第71話 メイド in 冥土

「ご主人様ぁ」

「帰りなさいませぇ」


 やたら舌ったらずな甘い声で目覚めた。魔力の使い過ぎで昏倒した割には快適な目覚めだった。俺は横たわっていた地面からムクリと体を起こす。鼻の下に触るがねばつく感触は無い。もう片方の手で頭に触ったが中から弾けたような穴は開いてなかった。


 妙にフワフワとした感覚で周囲を見回す。周囲は見渡す限りの荒野で、一方だけ霧がかかっており、そこにはチカチカと派手な電飾を付けたものがぼんやりと浮かび上がっていた。揃いの服装をした人影が見える。果音、シュトレーセ、ティルミットかもしれないとそちらの方角に歩き出す。


 足元が覚束ない。まるでべろんべろんに酔った時のような感じで歩を進める。近づいて見るとそこに居た見知った顔は一人だけだった。カードラが脂下がった顔で両手に女の子を抱いていた。どちらも可愛らしい顔立ちで、どちらかというと幼い表情とそれに似つかわしくない大きなものが揃いの服装をはちきれそうにしている。


 ウエストがきゅっとくびれた黒いワンピースに白いエプロン。首元の赤いリボンがワンポイントになっている。女の子たちはカードラの両腕に捕まり腕を自らの体に擦り付けるように抱きついていた。カードラは女の子の首筋に埋めていた顔をあげ俺がいることに気づくと表情を変えた。


 片手を俺の方に突き出す。その動きで女の子の一部がふるんと揺れた。

「灼熱の炎よ。焼き尽くせ」

 カードラが唱える。俺は次に起きる惨事に身を強張らせたが何も起きなかった。


「ご主人さまぁ。そんな無粋なことをしても無駄ですよぉ」

「ここでは魔法は使えないんですぅ」

 女の子たちが甘えた声でカードラにしなだれかかる。

「そ、そうなのか?」


「そんなことよりもぉ、上でい・い・こ・としましょ」

 女の子はカードラの耳にふぅっと息を吹きかける。

「ずるーい。私もぉ」

 見事に鼻の下を伸ばしたおじさんは両腕をそれぞれの女の子の脇の下に回す。


「命拾いをしたな」

 捨て台詞を残して、カードラはゲテゲテに飾り付けられたタラップを登っていく。そこにあるのは観光地で見るような海賊船を模した遊覧船のようなものだった。

「あーん、ご主人さま、せっかちなんだからぁ」


 なんか、ひどいものを見せられたせいで急に頭がすっきりしてきた。まあ、つまりはここは三途の川の岸ということらしい。で、あの派手な船はその渡し船ということか。はっと気づくと人影が近づいてくるところだった。さっきの女の子と似たり寄ったりの女の子が二人俺に向かって近づいて来る。


「ご主人様ぁ」

「帰りなさいませぇ」

 そう言いながら腕を取ろうとするので、俺は後ずさった。

「よせ。こっちに来るな」


「ええぇ。ひどーい。せっかくお迎えにきたのにぃ」

「ご主人様。一緒にいきましょうよ」

 女の子たちは蠱惑的な笑みを浮かべて近寄って来る。

「いや、遠慮しておくよ」


「もう、いじわるなご主人様」

「焦らさないでぇ。私もう我慢できなぁい」

 自らの胸を両手で抱えあげて揉みしだく。半口を開け呆けたような表情で悩まし気に秋波を送ってきた。


「ご主人さまぁ、早くぅ」

「もう、こんなになってるのぉ」

 頬を染めて淫らな視線を送ってくる娘たち。息遣いも荒くなって、口から吐息が漏れる。


 30歳魔術師の俺には刺激が強すぎた。指が沈み込むようにして形を変える柔らかな動きに視線が釘付けになってしまい後ずさる足が止まる。女の子たちの目がキラリと光った。獲物を見る目つきだったが俺の体はマヒしてしまったかのように脳の指令を受け付けない。


 あの柔らかなものに顔を埋めたい。それから自分の手や指で感触を確かめたい。それから、それから……。脳内がピンク色の妄想で一杯になっていく。

「ああん。うれしぃ。やっと私たちを愛でる気になられたのですね」

「さあ、早く一緒に楽しい事しましょ」


 女の子たちの手が俺に伸びてくる。極わずかに残った理性が逃げろと警告を発していたがそれは煩悩の海に飲み込まれた。その瞬間、俺の右ほおを衝撃が襲う。ばちんっ。思わず首がねじ曲がりそうになるほどの衝撃だった。続いて左ほおに激痛が走る。いってー。


 その痛みで俺は正気に返った。俺はくるりと回れ右をすると走り出す。

「待ちなさぁい」

「そっちじゃないわぁ」

 もう俺は振り返ることもせずにひたすら荒野を走った。


 走る俺の胸をぐっぐっぐと何かが強く圧迫する。しばらくやんでまた圧迫。肋骨がミシリと音をたてる。それでも俺は走るのを止めなかった。俺の後ろから何かが追いかけてきていることを感じていたからだ。本能が振り返ってはいけないと告げていた。


 さっきの光景はいい思い出にとっておけ。一人きりになれたら好きなだけ反芻できる。あれは幻影だ。ここで振り返ったら絶対に萎える。萎えるだけならいいが死ぬ。前方にまばゆい光が見えた。目が焼かれるほどの光と熱に向かって走り続けその中に飛び込んだ。

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