第103話「みんながどんなに騒いでも もうもとへは戻らない」

 フリーデンスリートベルクはこの国最大の半島の西側に位置する。領地の南側には大規模な山地を有し、その様子はまさに深山幽谷しんざんゆうこくであった。


 また西から南への海岸線は天然の良港となっている灘と水道があり、それらが作る天然の要害を治めているのは、始世大帝の第十子。


 南天の虎、有翼虎ゆうよくことも異名を取る程であり、始世大帝は晩年まで手元に置いて薫陶くんとうを授けたとまでいわれている。その初陣は遺恨となる宰相家の殲滅戦であったとされ、戦陣を所望したという逸話すらある、文字通り武人だ。


「すごい人なんだね」


 初陣が14歳であったという話に、ザキが思わず手を叩いた。


「当然、止められたんスよ。若いから、何度でも機会があるって」


 大帝家の覇権がかかる大一番であるから、これ以降、大きな戦闘は有り得ないのだが、ファンが伝え聞いた公爵の反発は、そんな事ではなかった。


「何で、公爵様は戦争に行きたかったの?」


 ザキの問いに対し、ファンは剣を持ったかのように右手を掲げ、



「炎の中から姪を救い出す機会など、これ一度で十分だ!」



 二代目宰相を滅ぼす事と同じくらいに重要だったのが、三世大帝の姉テンジュの救出である。


「その言葉こそ、勲一等である! と始世大帝は絶賛し、それでも孫と息子を同時に失う事は耐えられないと下がらせたんだよ」


 言葉を引き継いでくれたヴィーに、ファンは「そうそう」と頷き、しかし面白い逸話を紹介しただけでは済ませない。


「この逸話が伝えられている理由は、どういう心構えが必要かという事なんスよ」


 公爵は「孫と子を同時に失う訳にはいかない」といわれても、「自分は負けるつもりはない」と言い張って先陣を切る選択肢もあったはずだ。しかし現実には、始世大帝の言葉で引き下がった。


「一か八かは有り得ないという事ッスね。これは決戦に臨む騎士だから必要という事ではないッスよ」


 トンとファンは自分の胸を指差した。


御流儀ごりゅうぎでも、斬るか斬られるかなんて考えは、最後の最後まで取ってはならない行動ッス」


 インフゥが学生ならばいう気はないが、正式に拝師した弟子ならば教えておかなければならない。


 いつもの調子で話そうとしてしまったファンも居住まいを正し、弟子に対する師の態度に変わる。


「失敗するかも知れないが、成功すれば戻りが大きいという行動は、油断を呼ぶ。そんな行動を出す時の心理は、相手は自分の隙を突けないはずだ、と思っているからだ」



 その態度は、相手を舐めている事になる――ファンがいっている事は、これだ。



 戦場では何が起きるか分からないし、場合によっては腕が折れていようと足を失っていようとも戦わなければならない時があるが、手負いで戦うという事は、「万全でなくとも勝てる」という油断をはらんでいる、という考えを持っていなければならない。


 しかし、そういわれると、ユージンは笑ってしまう。


「確かにな」


 ユージンはコボルトの軍団と戦った時のファンを思い出たからだ。その一件に限らず、ファンは斬り込む事よりも逃げる事を重視している。精剣のスキルを中心に組み立ててくるのが常識となった戦場で、まさか剣技を頼みに戦う者がいるとは思っていなかったコボルトであるから、スローイングナイフと非時ときじくを頼みに、不意打ちによる中央突破という手段も、なくはない。


 疲労が蓄積すれば一か八かという選択肢に縋りたくなるが、それを押さえつける強靱な意志こそが、ファンの強みでもある。


 始世大公が息子である公爵へ伝えたかった事は、誰もが功を焦る初陣で、テンジュの救出という別の目的に目を向けた事はいいが、初陣故に失敗が許されない作戦には参加させられない、という事だ。


 そんな武人であり、将帥の器を持つ公爵が治める地を踏むのだから、大公からの書簡を思うパトリシアは眉間にしわを刻んでいる。


「そんなフリーデンスリートベルク公爵の領地で、随分な事をしているな」


 ルベンスホルンは郡部の小領地に過ぎず、そういう意味では公爵の目が届かない場所でもある。


 だがファンが一度、領主を斬り、子爵家を通して代官の派遣を要請している過去があるのだから、公爵とて知っているはずだ。


 しかもファンが訪れたのは春だった。もう年が明けているのだから、過ぎた時間は8ヶ月。ファンも、心配そうな表情は浮かべてしまう。


「さて……何があったんスかねェ」


 想像しかできない事には言及しないにしても。


「とりあえず、馴染みのある村へ行ってみるッスよ」


 行き先は、全てが始まった場所だ。



 様変わりしていたのだが。



「おいおい」


 ユージンがしかめっつらを見せるのだから、コボルトに襲われていたユージンの村どころの状況ではない。


 惨状である。


 春にファンが訪れた時には寂れてはいたが、荒れている様子はなかった。


 だが今は、人の気配のしない家、また火を掛けられた事が容易に分かる家まである。それは常に控え目でいる事を是とするエリザベスにも言葉を出してしまうほど。


「どういう場所だったのですか?」


 差し出がましいと思うエリザベスの見立てです、ら一度の戦闘で起きた事ではない惨状なのだから、我慢できずファンへ訊ねてしまった。


「……フミって領主が、領地から経産婦けいさんぷを徴発していたんスよ。精剣を宿らせるっていうんで」


 結果、村からは女たちが消え、村に残されたのは男と子供と老人たちという、文字通り生かさず殺さず、という状況だったが、この惨状は、過去の状況と相反する。


 そして覚えているといえば、エルからもう一つ。


「領主は精剣のシステムを解き明かしたといってました」


 あの日、あの遺跡でフミは高らかに宣言していた。



 ――精剣には、テーブルがある。



 あの自信と嗜虐的な光に満ちた目は、それ以前も以後も見た事がない。


 ――テーブルがあり、天井がある。特別な時間帯に、大量のコインを消費し、その後にメダルを使えば、必ず最上級の精剣が現れる。


 その大量コインを消費する事を目的に、女たちを徴発した。


 しかし、これはバカバカしいとユージンはいう。


「眉唾だろ」


 ユージンが苦笑いするとおり、本来は怪しいものだ。どの格が宿るかはランダムで、思った通りの格を宿すのは不可能だ、というのが常識である。フミが行おうとした事は、何かの保障がある話ではない、と思ったのはユージンだけではない。


「でも、この村の状況は……」


 ファンは「ああ……」と溜息交じりに天を仰いだ。


「フミを斬った後、精剣を宿してる女の人たちも解放したんスよ……」


 精剣を宿した女がいて、精剣を抜ける可能性のある夫や家族のいる場所であるから、狙う者は掃いて捨てる程、いて当然かも知れない。


 精剣スキルは運用体系が整っているとは言い難い。


 その上、大火力を容易に手に入れられるため、殲滅戦が容易に行えてしまう。パトリシアが、そこに辿り着く。


「いつもの精剣を使っての攻防戦か……」


 では、村は壊滅させられたのか――?



 いや、違った。



「ファン!」


 その声は少年のもの。


 振り返るファンの目に飛び込んできたのは、母を奪われたといっていた食堂の給仕をやっていた少年だ。


「本当に、また来てくれたんだ!」


「いった通りッスよ。また来るって」


 ファンは笑顔を作ってって手を振ったが、少年の目はファンへと向けられているはずなのに、ファンの姿を映しておらず、


「ファン、ファン! またラッパを吹いてよ! エルも歌ってよ! ねェ!」


 それは言葉を吐き出し続けていなければ、泣き出してしまいそうだったからだ。

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