第64話「ではスズメは、なんというのでしょう?」
庭の一角に
「は……。陣地
天下分け目の大戦の後に生まれたユージンであるから、現実に会戦の場へと赴いた事はないが、伝え聞く雰囲気がその場にはあった。
その控え場所も、白い木綿で仕切りが作られており、ヴィーの提案通り、南方、北方に選別された剣士は分離され、それぞれ顔を合わせる事がないように配慮されている。
「ユージン」
椅子に腰掛けるユージンの傍へと、カラが水桶を置いた。飲み食いするものは大公が用意してあるが、それには手を着けない。
「ありがとう」
礼をいうユージンだけでなく、ファンもインフゥも心得ている。
大公が用意しているとはいえ、誰が何を入れるか分かったものではないのが戦場だ。
この上覧試合の趣旨を――無論、表向きの事であるが――考えれば、ここは失われて久しい、本物の戦場を模したものである。
同じく南方にいるファンやインフゥも、ユージンからは見えない。これは天下の趨勢を決した大戦が、裏切りによって決定した事に通じている。
言外に、油断ならない相手として扱え、と剣士たちは感じ取っていた。
それは寧ろ南方よりも北方の方が強い。
***
同じく控えの場所にいるムンは、水筒を傾けつつ幕で区切られた試合場――いや闘技場とでもいう場へ視線を向けていた。
ムンの歳は40を越えている。大戦により戦国と呼ばれる時代が一応の終焉を迎えたのが25年前であるから、その空気が色濃く残る時代に青春時代を過ごしていた。
白木綿に囲われた控えの場、また仕切の向こうにある闘技場の雰囲気で思い出すのは、そんな青春時代の空気。
――大学で学んでいた頃は、まだ平穏が続くか戦国へ戻るか分からない時代だったな。
思い出す。
――凶作によって穀物が減少し、その代替手段として貨幣の使用頻度が上がって、流通が増大した歴史がある。ならばと、民は穀物の不足を兵役で補わせる構造ができあがる。
大学でムンが専攻したのは、原始的な経済学だった。
――その労役に対して、商人から貸し出させた貨幣を支払えば、貴族は武力に
ただし、その構造は正常化されない。
戦乱が長く続いてしまった理由には、皇帝家が貨幣経済に対応できなかった点も挙げられるからだ。
偶発的にできあがってしまった貨幣経済には、価値の違う十数種の異なる貨幣を造り出していた。
即ち悪銭と、善銭とでもいうべき存在である。
紛争の多くは土地の問題、次いで悪銭と善銭の価値の差を発端とするものであるのに、皇帝家は初代宰相と呼ばれる人物の登場まで、等価値使用の原則を声高に叫ぶしか手を打ってこなかった。
ならば商人を動かす事が強さに至る最速の手だから、ここにムンが育ったフリーデンスリートベルクの地の利が生きた。
この国で最大の教会を持ち、かつ港町であるフリーデンスリートベルクの中心となれば、商都になるからだ。
――陸海川、全ての交通の要衝であり、この国全土の信者から寄進、寄付を受ける教会。そもそも商人とて信者なのだから、支配基盤を確固たるものとすれば……。
ムンの出した結論は、こうだった。
――四世大帝は、我がフリーデンスリートベルクの公爵殿下。
仕えるべき主は、ただ一人。
――教会に集まる寄付を、商人へ貸す。それをそのまま税、または造営料として吸い上げる事を条件に、商人と教会の双方の保護を徹底すれば、このフリーデンスリートベルク全ての経済を吸い上げられる。
ムンが結んだ言葉は、こう。
――貨幣を武力に変えてこそ、この国第一の王。
この説にはかなりの無理がある。武力を頼みとするならば、それは大部分が恐怖によるものになる。貨幣を武力に変えるというが、それに必要なものも同じく武力。解ける事のない自縄自縛である。
もし戦乱の時代、それも
だが今となっては時代遅れの経済思想であり、檻を意味するケイジと呼ばれるようなものを振り回しているのでは仕方がない。
「いいや」
ムンは、それを認めない。
自分はこんな身分でいるはずがないのだと気を張る。
「!」
陣太鼓の音に、控えていた剣士は一様に身を固くした。
大公が席に着いた事を示す合図だ。
続いて呼ばれる。
「黒方――ムン・ウィヤァ」
ムンが立ち上がり、ザッと地面を鳴らした。
「赤方――ユージン」
ユージンも出て行く。この時、ムンは
――それでも、この場に出て来たという事は、勝って当たり前と思われていないんだろう。
運が良いとも思っていない。
――当然だ。
ムンがそう思うのは、自分の人生にあって当然の色彩を見ている思いがあるからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます