第39話「今きたこの道 かえりゃんせ」

 トラブル体質とまでいわれると不愉快になるが、ファンも自分が厄介事に巻き込まれやすい事は自覚している。


「何もなければいいッスけどねェ」


 そんな事をファンにいわせたのは、昨夜から降り続いた雨のせいだろうか。小さいとはいえない馬車だが、旅芸人であるファン一行は道具や衣装を満載している。居住に使える空間は狭く、ファンとエルが二人で寝るには狭い。


 ファンは馬車の近くにテントを張り、また火をいて寝ているのだが、雨が降っていた昨夜は焚き火など早々に消えてしまっていた。それでは雨を凌げたとはいい難い。


「こちらで寝たらよかったのに」


 キャビンのエルはそういうも、ファンは「いやいやいや」と片手を振った。


「あんまり、よくないッス」


 それがファンの本音だ。ユージンの村では温泉を覗こうとした事もあったが、それは笑いを取りに行くのが目的であっただけで、性欲ではない。


 ただしエルは知っている。


 ――寧ろ、それが痛いんだけど。


 ファンの性欲は寧ろ強い部類に含まれる。


 ――プライドでしょうけどねェ。私にスケベだと思われる事を、何より屈辱に思っているようで……。


 エルが分からなくもないと思えるようになったのは、最近だ。



 ファンもプライドで生きている。



 腕に対するプライドと、また男としてのプライドが、ファンの技を支えている。剣にしても、芸にしても。


 ――やたらと練習してると思ったら、大抵は……。


 と、思考がそうなりかけた所で、エルは中断させた。これが好ましいのか、そうでないのかは考えても仕方がない。



 それら全てを含めて、ファンだ。



てがないからこそ、気を付けていないと。風邪引いたら、とんでもないッスね」


 手綱を握るファンは、鼻を撫でていた。ユージンの村で使った薬はヴィーの補給でまかなえたが、宛てのない旅であるから医療品や水、食料は浪費できない。


「師匠によくいわれたッスわ。風邪は、ちゃんと寝て、ちゃんと食べてないからかかるんだって」


 故に自己管理ができていない事が理由ならば薬の浪費だ、とファンはいうが、


「あれでは、ちゃんと寝てる内には入らないでしょうに」


 だからキャビンで寝ろというエルだった。


「それは、また別の――」


 ファンが反論しようとしたところで、馬車を停止させた。


「お腹壊すッスよ!」


 ぴょんと御者席から飛び降りるのは、泥水を口にしようとしていた少年を見つけたからだ。


「!」


 少年は驚いて身体を震わせたが、それ以上に驚かされたのはファンの方だった。


「おお!?」


 駆け寄ろうとしたファンの前に、犬が飛び出してきたのだから。


「わふ! わふ!」


 最早、老犬であるのかいささか迫力に欠ける吠え声であるが、牙を剥く姿は十分な威圧感を持っている。


「ちょっと、ちょっと!」


 両手を挙げて害意がない事をアピールするファンだが、犬には言葉が通じない。


「エル、水筒をあげて」


 犬に対して通用するのは行動と態度だけだ、とファンは後退りした。走って後退しては飛びつかれる。


「はい」


 エルも心得たもので、少年に水筒を投げ渡すように真似はしない。投げていたら、それを犬は攻撃と受け取る。


「あの! ここに置きますから、取りに来て下さい」


 置くとエルも素早く後退する。


「……」


 少年の方は目を瞬かせていたが、犬の吠え声が収まると立ち上がり、おずおずと置かれた水筒を取った。


「飲んで落ち着いたら、犬を下げてくれると助かるッス」


 こういう時、無視して進めないのがファンだ。


「その様子だと、食べ物だって食べてないんスよね?」


 水筒の水を一口、飲んだ少年が犬を呼ぶ。


「ホッホ、来て」


 少年に呼ばれると、犬は「クーン」と喉を鳴らして離れていった。そして一度、下がると、ファンとエルが近づいても吠えない。


「いい犬ッスね」


 ファンは笑みを浮かべ、ホッホの頭に手を伸ばした。そうすると吠えないばかりか、撫でても怒らない。


 少年が認めた相手は自分も認めるという事だ。


「よく懐いてるし、お利口様ッス」


 ここまでの信頼関係を築けるのは希だ、とファンも知っている。戦場での伝達に鳩や犬を使う事が多いように、優れた猟犬はそれだけで貴重だ。ビゼン家でも犬を飼っていたし、専属の調教師もいた。それでも、ここまでの信頼関係を結べた者は見た事がない。


 エルもうんと頷き、


「多分、何日もまともに食べてませんね? 芋がゆを作りましょう」


 まずは食事だ。


***


「ゆっくり食べて下さいね」


 加減して盛った粥を渡すエルは、何度かそう注意した。


「取り上げたりしないから、ゆっくり食べる事ッス。慌てて食べたら、身体に良くないッスよ」


 ファンもそういうのだが、少年の方は飢えに負けている。


「いやいや……」


 掻き込もうとしたところを、ファンが手を伸ばして止めた。


「何日も食べてないッスよね? お粥とはいえ、いきなり食べると、命に関わるんスよ」


 ここは医陰両道に通じているといっていたファンの面目躍如めんもくやくじょだ。


「お腹いっぱいにならないかも知れないけど、今日は2杯分、一日かけて食べるッス。明日は、おかずに干し肉をつけるから、ゆっくり食べてほしいッス」


 10日もまともに食べていない人間が、いきなり穀物粥を口にしたら場合によっては死ぬ。栄養が偏っているからだ。


「まずはおイモのお粥。次はおかずに干し肉を足して、顔色が戻ってきたら大麦のお粥に変えて、パンを食べれるようになるのは……もっと先にした方がいいッスね」


 だから意識して、ゆっくり食べろというファンは、口調こそ軽いのだが、有無をいわさない迫力がある。


「どころで、どこから来て、どこへ行こうとしてたんスか? あと名前は?」


「……インフゥ」


 少年はそう名乗った。


「村から逃げてきました」


「村……?」


 エルが聞き返すと、インフゥは森の先を指差し、


「遺跡があるんです」


「はぁ、争いの元ッスねェ」


 どうしても、またか、という顔をしてしまうファンは、「いつ出たんスか?」と聞き返したのだが――、


「僕が生まれる前だから……」


「はいぃ?」


 その答えには思わず頓狂とんきょうな声を上げさせられた。


「……秘匿されていた遺跡・・・・・・・・・ッスか?」


 珍しい話だ。遺跡は重要地点なのだから、放置するような領主や太守がいようはずもない。


 しかしインフゥの言葉に嘘など皆無。


「それは知らないけど、でもお城の兵隊がきた事はなかったから……」


「ふむ……。そこまで送ればいいッスか?」

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