第58話「パンをすこしあげるから ミルクも一緒にあげるから」
男子禁制の聖域であるからこその男避けの鈴と女避けの目隠しである。
それを無視できる者は、余程の怖いもの知らずであるか、もしくは――、
「大公殿下……」
エルが
死後、神格化され始世大帝直系の男子だ。
「殿下」
慌てて膝を着くファンとヴィーは、今までのような戯けた態度はない。
インフゥはぼーっとした顔をしていたのだが、ホッホが何かを感じたようにインフゥの頭を下げさせた。
それが可笑しいと笑う大公はというと、
「いや、頭を上げて欲しい」
テンジュの身分を考えれば、当然、大公が気軽に来られる場所ではなく、寧ろ自分がここにいないように振る舞ってくれる方が有り難い。
「立ち見する事になってしまったが、素晴らしい腕前だ。目隠しをしたまま、そんな曲芸ができるなど、想像もできない」
手を叩く大公は、
「勿体ないお言葉です」
頭を下げるファンは最敬礼ではなく、それ故に大公は笑みで返した。
「ヴィー、
精剣を操るのに剣技は必要とされないが、大公の世代では精剣に宿るスキルもさることながら、剣を操る技術も重要視した。
「……」
一瞬、
――大丈夫か?
この段階で大公へとファンの存在を告げるかどうか迷ってしまう。ファンは大公と会う前に、大公が守りたいと思っている相手であるテンジュに会いたいといったのだ。現場で鉢合わせ、こんな事を聞かれるとは思っていなかった。
だが
「左様です」
ファンが自ら答える事で。
「ファン・スーチン・ビゼンと申します」
「ビゼン家の」
大公が満足そうに頷いた。そういわれてみれば、思い出す名前があるからだ。
「確か、子爵殿の
面識はないが、知っている名前は浮かぶ。他人としかいえない程であるが、子爵家は大帝家に繋がる家系だ。ドュフテフルスに精剣を得て剣士になったが、そのまま騎士になるでもなく旅に出た男がいる事は聞こえている。
「曲芸ばかり熱を上げるので、
「なんの。よく身に付いておるよ。姉への慰め、大儀である」
教会という刺激のない場所にいる姉である事は、大公が誰よりよく知っていた。
「姉上も、お変わりなく……」
テンジュへ向かって一礼する大公は、その一礼を
ファン一座が中座すると、テンジュは庭に立ったままの弟へ視線を向けた。大公は父である二世大帝にも、兄である三世大帝にも似ていない。どちらかといえば母親似で、もっというならば絶世の美貌を謳われ、初代宰相の愛妻でもあった伯母に似ている。
大公は優れた容貌で、才気も兄に勝る存在であったが、武断主義から文治主義へと舵を取る必要性から、長幼の序を重んじる始世大帝によって三世大帝への道は閉ざされた。
長子相続が確立していなかった頃であるから、今でも大公こそが本来、三世大帝になるとはずと信じている貴族は多い。
「……大層な
その一言に、テンジュは様々な気持ちを込めたつもりだった。
上覧試合に精剣を持った剣士を出す――これが意味する所が分からないテンジュではない。
「はい」
大公は短い返事の後、庭からテンジュのいるデッキまで歩いた。
「ただでは済みますまい。
笑う。
「しかし処刑まではされますまい」
笑い事ではないが。
「これにより、未だ天下は定まらずと思っている者をいぶり出す事が可能やも知れません」
「押し込められますよ」
テンジュのいう押し込めとは
なおも大公は笑う。
「そうなるでしょうなぁ」
笑いながら、姉の顔を見て、
「されど、兄上の治世は盤石。ならば悔いはありませぬ」
テンジュが望む平和を作れるのだ、という言葉は隠されていた。隠されていても、伝わるものであるが。
「押し込められた後は……そうですね」
弟が犠牲になる事に納得していないテンジュに対し、大公は笑みを浮かべていう。
「許されるならば、領民を無視し、未だに精剣だ何だとやかましい地方へ特使を送り、遺跡の封印や救民を行う極秘の特使を作り、その元締めでもやりたいものです」
自分の命、家名すらも投げ捨て、大帝家による平和を作り上げようとした大公ならば、そんな特使――極秘組織の元締めとて務まるはずだ。
奇しくもそれはファンやインフゥが望むものに近い。
「ああ……」
弟の笑顔は決意、覚悟なのだと、テンジュは悟った。
「姉上」
大公はすくっと立ち上がり、深々と頭を垂れる。
「これにて失礼
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