第48話【9月26日】『未来の君が優しかったように、過去の僕もそうありたい(上)』


  『未来の君が優しかったように、過去の僕もそうありたい』  有村瑞希



 僕がその女の子に出会ったのは夏の初めだった。

 人形のように整った顔立ちに、艶のあるまっすぐ伸びた髪。頭には大きな麦わら帽子をかぶっていて、白いワンピースが目に眩しい。

 そこから覗く腕は見事に日に焼けていて、ワンピースの白とのコントラストが綺麗だった。

 思わず緊張してしまうぐらい可愛い子だ。

 同い年ぐらいだろう。近所に住んでいれば絶対に見覚えがあるはずだから、最近引っ越してきたのかもしれない。

 気になったのはその子は今にも泣き出しそうで、それを我慢して無理やり笑顔を作っているように感じたことだ。そして僕のことをずっと見ている。

 なんとなく気恥ずかしくて、僕は足早に通り過ぎようとした。

「こんにちは」

 その子の横まできたところで、いきなり声をかけられた。

 僕は驚いて立ち止まる。

 近くで見るとやっぱりすごく可愛くて、返事をする声が裏返る。

「こ、こんにちは」

 顔が赤くなるのが自分でもわかった。

 しかしその子は挨拶をしたあとは言葉を口にせず、ただじっと僕を見ている。

「な、なに?」

 その沈黙に耐えきれなくなって僕のほうから尋ねた。

「……やっぱり、わたしのこと覚えていないのね」

「え?」

 この子と会ったのは間違いなく初めてのはずだ。こんな可愛い子を忘れるはずがない。

 戸惑っていると、女の子の目にみるみる涙が溜まっていく。

 僕は慌てた。これではまるで僕が泣かせたみたいだ。

「ごめん。だけど、君にどこで会ったのか覚えていないんだ」

 正直に話しただけなのに、その一言が決定的だったようで、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。

 僕はなんとか泣き止んでもらえるように慰め続けたが、彼女はまるで小さな女の子のように激しく泣き続ける。

 困ると同時に少しだけ腹も立った。

 僕は彼女のことを本当に知らない。それなのに、覚えていないことを一方的に責めるように泣くのは理不尽だ。せめてどこで会ったかを教えてくれてもいいのに。

 それを聞いても彼女は首を振り続けるだけだった。

「ごめん。僕はもう行くよ」

 冷たいかもしれないがそう言うと、彼女は涙を流したまま僕を見た。

 その顔には悲しみと、喪失と、絶望が広がっていた。まるで世界が終わってしまうような表情だった。

 僕は自分が悪いことをしている気分になった。

 しかし彼女はそれらの感情を無理やり飲み込んだように笑顔を作った。泣きたいのを我慢して笑っているのが僕にもわかる。

 そして彼女はかすれた声を絞り出した。

「ありがとう」

 何にたいしてのお礼なのかわからないが、僕は曖昧に頷いて歩き始めた。

 そこから離れるあいだ背中にずっと視線を感じたが、振り返るとまた彼女の泣き顔を見ると思って僕はそのまま歩き続けた。


 そのことをずっと後悔している。

 なぜ僕はあの時に振り返らなかったのだろうか。

 なぜもっと優しくしてあげなかったのか。

 君はあんなにも優しかったのに。

 だから僕も優しくあろうと決めたのだ。



 次の日も同じ場所に彼女はいた。

 僕は昨日のこともあって、気まずさから目を合わせないようにして通り過ぎようとした。

 ところが彼女はぎこちないながらも昨日とおなじように挨拶をしてきた。

「こんにちは」

 さすがに無視するのは悪いと思ったので僕も挨拶を返す。

「……こんにちは」

 彼女は昨日ほどではないが、やはり泣くのを我慢している感じだった。

 そして少し躊躇ってから彼女は尋ねてきた。

「わたしのことは覚えている?」

 一瞬なにを言われたのかわからなかった。

 もちろん覚えている。昨日会ったばかりだ。

「うん、昨日もここで会ったよね」

 そう答えると、彼女は心から安堵したように息を吐いた。

 ひょっとして昨日のことを怒っているのだろうか。

 たしかに冷たかったかもしれない、謝ったほうがいいだろう。

「昨日はごめん、放っておくようなことをして。でも初めて会ったのにいきなり泣かれて、どうしたらいいかわからなかったんだ」

 彼女はそれを聞くと目を見開き、凍り付いたように動きを止めた。

 そして昨日も見せた絶望を背負ったような顔になった。

 その目から涙がこぼれる。

 彼女が泣いているあいだ、僕は隣に立っていることしかできなかった。

 長い時間が経ってから彼女はようやく泣き止んだ。

 僕はさよならを言ってその場を立ち去った。


 次の日も彼女はそこにいた。

 やはり挨拶を交わしてから自分のことを覚えているか聞かれる。

 これはいったいなんだろう?

 僕がもちろん覚えていると答えると、彼女は安堵の表情を浮かべた。

 変な子だなと思いつつも、彼女が泣くのを見るのはつらかったので、僕もほっとしていた。


 次の日も、その次の日も彼女はそこにいた。

 それはあきらかに僕のことを待っているようだった。

 おなじように挨拶をしてくるので僕も返す。

 安心したのは日に日に彼女の顔から、悲しい表情が薄れていることだ。しかしそれがまったく消えることはなかった。

 彼女は悲しさと寂しさを感じているように思えた。


 一週間が経つ頃には、彼女がそこにいるのは当たり前のようになった。

 挨拶も普通にするし、彼女も自分のことを覚えているか聞かなくなった。

 僕たちは名前を教え合うことにした。

 彼女の名前はいかにも彼女にふさわしい、素敵な名前だった。

 そして僕が名乗ると彼女は満面の笑みを浮かべた。あまりにも嬉しそうなので、僕のほうが照れてしまった。

 彼女は僕を見つめて提案してきた。

「これからは名前で呼び合いましょうよ。挨拶する時にもいっしょに名前を呼んで欲しいの。お願い、約束よ」

 彼女にお願いされて断れる男の子はいるのだろうか。

 そもそも提案の内容にだって反対する要素がないのだ。

 彼女が僕の名前を呼んだので、僕もちょっと恥ずかしかったが彼女の名前を口にした。

 彼女はそれを聞き逃さないというように真剣な表情をしていた。

 そして余韻に浸るように目を閉じた。


 次の日は挨拶といっしょに彼女の名前を呼んだ。

 昨日そう約束したからだ。

 僕たちは立ち止まって話をした。

 彼女は僕と同い年で、予想したとおり都会から引っ越してきたらしい。

 彼女の洗練された美しさは、やっぱり街で培われたのだ。でもその割にはよく日焼けしているなと思った。


 次の日からは徐々に話す時間が長くなっていった。

 僕たちは木陰に座り、いろんな話をした。

 家族や学校のこと。

 趣味や得意なこと。

 好きな物や嫌いな物。

 彼女と話をしていると楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。

 彼女も微笑みながら頷いて、僕の話を聞いてくれる。

 気がつくと夕方で、あんなに照りつけていた真夏の陽射しも長い影を作るだけになっている。

 そうなると僕たちは名残惜し気に別れるのだった。


 僕は彼女に会うのが楽しみになった。

 走っていつもの場所に向かう。

 最近では僕から先に挨拶をして彼女の名前を呼ぶ。

 そして話しているだけでは満足できなくなって、僕は勇気を出して遊びに行かないかと誘ってみた。

 すると彼女は嬉しそうに、それと同時にほっとしたように首肯した。

 その日から僕たちはいろんな場所へ遊びに行った。

 川で水遊びをしたり、山へ虫捕りにいった。

 野良猫といっしょに遊んだ。

 二人で背中を合わせて絵を描いた。

 僕の自転車に彼女をのせて、行けるところまで川を遡ってみたりもした。

 お祭りにも彼女といっしょに行った。はぐれないように手を繋いでいたので、僕はずっと緊張していた。

 ただ、そうやって遊んでいても僕には気になることがあった。

 彼女が時折り不安そうな表情を見せるのだ。

 それは最近では見なくなった、出会った頃の彼女の悲しそうな、寂しそうな表情に通ずるものがあった。


 そんなある日、僕たちは川で水浴びをしていた。

 陽射しが水面に照り返していて眩しい。

 彼女は楽しそうに笑いながら僕に水をかけようとする。

 僕は彼女の笑顔が見たくて手で光をさえぎるように腕を上げていた。すると彼女がいきなり真剣な顔になり僕の腕をつかんだ。

 そして身動きもせずにじっと見つめている。

「どうしたの?」

 あまりにも長い間そうしているので僕は聞いてみた。彼女がずっと腕を握っているので、僕の心臓の鼓動は速くなっていたし、顔も赤かったはずだ。

 彼女は物思いから急に呼び戻されたように顔を上げた。

「……ううん。日焼けを見ていただけ」

 彼女の言葉に僕も自分の腕を見た。

 夏の初め、僕はほとんど日に焼けていなかった。みごとな日焼けの彼女とは対照的だったはずだ。

 だが連日のように彼女と出掛けた甲斐もあって、ようやく夏らしい肌の色になってきていた。それでもまだ彼女には追い付いていないが。

 僕が照れたように笑うと、彼女も微笑み返してくれた。

 しかしその後も、彼女はずっと何かを考えているようだった。


 そんな風に少し気になることもあったが、僕は充実した夏を過ごしていた。

 今思えばこの頃が最も幸せな時期だったのだ。

 夏は半分を過ぎようとしていた。


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