第76話「小鳥が空に飛び立つと さっそうとした鷲のよう」

 引けば斬られていた。これは間違いない。


 人間の身体は前進する方が後退するより速いのだから、パトリシアが後退していれば間合いを完全に失う。


 刃を届かせられる、また先手を打てる距離を失う事は、勝機を失う事に等しい。


 ――切っ先が届くまでは、自分の距離だ!


 正式な剣技を修めておらずとも、パトリシアは本能的にそれを悟っていた。


 ファンが見れば天稟てんぴんともいう程の力である。



 それ故に反応できたが、惜しむらくは反応だけだった事か。



「うおおおッ!」


 雄叫びを上げてメーヘレンが精剣を振りかぶる。対峙しているのがファンやヴィーであったら、この時、急所に刃を突き立てたはずの隙だが、パトリシアにそこまでの攻撃は無理だった。


 一度、上げた切っ先は振り下ろすしかない。そうでないならば一拍、行動が遅れる事になり、遅れは相手に勝る事、数十倍の加速をもってしても覆せない隙となる。


 パトリシアも一瞬、ワールド・シェイカーを振りかぶろうとしてしまった。


 それをしなかったのは才能と、またインフゥとファンの修練を見ていたからだ。


 ――触れれば切れる、突けば刺さる!


 振りかぶるのは、勢いを付けなければならないという強迫観念から来るものであり、構えとは力を溜めた状態にする事、とファンがいっていたのをパトリシアは記憶していた。


 それでいえば、パトリシアはワールド・シェイカーを支えていただけに過ぎないのだが、心に置いておくか置かないかで、こういうものは大きく変わる。



 パトリシアの構えが5割で不十分だとしても、メーヘレンは1割に満たない不十分さだ。



 辛うじて支えているといえる程度の腕も、そのまま振り上げたのでは支えているとすらいえない。


 手の内の工夫なしには切っ先に力など入らず、パトリシアへ届いた時、十分な威力は失われている。


 ただし――、


「!?」


 パトリシアが慌ててワールド・シェイカーを引いた。


 ――欠ける!


 無茶苦茶な振りであるからメーヘレンの精剣は軌道を変え、パトリシアのワールド・シェイカーを捉える軌道を描いたのだった。


 当然、角度など考えていない。


 考えていないが、偶然、メーヘレンの精剣がワールド・シェイカーの側面を垂直に捉える角度になっていた。


 力が足りていなかったが故に、パトリシアはそのまま振り抜くという考えに至らず、強引に前へ出る事で刃を追い越す。


 斬撃が体当たりに変わり、それではメーヘレンの刃がパトリシアの身体に食い込む事になる。


「痛ッ」


 思わず漏れた苦痛の声と共に、パトリシアの鮮血が赤い花びらのように舞った。


 それでも肩口からメーヘレンへ体当たりを見舞った形となり、それで精剣を引かせて浅手とはいえ傷口を広げる事になってしまう。


 挙げ句、メーヘレンは断じる。


「効かん!」


 メーヘレンの身体を覆っている防御障壁が体当たりの威力も殺していた。レアのスキルであるから軽減できても2割という所だろうが、女性故に体格で劣るパトリシアの体当たりである。


 後退したが一歩か二歩――いや、多く見積もっても一歩半に過ぎなかった。


 その一歩半は時間にすれば一秒に満たず、それだけしか稼げなかった時間であるが、その一瞬一瞬を積み重ねていくしかない、とパトリシアも腹をくくっている。


「効くまでやる!」


 相変わらず振り上げようとするメーヘレンの懐へと飛び込み、間合いを潰すパトリシア。ただ精剣を振り下ろされても両断されるという事はないのだが、無傷では済ませられない。切られた肌に焼け付くような感覚を覚えながらも、痛みによって鈍ろうとする様々なものを押さえつけた。


 ――小さく!


 ワールド・シェイカーを剣として振るえない間合いであり、そもそも剣技を身に着けていないパトリシアであるから、スキルを更に絞る事だけに集中する。


 ――細かく!


 投石よりも小さく、細かく絞り上げれば、それは砂粒となる。だが、そこまでスキルを絞った事などない。Hレアのワールド・シェイカーであるから、通常、求められる使い方は威力を小さく、精密にする事ではなく、最大まで絞り出す事だ。


 試した事すらない使い方なのだから負担が大きく、刃を掻い潜りながらでは集中力を保つ事も難しいが、拳一つ分まで接近して見上げるメーヘレンの顔へと、その砂粒を放った。


 ――ここに来て、やる事は目潰しかよ!


 砂を投げつけるとなれば、メーヘレンならずとも狙いは明白だった。


 しかし砂粒とはいえ、自分へ向けられるものが攻撃であればメーヘレンの精剣スキルは効果を発揮する。


 ――十分!


 パトリシアは、ただ邁進した。絞りに絞った砂粒ならば、2割の減少があったとしても減らされた数字そのものは小さい。


 ただし視界を奪っても、最大最強でスキルを使えないのでは剣技を知らないパトリシアに決定力はなく、メーヘレンの嘲笑がぶつけられる。


「宝の持ち腐れだろう!」


 パトリシアが稼いだ一瞬は潰えたのだから、次は自分の番だと精剣を構えた。


 手の中で精剣を半回転させ、逆手に持った精剣をパトリシアへ突き刺そうと狙いを定めたメーヘレンは、嘲笑に怒鳴り声を加える。


「突くのはできるんだよ!」


 それに対し、パトリシアが取った行動は拳を振るう事だった。


 ――確か……!


 長い精剣を振るうよりは、パトリシアの拳が幾分かだけ速く、狙ったメーヘレンの耳の下、顎の付け根辺りを打つ。


 三半規管に衝撃を与えられる一点ではあるが、ファンがインフゥに教えていた事を聞きかじった程度では、正確な一撃とはならない。


 その上、メーヘレンの防御障壁が衝撃を拡散させるものだから、その一撃では意識や感覚を刈り取る事は不可能だった。


 ――勝った!


 後は精剣を突き刺せば終わりだとメーヘレンは目を見開く。


 そして確かに、精剣の切っ先に肌に刺さる感触を覚えたのだが……、



 相貌そうぼうが見たのは、勝利とは程遠かった。



 刺された精剣をそのままにメーヘレンの脇へと回ったパトリシアは、その首に引っかけた右腕を軸に半回転して密着する。


 最後に執った手段は首の動脈を締め上げる事だった。


 ――打撃や斬撃と違って、締め上げる力はどれだけ減ってもいい!


 2割減にされた所で締め上げられなくなる訳ではなく、酸素が脳に届けられなくなれば死に体になるだけだ。


「おい、こんな……こんな剣士の戦いがあるかよ……!」


 それがメーヘレンの敗北宣言となった。

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