだ。



「そこまで不安に並んでもよい。せいぜい、今の階よりも5階ぐらい下の階層のモンスターが出現するのが関の山じゃ」


 ――え、それってヤバくね?



 そう思ったマリーであった……が。



「私とお主が本気を出せば、造作も無い敵じゃと思うぞ。お主の実力なら、一人で挑んでも問題ないと断言するのじゃ」



 そう続けられて……まあ、それぐらいなら、いいかな。


 半信半疑ながらも、そう納得させた。事実、大抵の敵ならイシュタリアとマリーの二人でどうにかなる。サララも、実践を積み重ねて余裕が出てきているし、どちらかが防戦に徹すれば大丈夫だろう。


 まあ、所詮は今更の話だ。嫌がった所で、もう遅い……既に(不本意ながら、イシュタリアの手によって)サイは投げら、それを拾う事は叶わない。


 ここで下手にイシュタリアとごちゃごちゃ口論する余裕は無いし、この際だ。運に任せ、前へと進むのも一つの手なのかもしれない。



「……私は?」

「お嬢さんは、後ろで待っていればいいのじゃ」

「…………そう」



 はっきりと戦力外を言い渡されて、サララは静かに唇を噛み締める。


 ……腕を上げたとはいえ、まだまだその実力は二人には劣る。攻撃力だけなら、この階層のモンスターにも通用するだけのものを手に入れてはいるのだが……それだけだ。


 今はまだ体力も温存しているので、槍も自由自在に振り回せるが、息切れも早い。昨日は二人の足を引っ張らないように意識しすぎてしまった手前、サララは大人しくイシュタリアの言葉を受け入れるしかなかった。



「……えっと、とりあえず、俺とイシュタリアが前に立って、サララは後ろで待機……それでいいか?」



 覚悟を決めたマリーが、そう二人に提案する。特に異論は無かった二人はマリーの意見を肯定すると、ごく自然にマリーの少し後ろに立った。


 そうして、軽くノブに触れて、熱くないのを確認したマリーは……一つ唾を飲み込むと、一息に扉を開け放った。








 ――入った瞬間、三人の目に飛び込んできたのは、一言でいえば広場であった。



 ラビアン・ローズがすっぽり入る程に広く、天上に光るウィッチ・ローザの明かりを見る限り、かなり天井が高いことが分かる。


 レンガと石床で覆われた外とは違い、むき出しになった地面と土壁が見渡すかぎりに続いていた。


 一目した限りでは、上の階に戻ったのかと錯覚してしまうぐらい、その空間は似ていた。


 しかし、唯一、広場の奥にある大木の存在が、上の階とは違っていた。


 ダンジョンの中にて木を見つけること自体、なかなか珍しいことなのだが、それ以上にその大きさが問題であった。


 三人が手を繋いでも……いや、館の女性陣全員が手を繋いでやっとというぐらいに太い幹は、実に立派だ。地面に浮き出た根の太さだけでも、マリーの胴回りぐらいはある。天井への伸びた先端に至っては、一部が食い込んでさえいる。


 樹齢三ケタ……いや、四ケタはいっているであろうその存在に、マリーとサララは……イシュタリアですら、息を呑んでそれを見上げた。



「おい、隠し部屋の中って、こんなふうになっているのか?」

「……いや、そんなことはないのじゃ。私も長らく生きておるが、こんなモノを、この場所で見るのは初めてなのじゃ……ううむ、デカい」

「……薪にしたら、どれぐらいのお金になるかな?」



 マリー、イシュタリア、サララの順に感想を零す。一人、金で換算している悲しい子がいたが、二人は口を挟む様なことはしなかった。全て、貧乏が悪いのだ。


 しばし、三人は大樹の周りをぐるぐる回る。最初はこの大樹が動き出すのかと警戒していたが、何をしても反応が返ってこない。どうやら、モンスターでも何でもない、ただの大木のようだ。


 そのことに安堵すると同時に、ふと、疑問が湧いてくる。アイテムらしきものが見当たらないのもそうだが、何よりモンスターが出てこないことに、三人は首を傾げた。


 通常、こういった隠し部屋にはモンスターなり何なり、様々な障害物が有って、その奥にアイテムがあるのが通例だ。


 それが今回に限ってアイテムもモンスターも、影も形も無い。その事実に、イシュタリアは「おかしいのじゃ」と何度も首を傾げた。


 少しずつ、三人の中で「これはもしかすると、アレか?」あまり考えたくない言葉が脳裏を過り始める。けれども、いつまでも現実逃避している場合ではない。



「……もしかして、ハズレってやつなのかねえ?」



 なので、せめて代表としてマリーははっきりと現状を口にした。二人も肩すかしを食らって気疲れしたのか、異論を挟もうとはしなかった。



「ううん、むしろ、大当たりよ」



 そう、三人は異論を挟まなかった。けれども、頭上から聞こえてきた異論に、三人は瞬時に迎撃態勢を取ると、声のした方を見上げた。


 大樹の幹の半ば付近。そこに生えた枝に腰を下ろしている愛らしい顔立ちの少女がいた。少女は、集まった視線にきゃはは、と可愛い笑い声をあげた。



「お~そ~い~! もう、あんまり気づいてくれないから、待ちくたびれちゃったじゃないの」



 と、思ったら、少女はぷくりと頬を膨らませると、不機嫌そうに目じりをつり上げる。見た目相応……いや、仕草によって、いくらか幼いように見える。



「まあ、でも、気づいたんなら少しだけ許してあげるわ。こういうことを出来る私って、とっても優しい女の子……でも、許してあげるのは、ちょっとだけよ」



 一方的に少女は告げると、するりとその身を空へと乗り出す。


 あっ、とサララが声をあげる……が、少女はまるで綿毛のようにふわりふわりと漂いながら、軽やかな足取りでマリーたちの前に降り立った。


 薄い肌色を基調とした可愛らしい洋服を着た、可愛らしい女の子……という言葉をそのまま具現化させたら、この少女の形になるのだろうか。にこやかな笑みを向けてくる少女を見て、マリーは目を瞬かせた。



(……すげえな、非の打ちどころが何一つ見当たらない、文句なしに可愛らしい女の子だ)



 マリーが抱いた少女の印象は、その一言に尽きた。ウィッチ・ローザの淡い光の中でもきらめく黄金の髪と瞳が、誰しもが『可愛い』と太鼓判を押すであろう顔立ちには、不思議とよく似合っていた。



「はぁい、遠路はるばるこんな地下までご苦労様。変人にしか見つけられないような寂れた場所を見つけるなんて、あなた達はよほど運がいいのかしらね」



 近くで聞くと、声も幼くて可愛らしい。幼すぎず、大人過ぎない微妙な声域だからだろうか……妙に、耳に心地よい。頭が、痺れるようだ。



「ご丁寧にどうも。それじゃあ、単刀直入に尋ねよう。お前、モンスターじゃな? 私も長らく生きてきたが、お前のように流暢に人の言葉を話すやつは初めて見るのじゃ」



 スッとイシュタリアがマリーの前に立つ。自然と、向かい合う形になった少女は……ニヤリと、頬を緩めた。



「ええ、そうよ。私はあなた達人間でいうモンスターってやつなの」



 そう少女が言った瞬間、サララとイシュタリアは構える。遅れて、マリーは拳を構えて……少女に意識を向ける。



「おっと、そこの褐色肌のあなた、いきなり物騒な物を向けられると、唇も強張ってしまう。何かしたいのなら、私の話を最後まで聞いてからにしなさいな」



 そっと、少女はサララから向けられた強化鉄槍を、指差す。向けられた武器に対して一切拒否感を抱かないことに、サララの警戒心が一気に跳ね上がる。



「――っせい!」



 先手必勝。そう言わんばかりの跳ね上がるような斬撃。全身のバネを使った掬い上げる一撃に、少女の身体が脇から二つに切り裂かれ――!?



「――っ、え?」



 鋭く少女を睨みつけていたサララの目が、大きく見開かれた。空気を切り裂いて放たれた一刀が、少女の肌に触れる寸前……その刃を、寸でのところで押さえた存在に、サララは息を呑む。



「ど、どうし――」



 直後、サララの視界がぶれた。攻撃された、と瞬時に判断するが、目の前に立つ二人は全く動いた様子は無く、それどころか先ほどよりも小さく映った。



「……なるほど……これはまた、厄介な事態になったのう」



 イシュタリアの声が後ろから聞こえた。それを理解すると同時に、サララはイシュタリアが自らごと距離を取ってくれたことを理解する。



「……イシュタリア?」

「ほれ、なにをボーっとしておる。考え得る限りの中で、かなり危険な展開になったのじゃぞ。気合をいれぬか」



 そう言われて、ハッと意識を切り替えたサララは、槍を構えた。けれども、その刃先はいつもよりも少しばかり、下がっていた。


 それを見た少女は、先ほどよりも可愛らしく……それでいて禍々しく目じりを下げると、頬を歪に歪ませる。うっとりと、紅潮した頬に手を当てていた。



「あははは、どうしたのかしら!? 信じられないって顔しているわね!? 私、そういうの大好きみたいよ!」



 あはははは、と少女は笑い声をあげた。その少女の前で……ゆらりと、マリーは拳を構えた。その視線は、はっきりとイシュタリアとサララを睨んでいた。



「……ずいぶんと、趣味が悪い。私も人の事を言えた義理ではないが、男が寄りつかん趣味とはこのことじゃな」

「イシュタリア……何が起こったの。マリーが、どうしたの?」



 マリーを通して奥にいる少女を睨みつけながら、サララはイシュタリアに尋ねた。

 何が起こったのか、なぜ、マリーがあそこに立っているのか……サララには、何一つ理解出来なかった。したく、なかった。



「……おそらく、魔法術によって操られているのじゃろう。私としたことが、ぬかったのじゃ」



 ギリリ、とイシュタリアは奥歯を噛み締めた。普段の彼女からは想像が出来ない程に厳しい眼差しを、マリーへと、少女へと向けた。



「いくら隠し部屋とて、まさかこんな浅い階層で出てくるとは思わなんだ。すまぬのじゃ、お嬢ちゃん。完全に想定外じゃ」

「御託はいらない。さっさと教えて」



 ゆっくりと、マリーが動き始める。まるで散歩するように距離を縮めてくるマリーに……イシュタリアは「はぁ!」一気に魔力を練り上げた。



「おそらく、あいつの正体は『サキュバス』なのじゃ。それも、普通のサキュバスよりも高位のやつなのじゃ」

「サキュバス?」

「一言でいえば、男は絶対に相手をしてはならないモンスターじゃな。実力こそ私の足元にも及ばぬが、雄であれば、どんなやつでも操る難敵なのじゃ」

「雄なら? だったら、マリーは……」



 イシュタリアは頷いた。その視線の先には、興奮で瞳を爛々と輝かせている少女……サキュバスが、楽しげにこちらを見ていた。



「見た目がどうあれ、男であることに変わりないからのう……お嬢ちゃん、作戦が二つある」

「なに?」

「一つ、あやつを見捨てて、まずは逃げる」

「そんなこと出来ない! それをするぐらいなら、私はここで死ぬ!」



 はっきりと、イシュタリアの提案を切り捨てる。「まあ、それは分かっていたのじゃ」そのあまりに迷いのない返答に、イシュタリアは不敵に笑みを浮かべた。



「もう一つは、私があやつを押さえ、お嬢ちゃん……お前が、あそこで勝ち誇っている小便臭い女を倒す」

「……私が?」

「そうじゃ。私は、全力で持ってあやつを止める。サキュバスに操られたやつは、おそらく全力で私を攻撃するじゃろう。そうなると、私も全力を出さねばならぬ。あやつを殺さない為に……のう」



 ゆっくりと、イシュタリアがサララから離れる。同時に、マリーが向きを変える。それを確認したイシュタリアは、サララへと掌を向けると……広場に、イシュタリアの歌声にも似た呪文が響いた。



「{グラビティ・シールド}」

「――っ!? こ、これは!?」



 イシュタリアの掌から放たれた魔法術が、サララの全身を包み込む。ふわりと、全身に掛かっていた重力ともいうべき何かが軽くなったような感覚を覚えた。



「それで、少なくとも逃げ回ることだけは出来よう。いいか、無理に倒そうとするのだけは止めるのじゃ。まだ、お嬢ちゃんの実力ではサキュバスを相手には出来ぬのじゃ」

「……死なないで。死んだら、マリーも、皆も、悲しむ」

「お嬢ちゃんは、悲しんではくれないのか?」



 そう尋ねられても、サララは返答しなかった。けれども、小さな声で「バカ」とだけ伝えると、ゆっくりとサキュバスの方へと歩み寄る。


 幸い、サキュバスは小細工せずに相手をするつもりなのか、マリーは相変わらずイシュタリアへと歩を進めていた。


 ……ふふふ、イシュタリアは笑みを零した。



「……死なないで、か。そんなことを言われたのは、何時振りだったか……なんとも、胸がくすぐったくなる言葉じゃのう」



 おもむろに、イシュタリアは両手を頭上に掲げた。直後、ぼこり、と傍の地面が盛り上がり、周囲の土が集まると、人間大の土人形『ゴーレム』が誕生した。


 しかも、数は一つでは無い。ぼこり、ぼこり、ぼこぼこぼこぼこと地面を脈立たせ、ゴーレムは瞬く間に、その数を30へと増やし、さらに数を増していく。



「こんなものでも、弾避けぐらいには――」



 言い終える前に、先頭に立っていたゴーレムの頭が弾け飛んだ。パラパラと宙を舞う土埃が頭から降り注ぐ。素早く、己を囲うように土壁を作り出すと、ゴーレムの『目』から通して状況を確認する。



(やっぱり、そう来るか)



 案の定といえば、案の定の光景に、イシュタリアは苦笑する。とりあえずの盾は作ったが、この距離からでは、ほとんどの魔法術は避けられてしまうだろう。



「……兎にも角にも、近寄らねばどうにもならんか。やれやれ……お婆ちゃん、久しぶりに頑張っちゃうのじゃ!」



 ひゅん、と傍に立っていたゴーレムの頭が、弾け飛ぶ。ころん、と目の前に落ちた石ころを踏みしめて、イシュタリアは腕を掲げて……下ろした。



「進め、我が軍団よ!」



 その宣言と共に、ゴーレムたちが動き出す。それに合わせて放たれた石つぶてが……また、ゴーレムの身体を貫いた。



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