第30話 芹沢 美水希にばれてはいけない。

 ばれてはいけない……。


 そのことに気が付いたのは朝、教室で芹沢さんと挨拶を交わしたあとのことだった。


「おはよ」


「お、おはよう」


 瞬間的に、「あ、これはまずいな」と思って、ぎこちない返事になってしまった。

 普段と違った雰囲気を察したのか、芹沢さんの眉が寄って凝視してくる始末。


「どうかしたのかな?」


「あ、あはは、なんでもないから、なんでも。」


 そう、颯希ねーちゃんとか夏杜希と戯れる時間がちょっと長かったから忘れがちだけど、芹沢さんは純粋ピュアーのおっとりさん。

 控えめに言って、あの二人のようにちょっとズレた感性の持ち主ではない。

 そりゃあ、水泳に関して言えば並々ならない情熱をもっているが、それって当たり前のことでしょ?


 芹沢さんは女の子。いたって普通の。可愛いからとか、クールだからとか関係ない。

 俺にとって大切な幼馴染。

 決してばれてはいけない。

 傷つけてはいけないのだ。


 φ


 やっちまったぜ、俺。

 かばんの中に入れておくのはまずいと思って、持ち歩いていたことがあだとなった。

 放課後の教室。

 焦って、やばい。誰かに見られたら。名前が書いてある。ばれる。やばい。噂になったら。やばい。巡り巡って芹沢さんの耳に。やばい。どうしよう。いやまだ間に合う。誰かに見つかる前に先に見つけ出せ!


「あー、ねえきみ。これ――」


「ごめん芹沢さん! 俺用事があるから先に行くね」


「あっ。ちょっと……」


 ううう、ごめん芹沢さん。でも、これはとっても重要なことなんだ。

 何か言おうとしていた芹沢さんに心の中で謝りまくって、校舎内の捜索に向かった。


 落し物。生徒手帳。中には隠し場所に思いあぐねた結果、写真が一枚入っている。

 颯希ねーちゃんからもらった芹沢さんの写真である。

 その写真が入った生徒手帳を校内のどこかに落としてしまった。

 それがまたよりにもよって、水着姿の芹沢さん。

 彼女の魅力をぎゅぎゅっと凝縮されたかのような美しさに見蕩れてしまう一枚だったのだが、撮影したアングルがどうも怪しいのである。

 きっと颯希ねーちゃんのことだから盗撮まがいのことはやっていてもおかしくない……。


 でだ。そんないかがわしい経緯で入手した芹沢さんの写真を所持していることを彼女に知られたら……。

 いったいどんなことになるのか想像するのも心が苦しい。


 最初はよかったんだ。

 好きな人の写真を肌身離さず持っている、ずっと心がぽかぽかしたような、心安らぐような幸せな気分に浸っていた。

 じっとみつめても嫌がられない。好きな人なのだ。そうしていたいのは当たり前じゃないか?


 だけど、冷静になって考えると他人に自分の写真を持ち歩かれてるというのは、嫌なものなんじゃないか?

 そう疑問に感じたらそれが正しいような気がしてきて。

 だから、芹沢さんにはバレないようにしよう。そう思ったのもつかの間、生徒手帳はどこかに落としてしまった。

 別に、俺一人が非難されるのは構わない。でももし、誰か知らない人に写真だけ盗られたりしたら……。

 それだけは阻止しなくてはいけない。


 φ


 結局、下校時間ギリギリまで校内をくまなく捜索したけど、俺の生徒手帳は見つからなかった。

 焦りと、後悔と、申し訳なさが頭の中でぐちゃぐちゃになって、身体の輪郭がぐにゃりと歪んでいくようだ。

 芹沢さんも部活が終わってそろそろ出てくると思う。

 謝ろう。そう思った。


「あ! きみー、さっきはなんで先に言っちゃうかな?」


「ごめん。大切なものを落としちゃって、すぐ見つけなくちゃって思って……」


「ふーん。そうなんだ……」


 うつむく芹沢さんの顔が赤いような気がする。きっと夕日が反射して赤く見えるのだろう。


「それで、見つかったのかな? その大切なもは」


「ダメだった。どこを探しても見つからないんだ……」


「ふーん。それは残念だ。もう諦めちゃうの?」


 芹沢さんの質問責めが続く。

 俺を呼び止めようと声をかけても無視して先に行ってしまったことを根に持っているのか。

 ちょっとすねた様な眼差しが向けられる。

 可愛いとか思ってる場合じゃないけど、そんな芹沢さんもいいと思ってしまう。


「諦めた、わけじゃないけど……これ以上は探せないし……」


 ここで謝らなくってはいけない。写真を持っていて、そして、それが誰かに盗られたかもしれない。

 しかし、その言葉がうまく出てこない。

 芹沢さんに向かってそんなことを言いたくない。

 悲しい思いをさせたくない。


「きみ、これなーんだ?」


 そこには意地悪い笑みを浮かべた芹沢さんがいて、手に持った生徒手帳をひらひら扇いでいた。


「そ! それ!?」


「うん。お昼頃ね、きみのポケットから落ちるのを見つけて。いつ返そうかなって。タイミング合わなくて今になっちゃたけど」


 そう言う芹沢さんの顔から意地悪な笑みが消えることはない。

 きっと中を見たに違いない。


「ごめん! その不快な思いをさせちゃったみたいで!!」


「? なにが? べつに嫌なこととかなかったよ」


「でも――」


「でももなにもないって。ほーら、なものなんでしょ」


 大切、の部分を強調した芹沢さんは手に持った生徒手帳を俺に返してくれた。


「最初に見つけたのが私でよかったね。そそっかしいんだから、今後は気をつけるように」


「中、見たよね?」


「ん~、どうかな?」


 悪戯っぽい笑み。

 若干頬が赤くて、でも自然な感じ。

 絶対に中に入ってる写真を見たと思うんだけど、彼女はそれを明かそうとはしない。

 黙認してくれるってこと?

 それってつまり……


「もう。あんまり深く考えない。大切なものなんでしょ」


 先に歩き出した芹沢さんが振り向いて「大事にしなさいよ」と少し恥ずかしそうに囁いた。


「も、もちろん!」


 芹沢さんのとなりに並んでそう答える俺に、彼女はひっそりと呟く。


「今回は大目に見てあげるんだから……」


 俺は生徒手帳に挟んだ芹沢さんの写真を家において置こうと思ったのだった。

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