第76話【1月16日】進路と夢
三学期が始まって一週間が経ったが、暖かい日が続いている。
気象庁の発表でも今年は稀にみる暖冬だそうだ。スキー場も積雪が少ないために営業ができないとニュースでやっていた。
実際に霧乃宮市周辺でも初雪が降っていない。寒いのは好きではないが冬という感じがせず、いまひとつ気持ちが引き締まらない。
もっともそれはわたし個人の話だ。三年生はいよいよ受験シーズン突入で、今週末にはセンター試験がある。廊下ですれ違う姿からは緊張を感じられた。
関係のない一、二年生も気を遣ってかなんとなく大人しい。学校全体に張りつめた雰囲気があった。
そして今日は予算委員会の日だった。
先月から続いていた生徒会執行部と各部活との予算折衝も終わり、この会議で来年度の部活動予算が正式決定される。
放課後の大会議室で行われた委員会は淡々と進んだ。
最後に生徒会長さんが質問や異議がないかを確認する。誰からも手は上がらず、このまま閉会かと思われたところで会長さんがわたしを見た。
「文芸部。何かあるか?」
いきなりの名指しに驚いて議長席を見返す。
会長さんはポーカーフェイスだが、その隣に座る副会長さんが意味ありげに微笑んだ。
ひょっとしてあの事かなと察する。
わたしは居並ぶ部長さんたちの注目を浴びながら立ち上がると頭を下げた。
「文芸部長の有村です。今回の折衝に際して執行部から承認された予算案を、わたしは個人的に再確認していました。該当する部には貴重な時間を割いて頂いたことに、重ねてお礼とお詫びを申し上げます」
わたしは再び頭を下げる。
「これはわたしにとってはどうしても必要なことでした。執行部の承認に反対をするつもりはありませんでしたし、予算を無駄に使っている部があるとも思いません。
ただ、使用目的を知ることで納得をしたかったんです。これは大切なことだと思いませんか?」
会議室内を見回すと、不審そうな顔、驚いたような顔、おもしろがっているような顔。いろいろな表情の部長さんと目が合った。
「予算は各部活によって多寡があります。当然、少ない部は不満があるでしょうし、多い部でも足りないと思っているかもしれません。しかし限りある予算です。すべての要求は通りません。
そこで文句を言うのではなく、実情を知ることが大切だと思ったんです。他の部もギリギリの予算でやりくりをしていることがわかれば、腹も立ちませんし、むしろ連帯感が湧きます。
実際にわたしは今回のことで、他の部も応援したくなりました。同じ霧乃宮高校の部活として頑張っていきたいと思ったんです。
そこで提案があります――」
わたしは発言を止めて息を吸った。
会長さんは相変わらずのポーカーフェイス、副会長さんは微笑んでいる。
「予算委員会で各部の予算使用目的の説明をするのはどうでしょうか?
これはあくまでも確認としてです。執行部の承認を受けているので、基本的に予算案が覆ることはないと思います。それでも質問や意見ができるようになれば、みんな納得できますし、不満もなくなると思うんです」
わたしが着席すると、静まり返っていた会議室内が徐々に話し声で満ちていく。
今の提案について近くの者と検討しているのだ。
耳をそばだてていると「面倒だ」「意味がない」という否定的な意見もあったが、多くは好意的に受け取ってくれているようだ。
手間よりも納得したいという気持ちが強いのだろう。
話し合う声が少なくなったところで会長さんが口を開いた。
「執行部としては文芸部の提案を支持したいと思う。質疑応答の時間も設けるし、あきらかな不備や問題点が指摘されたら差し戻しも考える。今より時間はかかるだろうが予算委員会としては健全だ。異議のある者はいるか?」
反対の声は上がらなかった。来年度から正式に取り入れることが可決され、予算委員会は閉会した。
わたしは会議室を出ていく部長さんたちを見送りながら、議長席へと近づいた。
文句を言うためである。
「提案して欲しかったのなら事前にそう言ってください」
しかし会長さんは書類を片付けながら、どこ吹く風である。
「何のことだ?」
「何って……。最後のですよ」
わたしの不満顔を気にもとめず、会長さんは書類を揃え終えた。
「何か勘違いしているな。あれは君の自発的発言だろう? 執行部は頼んだ覚えはないぞ」
「それはそうですけど……」
たしかに頼まれはしなかったが、名指しをしたのは会長さんだし、副会長さんは意味ありげに微笑んだ。
そもそもわたしが提案した内容は副会長さんから聞かされたものだ。わたしもそれに賛成はしたが。
するとそれまで我慢していたらしい副会長さんが、こらえきれなくなったらしく吹き出した。笑いつつも申し訳なさそうな表情を向けてくる。
「有村さんごめんなさい。でも、ああするしかなかったの。執行部から提案をしたら強権的で賛同を得られないだろうし、事前に打ち合わせをしていたら悪い意味での談合よ。それは絶対にあってはならない。
でも有村さんの発言は会長の言うように自発的なものでしょ? 言わされたと思っているかもしれないけれど、あなたは自分が納得できないことはしない人だわ。
それともあの提案は不満?」
わたしは首を振った。
言わされた感はあるが提案事体に不満はない。むしろ望んでいたことだ。
「まあ、おかげで助かった。また何かあったらよろしく頼む」
会長さんが書類を持って立ち上がると、副会長さんも別れの挨拶を寄越して、二人は大会議室から出ていった。
やっぱりわたしとは格が違う。一枚も二枚も
してやられた感はあるが、利用されたとは思っていない。霧高が良い方向に進むことをわたしも望んでいる。
図書準備室に戻ると、文芸部のみんなが労ってくれた。
来年度予算が決定したこと、受験シーズンであることから、会話は自然と進路の話になった。
「先輩たちは志望校は決まっているのですか?」
わたしの質問に顔をしかめたのは早苗先輩だ。まだ一年も先のことだから、急かされているようで嫌な気持ちになったのかもしれない。
すぐに謝ることにする。
「ごめんなさい。まるで追い出しにかかっているようで失礼ですよね」
「いや、そんな風には思ってないけど……」
早苗先輩にしては珍しく歯切れが悪い。わたしたちの怪訝な視線を浴びて、仕方なくといった感じで続けた。
「あたしはたぶん、地元に残ると思う」
「地元ということは霧乃宮大学ですか?」
霧乃宮市内だけでも複数の大学があるが、霧高生が進学するとしたら国立の霧大だろう。
早苗先輩は黙って頷いた。
「霧大に文学部はないよな。学部はどうするんだ?」
結城先輩が尋ねた。
わたしが質問をしたので、結城先輩も本を読むのを中断して会話に付き合ってくれている。
「……法学部」
早苗先輩の返事に、みんなが驚いた表情を浮かべた。
「早苗先輩は司法試験を目指すのですか?」
最初に反応したのは亜子ちゃんだ。
その目が嬉しそうに輝いているのは、具体的な目標を持つ同士がいるとわかったからだろうか。
しかし早苗先輩は慌てて手を振って否定する。
「いや、いや! あたしに司法試験なんて絶対に無理だから」
「じゃあどうして法学部なんだ?」
結城先輩の疑問はもっともだ。もちろん司法試験を受けるつもりがなくても、法学部に進む人はいると思うけれど――。
わたしはそこで気づいた。
「わかりましたっ! ミステリを書くために法律を勉強するんですね!」
絶対に正解だと思ったのだが、早苗先輩は先程よりも激しく手を振って否定する。
「ちがう、ちがう! あたしはミステリ作家になるつもりなんてないから!」
では何故だろう?
早苗先輩が重そうに口を開く。
「えっとさ、あたしの父親って仕事が法曹関係なんだよね。それでまあ、あたしにもそっちに進めってうるさいんだわ。司法試験を受けるつもりはないけど、大学ぐらいは言うとおりにしておこうかなって……」
初耳だった。
早苗先輩は話し好きだが、そういえば自分の家庭について話すのを聞いたことがない。わたしが知っているのは自宅が市内にあることぐらいである。
それにしてもわざわざ法曹関係と言ったのは、お父さんは弁護士ではなく、検事や裁判官の可能性もあるということだろうか。
早苗先輩に初めて会った時に、女史というイメージと将来は法曹関係かなと予想したのは、あながち間違いではなかったのだ。
「法学部はわかったが霧大の理由は? 上京するつもりはないのか?」
結城先輩のさらなる質問に、早苗先輩の声が小さくなる。
「あー、一人暮らしはたぶん許してくれないと思う……」
「なんだおまえ、箱入り娘のお嬢様だったのか?」
「そんなんじゃないわよ!」
結城先輩はからかう口調だったが、それは早苗先輩にいつもの調子に戻ってもらうためらしい。それ以上の追及はしなかった。
どこの家にだって他人に話しづらい事情はあるだろう。
ちなみに霧乃宮から都内へは在来線で一時間半といったところで、ギリギリ通学圏内と言えなくはない。だが往復で三時間というのはやはり遠い。上京して一人暮らしをするのが一般的だった。
「結城先輩はどうするのですか?」
「俺は上京するつもりだよ。まだ大学も学部も決めていないけどな」
即答だったが具体的進路が決まっていないというのは意外だ。
さきほどの仕返しか、早苗先輩がさっそく反撃する。
「なによあんた。進路は未定なのに上京だけは決めてるなんて、遊ぶために大学へいく人間の典型じゃない。軽薄なナンパ男みたいでサイテー」
言い過ぎではと思ったが、驚いたことに結城先輩は頷いた。
「そのとおりだぞ。俺は遊ぶために東京の大学に行くつもりだからな」
その発言に女性陣は全員、目を丸くして言葉が出ない。なんというか結城先輩らしくないし、先輩の口からは聞きたくなかった。
わたしたちを眺めて結城先輩が苦笑する。
「なんて顔をしているんだよ。補足すると、選択肢を広げるために東京の大学にいくんだ。遊ぶという言葉が不謹慎だと感じるなら、見識を広めると言い換える」
そこで結城先輩は真面目に表情になってわたしたちを見た。
「そもそも俺には将来の夢――何がしたいとか、どんな職業に就きたいというビジョンがまだないんだ。だから大学の四年間でそれを見つける。
逆に言えば明確に将来の夢があるのなら進学する必要はない。プロスポーツ選手だったり、技能こそがすべての職人がそうだな。
東京に行くのは地方では経験できないことが多いからだし、いわゆる良い大学に進学するのは選択肢を広げるためだ。残念だが学歴というのは、いまだにわかりやすい手形だからな。有名大学は人脈が豊富だというのもメリットだ。
遊ぶのは当然だろ? やりたいことなんて遊びや趣味から見つけるものだ。学者だって勉強を仕事にしたわけじゃない、ほとんどは純粋な探求心――つまりは趣味が仕事になったはずだ。
十代の終わりから二十代の始め、多少の無茶ができるその時期にいろいろな経験をして、俺は自分のやりたいことを見つけるつもりだよ」
やりたいことを見つけるために遊ぶ。選択肢の多い東京の大学へいく。
理路整然と説明されると疑問はまったくない。むしろさすが結城先輩だと思う。
そしてわたしは自分のことを考えた。
わたしには将来の夢が一応ある。
もっともそのためにはどうすればいいのか、どんな進路をとればいいのかが、まったくわかっていない。
結城先輩に相談できればいいのだが、あまりにも荒唐無稽なので恥ずかしくて躊躇している。
いつかは相談したい。そしてその時間はおそらく、それほど残されてはいないのだ。
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