お題小説(お題→会話文なし、心中、2000字)

小野はるか

ドア





 ――どうしてこんなことになったのか。

 礼は絶望的な気持ちでそれをながめていた。いや、絶望というのは望みを絶たれたときに感じる感情なのだから、適切な言葉ではない。もはや一滴の希望すら、礼の心には存在しない。

 礼の心は、礼の胸の中は、すでにからっぽのがらんどうなのだ。



 礼の見つめる先では、ドアノブにかけた紐で首をくくって、長年の交際相手がこときれていた。

 首つりといえば鴨居や梁を想像するが、こんな安アパートにそんなものは存在しない。

 彼女――栞はだらんと体を弛緩させ、ドアによりかかるようにして亡くなっていた。

 窮屈そうな死にかただ。死んでしまえば窮屈もなにもないのはわかるが、ほかにもっと良い死にかたはなかったのか、やりきれない思いで礼は立ちつくす。

 栞との出会いは月並みだが、大学のサークルだった。

 とがったあご、涼やかな目もと、黒い輝くようなストレートヘア。外見そのままに、栞はプライドの高い女だった。

 礼が大学入学後、先輩に誘われて美術サークルに入ったとき、二つ年上の彼女はすでにサークル内で孤立していた。まとう雰囲気はつんとすまして近寄りがたく、口数も多いほうではなかったから、礼もそれをあたり前のこととして受け入れていた。

 彼女はいつもたったひとりでどこかにカンバスをもって出かけていた。彼女が何を描いているのか、どんな絵をかくのか、それまで知りもしなかったし、興味を持ったこともなかった。

 それが覆ったのは、学園祭の後夜祭でのことだった。

 学園出身のロックバンドグループが熱い演奏を披露し、だれもがそれに酔いしれるなか、あるいはそれをバックグラウンドミュージックにして意中の相手に告白をしたり、物陰で不純な行為に興じたりとしているなか、礼がひとり美術室へと向かったのは、置き忘れた画具を取りに戻るためだった。ちょっとお高いドイツ製の大切な画具だ。万が一にでもだれかに盗まれてはたまらないと、薄暗い学舎の中を早足で向かったさきで、栞に出会った。

 美術室で、栞はしずかにカンバスに向かっていた。礼を見ても視線一つ動かさない。礼はなんてお高く留まった女だとそのときも思った。どうもとか、どうしたの? といった愛想ひとつ見せられないのかと、内心不愉快にも思ったものだった。わざわざまわりこんで彼女のカンバスをのぞいたのは、きっと馬鹿にしてやりたかったからだと自分でも思う。

 しかし、そんな感情は彼女の絵を見て吹き飛んだ。栞はたしかにプライドの高い女だったけれど、同時に孤高な絵をかく女だった。孤高にして繊細――栞の描く絵は、一瞬で礼の心をわしづかみにした。

 礼は彼女の画に恋をした。それを描く彼女の孤高な心に恋をした。以来、礼は熱烈に栞を口説いた。周囲からは氷に愛を説いてもムダだとすら笑われた。それでもくじけずアプローチをくり返すうち、ようやく彼女の心は溶けた。礼は彼女を手に入れた。

 栞にとって、礼ははじめての男だった。栞は孤高な女だったが、同時にずっと人のぬくもりを欲していた。さみしかったと、孤独だったと彼女はベッドの中で涙をこぼした。

 二人の交際は順調だった。すぐに同居を始め、栞が大学を卒業し、大手画材メーカーに就職したあとも、その二年後に礼が卒業し、残念ながら職にあぶれてニートになったときも、ふたりの交際は何ら問題もなくつづいていた。

 それが狂ったのは、いつからだったのだろう。

 おそらくは、ニートである状況を打破しようと、礼が近所のコンビニでアルバイトをはじめたあたりからだった。

 人を寄せつけない雰囲気の栞とはちがって、社会とのつながりを得た礼は瞬く間に新たな人間関係を築き上げた。それが、よくなかった。礼にとっては良いことであっても、栞にとってはそうではなかった。

 礼がたくさんの人と言葉を交わし、接することで、離れていくのではないかと彼女は恐れた。ようやく得たぬくもりを失うことを恐れた。――彼女は、病的なまでに礼を束縛するようになった。

 人の心は難しいもので、束縛しようとすればするほど離れてしまう。礼もまさにそうで、急速にふたりの関係は冷えきっていった。

 決定打になったのは礼の浮気だ。ふたりのベッドの白いシーツにからんだ一本のウェーブヘアは、彼女の心を粉々に打ち砕いた。


 礼は立ちつくし、ほかの死にかたを選べなかった栞の亡きがらを見つめる。

 ふと唐突に合点が行った。

 死ぬにしても、もっといい死にかたはあっただろう。それでも、彼女はこの死にかたにこだわった。このドアに、こだわりたかったのだ。

 彼女は、ドアにもたれて死んだ。

 ドアによりかかりこちらを向いて、礼を通せんぼにする形で死にたかったのだ。礼をこの部屋に閉じ込めたくて、最期の瞬間まで、そのあとまで、彼女は礼を束縛していたかったのだ。



 礼はただただ無気力に、彼女の遺体を見つめることしかできなかった。

 あるいは、足もとに横たわる自分の遺体を。

 ひとつの自殺体と、ひとつの他殺体。

 ふたりが迎えた結末は、無理心中――。

 礼の心は、礼の胸のなかは、すでにどうしようもないほどにがらんどうだった。

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お題小説(お題→会話文なし、心中、2000字) 小野はるか @ranka-killa

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