第120話 痴漢? アウチ。勘違いだってば

 誤解に誤解を重ねて10階どころか20階ぐらいになってしまった翌週に俺は何故か新幹線に乗っていた。今後の営業所について議論をしたいから本社まで来いとのご命令である。同僚たちの期待を一身に背負っていた。


 現地採用のエリア社員からするとこの会社をリストラされると再就職が辛い。一般社員も次にどこに飛ばされるか分からないのは不安だ。今までは空気扱いだった俺がキャスティングボートを握っていると分かると一斉に手のひらを返す。明らかに媚を売る人もいた。


 所長と営業部長が猫なで声を出すのは気持ち悪いだけだったので、礼節を保ったうえで距離を置いた。こういうときに外回りの営業は便利である。また、営業事務や内勤の女性達からの飲みのお誘いも増える。中には酔ったふりをしてしなだれかかってくるのまでいたが、ペットのにゃんこが家で待っているからと嘘を言ってダッシュで逃げた。


 明朝早くからの会議なので前泊したまえ、という気前の良さだったので、夕方に東京駅に降り立った。しかも前払いなので懐は痛まない。至れり尽くせりだった。こうなると悪い気分はしない。が、在来線に乗り換えると大切なことを忘れていたことを想いだす。東京の殺人的なラッシュに巻き込まれていた。


 数駅乗ったところで気づくと果音の着ていたのとよく似たセーラー服を着た女子高生3人に取り囲まれるようにして立っている。一瞬だけ、山崎果音って子を知りませんか、と聞こうかと考えたがすぐにそんな考えを頭から追い払った。


 ぶっちゃけ、おっさんにとってみればセーラー服はセーラー服でしかなく、細かなデザインの違いなんか分からない。果音がセーラー服を着ていたのは確かトルソー神殿に着くぐらいまでだったので記憶もあいまいだ。仮に果音を知っていると言われたところで今更どうしようもない。


 山崎さんて色黒でキリっとした男前な子ですか……。それだったら、実は山崎さんは異世界で命を落としまして……。そんなことを言ったら確実に頭のおかしいおっさんに声をかけられたと思うだろう。それ以前に見ず知らずの年上にいきなり声をかけられただけでキモ悪がられるに違いない。


 俺は用心深く両手で吊革にぶら下がりながら、今日予約してあるホテルの最寄り駅を思い出そうとした。シティホテルとはいかないが、最近できたばかりのビジネスホテルで駅からも近く、なかなかに悪くないホテルだとのことだった。しかもツインのシングルユース。何より本社までの距離が電車で2駅。朝もゆっくりできる。


 減速を始めた電車の中のアナウンスで今度止まる駅の次の駅が目的地だということが知れた。今夜は時間が取れそうだし、持ってきたラップトップで果音探しをする時間が取れそうだな、と考えながら肩から下げたバッグの位置を調整する。

「ち、痴漢……」

 目の前に立っていた大人しそうな色白の女の子が消え入りそうな声で言った。


 なんだよ。このクソ混んだ電車でつまらないことやってんじゃねえよ、と思った瞬間に横合いから声がかかった。

「おっさん、どさくさに紛れて触ってんじゃねえよ」

「すいません。この人痴漢です」


 左隣にいた女子高生がバッグの肩ひもから外した俺の左腕をつかみ、右隣りの女子高生が俺のことを痴漢呼ばわりしていた。

「ちょ、ちょっと待てよ。俺は何もしてないぞ」

「うそ。私の……」


 色白の女の子が目に涙を浮かべて抗議をする。

「いや、バッグの肩ひもを触ったけど、決して君には触ってないよ」

 そう言って俺は慌てて否定をするが、周囲の空気が圧倒的に悪かった。あれだけ混雑していたはずの車内なのに、俺の周りから人が引き空間ができる。


 ちょうど駅に停車し俺がいた側のドアが開く。

「降りろよ。おっさん」

 義憤にかられた大学生だろうか、若い男が俺を車内から押し出した。転びそうになってたたらを踏みながらバランスを取り戻すと同時に若い男に腕を捕まれてしまう。


「いや、だから誤解だと言ってんだろ」

 俺は腕を振り払おうとするが男は手を離さない。そうこうするうちに電車のドアが閉まり発車した。まずい。俺は焦る。状況は圧倒的に俺に不利だった。神に誓ってもいいが俺は触っていない。ただ、俺はやってもいないことを証明しなければならないのだ。


 駅員と警備員がやってくる。どうやら3人組の一人が呼んできたらしい。

「どうしました?」

「この人、痴漢です。スカートをたくし上げてお尻を触られました」

「いや、俺はやってない」


「嘘です」

「いや、あんたが痴漢だと言った時に俺は両手を上げていただろ。どうやって触ったと言うんだ?」

 横合いから男が言う。

「いえ、この人が両手を上げていたというのは嘘です。俺は見ていました」


 俺は驚いて若い男性を見る。

「おい、いい加減なこと言ってんじゃねえぞ。俺は確かに両手で吊革につかまっていたじゃねえか」

「とりあえず、駅の事務所まで行きましょうか?」


 俺の周りを男性4人が取り囲む。万事窮すだ。事務所に行けば警察が来て俺は逮捕される。歪んだ正義感にかられた兄ちゃんがいるんじゃもう無罪を主張しても無理だろう。絶望にくれる俺の背後から声がかかった。

「ちょっといいでしょうか?」

 がっしりとした体格の男性だった。

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