第34話


 ターラが部屋を出る。

 ロゼは庵から持って来ていた荷物を置いて、ターラについて歩いた。廊下を歩くターラが、テキパキと部屋を説明していく。


「こっちはリネン室で、あそこの角を曲がると浴室がある。お嬢様の部屋の準備は昨日のうちに済ませてるから、ロゼにはキッチンを手伝って貰うよ。牛の胃袋トマト煮込みトリッパは作れるかい?」


 振り返ったターラに、ロゼは大きく首を横に振った。

 そんな大層なものを作れるのなら、長年レタスを主食にしているはずも無い。


「なら、魚のスープ蒸しアクアパッツァは?」


 ぶんぶんぶん、と再び首を振る。


卵と野菜のパイキッシュくらいなら……」


 言いながら、ターラももう気づいているようだった。

 ロゼはしっかりと、首を横に振る。


「鶏ならしめれます」


「小屋のはまだつぶさないよ。今晩のメインの雉は、もうハーブの風呂に浸かってるからね。仕方が無い。玄関でも磨いてきな」

 丁度ターラがそう言うのと同時に、二人はホールに辿り着いたようだった。


「……え、ここが玄関なんですか?」

 ロゼが指さしたのは、美しい彫刻が施されたドアだった。

 そばに階段があるので、吹き抜けの天井から差し込む光が玄関ホールを柔らかく照らしている。花瓶には華やかな花が生けられており、そばには椅子や燭台が並べられていた。


「そうだよ……まさかロゼ、さっき入ってきた場所が玄関だと思ってたんじゃ無いだろうね? あれは使用人用の通用口だよ」


 玄関だと思っていました。

 とは言わずに、ロゼは掃除をするために本物の玄関扉を開ける。


 重い扉を力一杯押すと、そこには美しいエントランスが広がっていた。

 先ほどロゼが通ってきた場所が通用口だと、今ならわかる。それほどに見事だった。


 しかしロゼはそんなことをおくびにも出さずに、涼しい顔でエントランスを見渡した。

 茂みは寸分の狂いも無く、丸みを帯びた形で剪定されている。色とりどりの花々は庭師によって、きっと常に見頃を迎えるように手入れされているのだろう。


「さ、これでしっかりと磨きな」

 どこからかバケツと藁を束ねてタワシにした物を取り出したターラが、ずいっとロゼに押しつけた。

 掃除道具を受け取ったロゼは、教えて貰った水くみ場で水を汲み、ゴシゴシとタワシで玄関を磨く。


 ロゼが玄関にしゃがみこんで掃除をしている間に、残りの使用人達とも顔を合わせた。

 下僕のうちの一人は、一度会ったことがあった。

 ハリージュが惚れ薬を誤飲した時に、担いできた使用人だ。


 当時ロゼはフードを被っていたため、魔女の顔を知らないのだろう。

 汗だくになって必死に玄関を磨いているメイドもどきが、あの時の魔女だとは気付いていないようだった。

 下僕の二人は明るく挨拶し、『今度バルにでも行かないか』と気安くロゼを誘った。


 立ち話を終えると、ロゼはまた玄関を磨くことに精を出した。

 しかし、調理の合間に覗きにきたターラに、両手でバッテンを作られる。


「駄目だね。てんでなっちゃいない。こうするんだよ、見ておきな」


 ロゼからタワシを奪ったターラは、大きな体を小さく丸めて床を磨きはじめた。

 ――ガシャ ワシャワシャ ワシャ

 その大きな音で、彼女がどれ程力を込めて磨いているのかわかる。


「こうだよ。出来るね? じゃあ後は――あいたたた……」

 手本を見せたターラは立ち上がると、腰を押さえて呻いた。


「どうしました?」

「最近、腰が痛くてね。寄る年波には勝てないもんさ」

 急に立ち上がったのがよくなかったようだ。腰を押さえたまま動けないターラからタワシを受け取ると、手を貸してそばにあった階段に座らせる。


「ああ、真ん中に座るわけにはいかないよ」

「何故ですか?」

「何言ってるんだい。使用人が、階段の真ん中を使えるわけがないだろ」


 どうしてそんなことも知らないのか、と驚愕の声がする。

 どうやら推薦状を書いてもらえるメイドなら、知っていて当然の知識だったようだ。

 ロゼは悪びれもせず、しれっと言った。


「今は誰も見ていませんから。それに、謝る時は私が謝ります」

「……ありがとう。少し座ったら楽になるから、ロゼはもうお行き」

 心配されて恥ずかしいのか、ターラはしっしっと手を振り、ロゼを追い払った。


 随分と腰が痛そうだ。湿布を庵から持ってこようか考えはじめたロゼの耳に、騒々しい声が届く。


「――庵にいなかった!?」


「先にこちらに向かうという貼り紙はあったのですが、まだご到着されておらず……今から、警備隊の詰め所に相談に行こうかと」


 どうやら声の主は、ハリージュとサフィーナのようだった。

 掃除のために玄関扉を開けっぱなしにしていたので、外の声までしっかりと聞こえる。


 ハリージュの声色から、とても動揺していることがひしひしと伝わってくる。

 ターラの肩を抱いていたロゼは、スッと立ち上がった。


「……忘れてた」

 慌てて、ロゼは足早にホールを突き抜けた。


 玄関から、ひょこりとロゼが顔を出す。


「張り紙には、なんと書いてあったんだ」


 怒っているような声でサフィーナと話しながら、エントランスを歩いていたハリージュが、丁度こちらを見た。


 音が鳴りそうなくらいガッツリと、ハリージュと目が合う。


 彼はピタリと足を止める。

 ハリージュは、遠目で見てもわかるほど愕然としていた。


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