第9話つり橋(9)
暴れ狐と濡れ柳での飲み会から数日が経った。
翌日はひどい二日酔いで、頭を金槌でガンガンと殴られているような頭痛に悩まされたものの、2,3日で無事に回復することができた。
いや、貴重な経験だったよ。
教訓も得た。カクテルは駄目だ、俺達には早い。
やはり金色の飲み物が一番だな。
ということで完全復活した俺は、軽い足取りで部室棟Aへと向かっていた。部室棟Aには400を超える様々な同好会の部室が存在している。7階建ての非常に巨大な建物だ。
と言っても、部屋は小さめで6畳ほどしかない。同好会は10人以下の学生の集まりだからな。これくらいで良しという大学の判断なのだろう。
「リンボー!」
「皆さん。今からこの輪が私の周りを・・」
部室棟Aの周りでは、様々な同好会が活動している。
玄関へと向かう俺の横では、女子達がリンボーダンスをしていたり、男どもが大きな輪っかでジャグリングをしていたりする。
リンボーダンス同好会とジャグリング同好会だな。まぁ少しマニア向けの集まりだ。ジャグリング同好会とか、ひたすらジャグリングしてるだけだし。会員数も7人程度だ。これが大道芸になると、30人ほどのサークルがあるし、マジックだと190人を超える部員がいるマジック部なる集まりがあるらしい。
そんな若者たちを尻目に、俺は純文学同好会の部室へと向かった。部室棟Aはアパートのような作りになっていて、普通にインターホンと扉が付いている。
純文学同好会と書かれている扉の前まで移動し、ドアノブを回した。
が、開かない。
どうやら、俺が一番乗りのようだ。
鍵を差し込んで、ドアを解錠した。
「失礼しまーす」
自分たちの部室なのでこんな事言う必要ないのだが、まだ慣れていないためか自然と口から漏れてしまった。
部屋は6畳の和室になっていて、畳の上には物が殆ど無い。
俺が持ち寄った小説が10個ほど置いてあるだけだ。
いずれは机とか持ち込んで、コーヒーくらい飲める場所にしたいところだ。
そんな事を考えながら、畳の上にあぐらをかいて座った。
「お、開いてる・・・おつかれ!」
すると、5分も絶たないうちに真がやってきた。
時刻は13時50分。待ち合わせ時間の10分前だ。
そう、今日は第一回目の純文学の研究活動をするために、真を招集していたのだ。
そろそろ俺が貸した名作達を読んだはずだからな。
ついに、俺は同志と感想を言い合ったり、作者の意図を議論したり出来るんだ。
高校時代に夢見た願望の一つが、叶う瞬間だ。
「おう、おつかれ!早速だが、真に貸した名作達の感想会やるぞ!まず初めは夏目漱石の【こころ】からだ!どうだった!?」
テンションが上ってしまった俺は、真に対して矢継ぎ早に質問を繰り出してしまった。
「圧が凄ぇな!ちょっと待ってくれ。めちゃくちゃ喉乾いてるから、先にお茶飲むわ」
真は少し引き気味の顔でそう言うと、カバンからペットボトルのお茶お取り出してゴクゴクと飲み始めた。
ええい、じれったいな。
早く感想会!
感想会早よ!
「ふー、生き返った。じゃ、早速やるか。えーっと夏目漱石の【こころ】についてだったか?」
「そうだ!あれは不朽の名作だが、読む人によって意見が分かれるからな。感想会のトップバッターにはふさわしいだろう」
俺が純文学にハマったきっかけでもあるしな。
「なるほどね。あの作品は・・なんというか、恋愛という感情の恐ろしさと、善人がふとした瞬間に悪人になる儚さが伝わってきて、文字通り心に残る名作だったな」
「そうだろう!?そうなんだよ!あの、悪人にはなるまいと思っていた主人公がふとした拍子で友人から見て悪いやつになってしまった。あそこの儚さ、無情さは読んでいて心が痺れるよな」
流石は真だ。
読むべきポイントを分かっている。
「だが俺は、結果として友人を裏切ってしまう程に恋に夢中になった主人公に、どこか羨ましさを感じてしまったけどな」
そう言って、ぼーっとペットボトルのお茶を見つめる真。
なるほど。俺とは異なる視点だな。
俺は友人に思いを伝えられず、結果として裏切ってしまう主人公を心の弱い人間だと感じてしまったが、それを羨ましいと思うとは。
面白い意見だ。
やはり感想会は面白いな。
自分だけでは気が付かなかった、小説の一面を見せてくれる。純文学の楽しさが何倍にも広がる。
「そうだ。実はその事に関連して、話がある。あの主人公の二の舞にならないためにも、純一に言っておきたい事がある」
と、真は手に持っていたお茶から視線を外して、真剣な表情で俺の目を見てきた。
なんだろう?
話の流れから言って、恋愛系のことか?
「実は数日前、俺は数年ぶりに恋に落ちてしまったんだ」
そう言うと、真は窓の外を見つめて軽いため息を吐いた。
やはり恋愛系の話だったようだ。
正直、それよりも感想会を続けたいという思いが強いが、真がこうやって思いを打ち明けてくれたんだ。俺もそれに応えないとな。
「そうだったのか・・ちなみに、どうやって好きになったんだ?」
たしか、真は自分に対してつり橋効果実験をやりすぎたせいで、心が鈍くなって恋ができなくなったと言っていたはずだが。
「ああ。それが自分でも驚きなんだが・・一目惚れだ。それも、橋を渡っていた時に、通りすがっただけの女だ。窓の外に見える、あのつり橋を渡っている最中に突然橋が揺れ始めてしまってな。まさか自分が揺らされる側になるとは思っていなかったからか、かなり動揺してな。思わずその場に伏せたんだが、その時に俺の前に座り込んでいた女の美しさに、惚れちまったんだ」
なるほど。
・・・っていや、それ完全につり橋効果にやられちゃってるだけじゃねえか。
気づけよ、あれだけ研究したんだから。
「あー、言いにくいが、多分それ只のつり橋効果じゃねぇか?橋を揺らすパターンは、かなりカップル成立率高かったじゃん」
人の恋に文句をつけるようで少し言いにくかったが、俺は真実を指摘してあげることにした。
「そんな事は分かってるさ。つり橋効果に関しちゃ、誰よりも詳しいんだからな・・・だが、俺は心が鈍くなってつり橋効果なんて効かなくなったはずなんだ。そんな俺が、何故か数年ぶりにつり橋効果にやられちまった。これはもう、俺の心を揺さぶれる唯一の女にであってしまった、本当の恋なんじゃないかと思うんだ」
真は少し脱力した様子で、窓の外を見つめながら赤裸々な気持ちを語ってくれた。
たしかにそう聞くと、その女が真の恋心を復活させた運命の人だと思ってしまうかもしれない。
だが、俺には一つの懸念事項がある。
俺が真に貸した小説についてだ。
真が初めて純文学作品を読むということで、俺は初心者が共感しやすい恋の話メインの名作を貸している。さっきの夏目漱石のこころもそうだ。
そして、そんな名作達は人の心を容易く揺さぶる。
その効果は絶大で、俺も初めて恋愛系作品を読んだ次の日は、うっかり電車で隣になった女に惚れそうになったほどだ。
そう、つまり。
真が数年ぶりに恋に落ちてしまったのは、橋で会った女が運命の相手だからではなく、恋愛系純文学の名作を読んでしまったせいだと思うんだ。
「いや、でも「分かってる!自分でも、この気持が本当なのかと疑う心は確かにある」
俺が再び真の心をなだめようとすると、真は強い口調で俺の言葉をかき消してきた。
「数年ぶりに芽生えたこの気持ち、今はこれを追いかけてみたいんだ。それに、もしこれがつり橋効果で生まれた偽の恋心だとしても、それでいいさ。つり橋効果を研究し続けた俺が、つり橋効果に踊らされる。そんな結末も、悪くないってね」
真はそう言うと、こちらを見てシニカルに笑った。
なるほど、そういう考えか。
悪くないな。
この真の純文学のほとばしりは、もはや誰にも止められないだろう。
俺に出来ることは、この恋の行く末を見守ることだけだ。
あぁ、楽しくなってきた。
これぞまさに純文学だ。
「真がそう言うなら、俺はもう止めないさ・・・で、その女には何かアプローチを考えているのか?」
「ああ。俺と通学時間が一緒みたいで、毎朝つり橋ですれ違っているからな。明日の朝、そこで思いを伝えてみようと思う」
「なるほど。シンプルだが、いい案だな」
小細工なしの一発勝負。
子供っぽいと言う人もいるかも知れないが、これが青春。
純文学だ。
「それじゃ、どんな言葉で思いを伝えるのが良いか、一緒に考えようじゃないか」
「純一・・ああ、そうだな。ありがとう!俺はお前のような友がいて幸せだ!」
真はそう言うと、俺に手を差し出してきた。
俺はその手を固く握って、ここに不滅の友情を誓い合った。
そして、それから何時間もかけて、真が告げるセリフを一緒に考えた。
どう言えば真の気持ちを上手く表現できるか、どうすれば相手の女の子にOKがもらえるか。二人で知恵を絞り、飲まず食わずでひたすら考えた。
ふと気がつくと、窓の外が暗くなっていた。
夜空には満月が浮かんでいて、不意に真と共に警備員から逃げた光景を思い出して笑ってしまった。
辺りは静かで、真がカリカリとペンを滑らせる音だけが響く。
時折、部活棟の周りで酒盛りをしている学生たちの笑い声が聞こえてくる。
だが、俺達はひたすらに愛のセリフを考え続ける。
周りが明るいキャンパスライフを送っている中で、俺達はひたすらに真面目だ。暗いやつらだと思われるかもしれない。
でも、こんな大学生活も悪くない。そう思った。
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