第28話 完治はしない? 勘違い

 俺は唇を離す。紫色の汁が糸を引いた。果音の頭を少し持ち上げてやると、のどが上下に動くのが見えた。次の瞬間、果音は激しく咳き込み、紫色の液体の残りを吹き出す。俺はその飛沫をもろに浴びてしまった。俺はシュトレーセを振り返る。

「少ししか飲んでいないけど」

「たぶんだいじょうぶだ」


 それから俺は祈るような気持ちで果音の顔色を伺った。少しずつ顔色が良くなっているような気がする。首筋に指を当てると規則正しく脈を打っているのを感じた。俺は胸をなでおろす。袋からきれいな布を取り出し、水で濡らして果音の顔や首筋に残る汚れを拭いてやった。


 シュトレーセが果音の顔を覗き込む。

「もうしんぱいはいらない」

「ありがとう。シュトレーセのお陰だ」

 俺は果音を支えたままでできうる最大のところまで深々と頭を下げる。


「おまえはほんとうにかわっているな」

「そうかな?」

 そんなに変人じゃないと思うけどな。俺は平凡なサラリーマンだぜ。

「わがはいをおいまわすやつはたくさんいても、あたまをさげるやつははじめてだ」

 

「だって、それだけの事はしてくれたじゃないか」

「まあ。わがはいも、やまざきとまた、たたかいたいしな」

 え? まだやるの?

「やまだ。そのときはじゃまはしないでくれ」


「ああ。元気になったら好きなだけ戦ってくれ。たぶん、山崎も心残りだろうからな」

「アタシがどうしたって?」

「山崎! 意識が戻ったのか?」


「意識が戻った? ああ。アタシ気を失ってたんだ」

 良かった。本当に良かった。

「なんか口の中でひどい味がする」

 顔をしかめていたと思ったら、果音はフフッと笑った。


「山田。その顔はどうしたんだ? 紫色のペンキをぶちまけられたみたいじゃないか?」

「ああ。色々な。それより水飲むか? 口の中気持ち悪いんだろ? もうあまりないけど」

 俺は果音に水筒を渡す。一口含んで吐き出すと、果音はもう一口含んで今度は飲みこんだ。


「これでしばらくはいいだろう。ただ、このどくをかんぜんにけせたわけじゃない」

「そうか。完治したわけじゃないんだな。どうすればいいんだ?」

「この猫、さっきから何を鳴いて……。山田、この猫とも話せるの?」

 果音が驚いた声を出し、俺は頷く。


「しんかんがなおせるそうだ」

「しんかん? ああ、神官か。どこに行けば会える?」

 シュトレーセは首を振った。

「わがはいがしるわけないだろう? まちできくんだな」


 俺は果音に事情を説明する。だいぶ顔色も良くなった果音はシュトレーセにこの世界の言葉でお礼を言う。

「ありがとう」

「どういたしまして」


「!! 言葉が分かるのか?」

「とうぜんだろう」

 シュトレーセはニンマリと笑う。ああ、確かに兵士の言葉にツッコミを入れてたっけ。

「きくのはできる。ただ、わがはいのくちは、ひとのことばをはなすのにむいていないからな」


 俺は果音を支えて立たせてやる。もう、歩くことは問題なくできるようだ。

「シュトレーセ。色々とありがとう。俺にできることがあったら……」

「もちろんあるぞ」

 え? 一齧りさせろとかいうんじゃないよね? 甘噛みぐらいで……。


「わがはいもしんかんのところにつれていってほしい」

「シュトレーセもあの毒を?」

 シュトレーセは左の後脚を見せる。小さな傷ができていた。

「そういうことだ」


 なるほど。だから解毒の方法も知っていたわけか。このサーベルキャットは知能もかなり高いようだ。言葉も理解できるぐらいだから当然か。それとも、自尊心と羞恥心をこじらせた挙句に猫に姿を変えた人なのかも。

「ちょっと待ってくれ。相方に聞いてみる」

 聞いてみた。聞くまでも無かった。

「いいに決まってるでしょ」


 ちょっと動きにキレがないような気もするが、いつもの果音がそこにいた。足を曲げ伸ばししながら、首をかしげる。

「やっぱり、万全じゃないなあ。これじゃあ、再戦はお預けするしかないね。さっさと治療してもらって、仕切り直しだ」

 はあ、もうやだ。この戦闘種族。ここはにっこり笑って握手して仲間になるところじゃないのか? 今日の敵は明日の友。拳を交わしてズっ友になろうぜ。


 こうして、神官を探して出発した俺達に暫定メンバーが加わった。10分ほど歩いて、先ほど果音に与えた解毒の草の生える池のところを通りかかる。念のため、もう少し食べて置くといいというシュトレーセの勧めで果音は草を口に入れた。

「良薬は口に苦しって言うけどさ。これマジできっついね」


 少し飲み込んで、口の中の草を吐き出した果音を横目に、俺は池の水で顔を洗う。ふう、さっぱりした。

「なあ、山田。その顔の汚れってやっぱり……アタシが……」

「なんだよ、今更気にすんなよ」

「なんとなく、そうじゃないかなとは思ってたんだけどさ。悪かったね」


「いやいや。気にしてないって」

「でさ。アタシは意識を失ってる時、この草の汁をどうやって口に含んだんだろうね?」

 ギク。俺は笑ってごまかそうとする。


 ごまかせるはずは無かった……。

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