第67話「これはジャックが建てた家にある麦芽を食べたネズミを殺したネコをくわえたイヌ」

 上覧じょうらん試合の結果は太鼓の音と共に知らされるため、控えの場にいる剣士たちにも伝わる。


 だが告げられるのは勝者の名前だけ。敗者には何も与えないというのが、戦場の掟であるからだ。


「ユージンの勝ちッスか」


 ファンの呟きと、試合場の幕がまくられる音とが重なった。勝ち抜き戦でも総当たり戦でもないため、ユージンが命の遣り取りをするのは一度だけだ。


 同じ組であっても出場する剣士が顔を合わさないように配慮されているため、ユージンの姿は見えないのだが、足音から察するに五体満足で戻ってきている。


 運が良いのか、それとも当然なのかは、考えている者によるだろう。


 だが結論が出せる程、長く考える事はできない。


「黒方、ミョン・イルラン!」


 陣太鼓が鳴り、黒方の名が呼ばれる。席を立つミョンは左手に持った精剣の柄で幕を開いた。


 ミョンの故郷はこの国の北の果て、ノートメアシュトラーセ。長らく皇帝家も宰相家も版図に組み入れる事ができなかった地方であるが、大帝家がこの国の東半分を領有するに至って交易と進出が展開された。


 古くから住む民族は冬に凍った海峡をいかだで渡り、西の大陸まで略奪に向かっていたという程の猛者であるから、その進出と交易は衝突を伴ったとされる。7割以上が山地というノートメアシュトラーセは資源開発もままならず、また農業に向く土地でもないが故に、進出は思うようにいっていないという状況も混乱に拍車を掛けていた。


 そんな土地に生まれたミョンの生家は、当然、騎士や貴族の家系ではない。


 ニシン漁師の家系だ。


 ――小骨が多いというだけで、卵以外に価値はないと見なしている馬鹿ばかりだ。


 ニシンは決して高級魚ではなく、またミョン達が本土と呼ぶ大帝領、皇帝領に住む人々は卵を塩漬けにして食べる風習があるが故に、魚卵が発達していない初夏のニシンは取らない。


 そのニシンの価格も、ニシン100匹に対し、穀物1ハント――つまり成人男性1年分が相場とされていた。


 ――魚のうまさも知らない相手に鼻であしらわれてたまるものか。


 ミョンにとって、この場はそういう場だった。開拓といえば聞こえは良いが、要は本土で身を崩した者の逃げ場とされた歴史がある。エルフやドワーフが被差別階級に落とされて以降も、ノートメアシュトラーセだけは差別がない事に胸を張るが、それとて何の事はない。本土、内地という言葉の通り、差別を徹底しているから問題になっていないだけの話だ。


 先に試合場に入ったミョンの耳に、もう一度、陣太鼓の音が届く。


「赤方、インフゥ!」


 呼ばれたインフゥの姿は、驚きと、続いて嘲笑ちょうしょうを買った。


「犬? 犬ですか?」


 陪観ばいかんしている貴族から、インフゥの連れているホッホに視線が集まる。


 理屈であれば、精剣は哺乳類の女であれば、どんな者にも宿らせられるし、事実、オーク牧場の構想はインフゥの村だけで試みられた訳ではない。


 だが剣士との意思疎通ができる事が最低限度の条件だとされているのだから、結局、精剣を宿らせる鞘は人間の女しか有り得ない。


「……ホッホ、待って」


 審判に命じられた場所まで進んだインフゥは、片手をかざす事でホッホを止めた。素直に立ち止まるホッホには、また陪観している貴族が苦笑いを漏らすが。


「いざ両名とも――」


 審判役の声は、初戦のユージンとムンの時よりも寧ろ緊張感を増していた。審判役とて、犬は賢い動物だとは知っているが、この大舞台でホッホが従順であるとまでは思えない。


 抜剣できず、大公の庭先で暴れるような事になれば、大公にとっても末代までの恥というもの。


 杞憂きゆうに終われと願いつつ命じた審判は、それが杞憂で終わってくれた事に胸を撫で下ろす事になった。


「抜剣!」


 インフゥの声にホッホが応えるように遠吠えし、バウンティドックが現れる。


「ほぅ……」


 その姿にミョンは目を細めた。ミョンがホッホに対し、どういう感情を懐いていたかは余人には察せられない。


 ミョンが懐いたのは、ホッホに対してではなく、故郷に残してきた愛犬だった。大陸の商人が連れていたものを譲り受けたもので、ゲンコツのような顔の犬はクルチと名付け、ミョンが故郷を出る時、最後まで追い掛けてきた。


「フッ……」


 脳裏に浮かんだ愛犬に対し、ミョンは微笑む。


 ――ムンさんは失敗したみたいだが、俺は違う。


 左手に持っていた精剣を右に持ち帰る。構えはムンと同じく、だらりと切っ先を下げたもの。それだけを見れば、ミョンもムンと同じく、精剣とはスキルを操る道具だと思っているものだと取れるだろう。


 ただSレアを持つユージンと戦ったムンと違い、インフゥの精剣はレアだ。


 攻撃スキルならば、急所に命中すれば致命傷を負う、バフならば3割程度の強化、デバフならば同じく3割程度の減衰で済むというところか。


 ――勝てる。勝つ。


 だらりと精剣を垂らしたまま、インフゥに向かって目を細めるミョンが狙っているのは、ムンとは逆のアプローチだった。


「始め」


 動かない二人に対し、審判役が動けと命じる。互いに相手のスキルを警戒しているのだとしても、お見合いをさせに来た訳ではないのだから。


 インフゥは剣を前方に構えて腰を落とし、やはり大公には見慣れない態勢である。


「……奇妙な構えよな……」


 大公が静かに問うが、やはりインフゥの構えを解説できる者はいなかった。いいたい事はある貴族はいたが。


 ――精剣スキルには対応できぬ構えでございますよ。


 ただし大公に対してであるから、集めた剣士に対する誹謗になりかねない事は、誰もいわなかった。


 だが奇異きいなのは、インフゥだけではない。



 ミョンも地面を蹴り、接近戦を挑んだのだ。



「!?」


 インフゥは虚を突かれる形となったはず。

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