第76話 上手くなる馬毛のブラシ
代金を払って店を出る。果音は新しい玩具を手に入れた子供のようだ。
「なんか、でもやっぱり違う気がするんだけどなあ。気のせいかな?」
納得がいかなそうな果音から俺はブラシを受け取って、ブツブツとつぶやく。
「ブラッシングが上手くなる馬毛のブラシ」
ブラシを果音の手に戻してやる。
「あ。肌触りが変わった。なるほどな。こんなことにもそのしょーもない魔法使ってやがったのか」
「しょーもなかろうが効果があるからいいだろ」
「まあね」
ん? 意外に素直な反応。明日は雪でも降るかもしらん。
「とりあえず、グラシャスだぜ」
「どういたしまして。で、どうする? 家に帰るか?」
「折角だから、色々見て回ろうぜ。まだ、この都市のこと良く知らないしな」
果音とブラブラと町を見て歩く。衣料品を扱う店や、小物を扱う店など、女性が興味を示しそうな店の前を通るが素通りした。あのレースのついたブラウスなんか果音に似合いそうなんだけどな、とぼんやり考えながら視線を送っていると、果音が俺の見ている物に気づいて目を輝かせる。
「なんだ山田はああいう服が好みなのか?」
「ああ、うん」
「そうかー。山田とはそれなりに長い付き合いだったが女装の趣味があるとは恐れ入ったぜ」
そう言って意味ありげな視線と笑みを送ってくる。
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、なんであんなに熱心に見てたのさ」
「山崎に似合いそうだなあ、って思っただけだよ」
「アタシにあんなヒラヒラのいっぱいついた服が似合うわけないだろ」
「そんなことないって」
果音はまた面白いことを思いついたという風情で言う。
「そうか。しかし、白昼、山田の頭の中で着せ替え人形されてると思うと鳥肌が立つな」
両腕を抱えて震えて見せるそぶりまでする。俺が返答に窮しているとケラケラ笑い始めた。
「しっかし、山田はいい反応するよな」
「そんなに俺を笑いものにして楽しいか?」
俺がぶすっとした声を出すと、果音は大まじめな顔になる。
「うん。楽しいな。実に楽しい」
全く迷いのない回答に俺は脱力する。
「だってさ。山田。アタシと会ってすぐのこと覚えてるかい。びくびくしてすぐに拗ねて、とてもこんな口をきける風じゃなかったからね。今の方がずっといいよ。お、あんなものがあるんだ」
俺をおいて近くの店の軒先に入り、果音は置いてある商品をつまみ上げた。手の中でガラガラという音をたてる。土でできた鈴を束ねたもののようだ。
「おじさん、これは何?」
「魔除けでございます。戸口とかにぶら下げておきますと邪悪なものを払いますんで」
目を細めて鈴を眺めたり、軽く振ったりしている果音を見て、さすがの俺でも次にどう行動すべきか分かった。
「おじさん。これもらうよ」
「なんか悪いなあ。山田に色々買わせてばっかりで」
果音は土鈴を手にしながらご機嫌で言う。素焼きの鈴を束ねて、5色で曲線をそれぞれ書き込んだだけのシンプルなものだ。とても魔除けの効果があるとは思えない。本人が満足しているならそれでいいんですけどね。
「アタシの母親の実家の近くに、これとよく似たものを売ってるんだ」
「それどこなんだ?」
「九州の山の中さ。数回しか行ったことないんだけどね」
なるほど。果音の強さの秘密の一端を知った気がする。修羅の国のご出身であらせられましたか。
「こういう物を見て懐かしく感じるってのは、気付いてないけど郷愁にかられてるのかねえ?」
ガラガラという音を耳元で鳴らしながら果音が聞いた。
「山崎はどこでも順応できそうだけどな」
「そうそう。それさ。アタシってこんな感じだろ。だから、時々分からなくなるんだ。アタシのホームってどこなんだろうってね」
「常にエトランゼって感じなのか?」
「洒落た言葉を使うなあ。顔に似合わず。で、山田のホームってどこかある?」
うーん。ホームねえ。そう言われるとピンとこねえなあ。6畳一間のあのアパートは家ではあるし、多少の懐かしさはあるけどな。あの乱雑な部屋のベッドで目覚めねえかと期待したこともあったけど、あそこが自分の帰る所かと言えば違う気がする。
「どうだろ。今まで気にしたこともないや。まあ、一番近いのは今まで住んでたボロアパートだけど、単に仕事と仕事の合間に寝に帰るだけの場所だったし」
「ふうん。そっか」
果音がガランと土鈴を大きく鳴らす。まるで今のしんみりとした空気を振り払うように。
「話は変わるけど、山田って、この鈴みたいだな」
「なんだよ藪から棒に」
「この鈴、口が大きく開いてるだろ。アタシの母親の田舎じゃさ、山田みたいな口達者の奴の事を土鈴に例えていうのさ」
「そうなんだ」
「まあ、どっちかというと誉め言葉じゃないんだけどね」
はあ、そうですか。ディスられるのには慣れてますんで平気です。まあ、果音には憂い顔は似合わないんで、俺をおちょくってメンタル回復するなら好きなだけ言ってもらって結構だぜ。
「なんだよ。誉め言葉と思ってちょっと期待しちゃったじゃねーか」
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